君の話
「すっかり遅くなっちゃったね」
「行きたいところたくさんあったしネ!予定外の寄り道もたくさん出来てオイラは大満足♪」
「うん、僕も…すごく楽しかったし、大満足」
すっかり藍色の夜空に覆われたグリーンイーストの大通りは未だ人の活気で溢れている。人と人の合間を縫って器用に進む二人。午前中から出掛けていたというのに、時刻を確認すると日付が変わる一時間前。楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていった。
久々に予定の合いそうなホリデーにわざわざ別々に過ごすなんてことはせず、それならと買い物に精を出した、そんな一日。ディナーを済ませ、再びずっしりと腕にかかる負荷に苦笑いをする。
「流石に買いすぎた、かも」
「確かに…どうする?あ、そうだ。ここからそんなに遠くないし、グレイの実家におすそ分け…あ、でもこんな夜分に突然ってのも悪いよネ」
「…………実家、」
「喜ぶ姿が目に浮かぶネ!オイラも今度お父さんの見舞いに何か持ってこうかな〜」
ガサッ、とショッパーが大きく揺れる音がした。振り返ると隣を歩いていたはずのグレイも少し後ろで立ち尽くしている。はて、何処かに何か忘れ物でもしただろうか。
「…ビリーくん」
「何?グレイ」
「あの…もう、夜遅いでしょ?だから、よかったら…その…うち、泊まってく…?」
言葉のインパクトに目を見張った。前後の会話を取っ払いその言葉だけを切り取ると、そういった類いのお誘いとも取れる。危機一髪、目先の欲に目が眩みリトルトーキョーにあるチェーン焼肉屋店員の如くはい!喜んで!!と返すところだった。立ち止まるグレイの元へと歩みを進める。
「グレイ?」
結構たくさん歩いて疲れてるし、だとか明日は午後からの予定だし、とか。俯いた彼はどうも言い訳っぽい文言を続けるグレイ。以前、彼の実家には世話になった。今でも鮮明に思い出す、グレイとは正反対だけれど誰よりもグレイを大切にしている人達。また会えるのはとても光栄だ。しかし、恋人とという関係が増えてから会うのは初めてで。グレイは厚意で誘ってくれているに違いないというのに、自分はなんてよこしまなんだ。彼のことが大好きな家族に合わせる顔がない──と思った矢先の事。
「今日、皆出掛けてて…その…っ」
明日まで、帰ってこない。蚊の鳴くような声で一言一言詰まりながらも教えてくれたグレイは、顔だけでなく耳や鼻、指先に至るまでが熱っぽく朱に彩られている。どうやら見当違いはビリーの方らしい。グレイは、初めからビリーを懸命に口説いていたのだ。
「いいの、グレイ。そんな事言われたら僕ちん、都合のいいように捉えちゃうヨ?」
「…やっぱり、」
「無しは無し、ネ♡」
「うっ…!」
昨晩とは打って変わって、白んだ空と朝日が目に染みる。早朝、ビーチ沿いの歩道は人が疎らで穏やかな時間が流れていた。彼の相棒であるバディと彼の恋人にあたる自分が並んで闊歩するのは、何とも不思議な気持ちにさせられる。
「バディパイセン、不肖ビリー・ワイズのお散歩はご満足いただけたカナ〜?」
「わふっ」
「WOW!お返事アリガトー!じゃあ、そろそろオイラ達の大好きなグレイのところに帰ろうか?」
友人として過ごす中でも遠慮がちなところは多々あった。恋人という関係が増えてからもそれらは健在である。そんな彼からの誘いに自身が思っている五倍はキていたらしく、昨晩は大変盛り上がったのは記憶に新しい。ビリーからグレイへお伺いを立て手配したホテルで過ごすのではなく、グレイが土壇場に家族不在の実家に誘うという初めての事態に浮かれきっているのは言うまでもない。こちらから誘う事に不満は無かった、けれど求めているのは自分だけでは無いという多幸感に心が満たされている。
幸せいっぱいの夜は明けた。カーテンから漏れる日の光に当てられ目を覚ましたのはつい小一時間前のこと。最初に目が合ったのは友人で恋人な彼、ではなくてその相棒であるバディだった。それも、ご丁寧にリードと首輪のセットを咥えた姿で。
良い子で待てをするバディと寝入るグレイを交互に見る。昨晩のことを考えるとまだ寝かせてあげたいが、バディの散歩は欠かせない日課だ。
「おはようバディ。昨日は突然きてごめんね〜?」
「わふ!」
「ご飯はいつも散歩の後にあげてたっけ。…散歩……ごめんだけど、オイラでもいいカナ?」
バディの大きくチャーミングな尻尾を振る仕草を承諾として受け取り、もしグレイがおきるこたがあっても不安にさせないよう枕元に書き置きを残し今に至る。グレイと一緒ではないバディとの初めての散歩は新鮮だった。それももう終盤に差し掛かり、突き当たりを角を曲がればリヴァース家だ。
「ただいま〜…」
「ワン!」
「バディ?どうしたの、そんなに走って──、」
我先にと走るバディを追いかける。その先はダイニングキッチンだ。もしやグレイが起きてきたのだろうか、と逸る気持ちをを抑えて再度ただいま、と声をかけると四つの瞳がビリーに注がれる事となった。
「おかえりビリー。グレイじゃなくてごめんね」
「言ってやるなよ。お、おかえりビリー」
グレイと同じ色の瞳、チクチクと視線が刺さる。グレイは確かに家族は明日まで帰らないと言った。何も違わない。それにしても流石に早過ぎる、というだけで彼は嘘をついていない。時刻はちょうど朝の七時を回ったところ、キッチンからはトーストの焼けた香ばしい匂いが漂う。助けを求め視線を彷徨わせると先程まで仲良く散歩していたバディは朝食に夢中のご様子で、助太刀は望めそうにない。
「そんな顔しないでビリー」
どんな顔、と聞き返せば「悪いことした子供みたい」とビリーと同い年の弟に揶揄される。
「早く座って、貴方のトーストも焼いてあげる」
何故、どうして等の問いはなかった。おおよそ既に関係が知れてしまったのだと悟る。用意されたコーヒーとトーストに手をつける気にはなれず、言葉を繕おうとするも中々見つけられずにいた。
「私、昨日帰ろうと思ってたのよね」
「え?」
「俺は今日の講義で使うタブレット忘れちゃってさ」
「私は提出課題まるっと忘れたわ」
「早起きして取りに来るの嫌だし、昨日のうちに取りに帰ろうと思ってたんだよね」
話が見通せず、困惑していると彼女らの声が重なった。見て、と。
「「今日はダメ、だって」」
ほら、と見せられる二つの液晶にはグレイと兄妹間で交わされたメッセージアプリのトーク履歴だった。それは忘れ物を取りに帰る旨が送られてきて、すぐに返されている。とにかく今夜は帰ってくるなという強い意志を感じる文言が。
「俺はてっきりグレイが彼女連れ込んだと思ってたんだけどな」
「そう?私は思ってた通りで安心したけど」
元々、昨夜は総出で家を空けるのでグレイが休みならば留守番をと頼まれていたのだという。そんな夜、帰ろうとすると兄から来たことの無いお達しに兄妹達が湧いていた。それはもう、嬉しそうに。
「…いいの?こんな男にグレイを許して」
仲の良い兄妹へ向けて咄嗟に出たのは、自虐でもなんでもない。心からの言葉だった。結局、誰よりも自分を信用していないのは自分自身なのだと、ビリーは思う。
「…ビリーにどう見えてるか分からないけど。兄貴の恋愛事情に口出す程ブラコンなつもりないし。まあ、あのグレイが自分で選んだって時点で、俺は何も言わないよ」
「私も別に。グレイに恋人の一人や二人居たってどうでもいいわ」
「ええっ それは僕ちんが卒倒するヨ…」
「はは、そりゃそうだ」
「ねえビリー。ビリーはグレイの何処が好きなの?」
暖かい言葉を皮切りに、冷めかけのコーヒーとトーストに手をつける。そこからは、グレイの話を沢山した。長兄であるグレイ、ゲームが得意なグレイ、ヒーローとして在るグレイ、友達のグレイ。そして、最後に恋人としてのグレイの話を。
「おっと…俺ら、そろそろ行こうかな」
「えー、まだ講義まで時間あるでしょ」
「お前はそろそろスクール行きなよ」
「まだまだ話したいのに」
「いいから、ほら」
せっつくようにして妹の背を押す。そんなに慌ててどうしたのだろう。首を傾げると、彼はスマホの液晶を見て微笑んだ。
「!」
「てなわけなんで、グレイをよろしく。お邪魔しました〜」
「行ってきます、でしょ。あ、そうだビリー」
「なに?」
玄関と外の狭間で彼女は少し大きく息を吸った。
「今度はちゃんと二人で報告してー!」
わざわざグレイが寝ている部屋の方に叫ぶと、軽快な足取りで踵を返して挨拶をする。
「じゃあね、今度こそ行ってきます!」
「…今度、父さんも居る時にでも。じゃ、行ってきます」
咄嗟に返したビリーからの行ってらっしゃいは果たして聞こえただろうか。忙しなく嵐のように去っていった二人を見送る。さて、向かうべき所はひとつ。階段を上がって直ぐの部屋に踏み入るとそこには不貞腐れた顔の恋人が布団から顔を覗かせていた。
「おはよう、グレイ」
「……おはよう」
機嫌は損ねていても、挨拶は律儀に返してくれるあたり育ちの良さが滲む。目は合うが何か言いたげに揺れていた。
「そんなに眉を下げてどうしたの〜」
「…バディの散歩、ありがとう」
「どういたしまして。バディとの散歩、とっても楽しかったヨ…☆」
「弟達と話すのも…?」
「ンー?」
「……やっぱり今のなしっ」
再度顔を隠してしまう彼を布団ごと抱きしめてベッドになだれ込む。
「相手してもらって、ごめん…こんなに早く帰ってくると思わなくて…」
「オイラもびっくりだよ!得も言えぬ罪悪感で心臓止まっちゃうかと思った」
「………二人とも怒ってた?」
「全っ然。今度はグレイと二人で、お父さんが居る時に来て!だってさ」
「さっき叫んでたのはそれか…」
もそもそと未だ包まれたままの布団を捲ると昨晩辛うじて履かせた下着姿が顕になる。流れるように再度布団を被せた。
「随分盛り上がったみたいだけど…何、話してたの?」
「聞いてたの?降りてくれば良かったのに」
「え〜…だって…どんな顔していけっていうの…」
ビリーに兄妹は居ない。憶測の域を出ないが、彼にとっては気まずかったりするのだろうか。
「で?」
「?」
「グレイはなんでそんなにしょげた顔をしてるのかな〜?」
「ゔっ」
「さっき、弟クンがスマホ見てからもう行くねって出てったんだよネ〜。グレイ、何か知ってる?」
「うう…」
「メッセージ送った?そうだな、例えば…ビリーくん返して、とか?」
観念して欲しい。そんな可愛い顔で唸ったって心が擽られるだけだ。
「ね、言って。何が嫌だった?俺、ちゃんと直すよ。グレイに嫌われたくないんだ」
「いじわるだ…嫌いになんて、なるわけないのに」
とっても楽しそうに、何話してたの。覇気のない問いに胸が締め付けられる。朝起きて隣に居なかった、弟妹達と話していて自分の所には戻ってきてくれない。そういった類いのものを想像していたビリーは面を食らう。
そんなのは一つしかない。俯いた顔にしゃがむ形で視線を合わせて、元気に教えてあげた。
「グレイの話だよ」