「…………ぁ、……ぅ…?」
ジャリ、ザリ。身動ぎするもコンクリートを這いずる音が嫌に耳に付いた。辺りは薄暗い、のだろうか。不快な違和感に耐えかねて重たい瞼を開くと乾いた血が張り付いているようで、上手く目を開けられなかった。
「おかえり、グレイ〜。少し飛んでたネ」
「……ビリー、くん」
声がする方に振り返ろうと顔、腕、胴、足、順に動かそうと試みるもビリビリと身体を這う痛みに襲われ呻き声を上げた。
「動ける?」
声が遠い。少し離れたところに居るのだろう。動ける、と発音したはずが掠れた声とは呼べない音が発せられる。喉に乾いた血が張りついていたようだ。意識がハッキリするほど増す痛みは、グレイがこの世に留まって居ることの証明なのだろう。ズタズタの指には強く握りしめられたままナイフ。よく見ると刃こぼれが目立つ。
刹那、土埃が舞った。大地ごと震撼するような大きな音と怒声、罵声。けたたましいサイレン。本能で感じ取る。───立て、まだ、戦わなければいけないと。
「いっ、」
こんなところに座っている訳にはいかない、衝動に任せて足に力を込める、しかし立ち上がることは叶わないまま無様に体躯を地に預けた。言うことを聞かない足に視線を投げると、想像以上の裂傷に思わず目を剥く。見なければよかった、まるで脚に心臓がもう一つあるみたいだ、どくどくと脈打っていて、熱くてたまらない、痛くてどうにかなってしまいそうだった。
「その足で合流しても足手まといダヨ〜。……なんて、オイラも人のこと言えないんだけどさ」
彼のトレードマーク、ゴーグルが力なく握られた手には手袋はない。珍しく晒された素手は痛々しい生傷が目立っていた。戦闘の凄惨さを物語るその腕を辿ると目に付いたのは伏せられたままの瞳。口の端は自嘲気味につっていた。彼の身体の影にすっぽりの隠れるように声もなく震える子供の姿を捉え、先の戦闘で打った頭が漸くまともな回転をもたらし、全てのピースが盤上でかち合う。そうか、そうだった。
ニューミリオンの街には、緊急事態を見越して一種のシェルターが点在している。用途としては、逃げ遅れた住民を安全な場所まで送り届ける事が不可能な場合、次案として近くの空きシェルターへ身を寄せる事が出来るのだ。又、戦闘続行不能に陥ったヒーローが応援部隊の回収及び医療班の到着を待機する場所として用いられる。
視界が真っ白だった。死ぬんだと思った。突如、天と地がひっくり返ったのかと思えば、押し込められるようにして転がり込んだ一室。まさかここが座学やマップ上でしか存在を認知していなかったシェルターだなんて思いもしなかった。二人を放り込んだ同い年でメンターは、かなり支離滅裂な事を言っていたと思う。怒っている、無計画な馬鹿だと。罵っている、役立たずは消えろと。それなのに勝手に死んではいけないと重ねて言いつけてきた。加えて、ヒーローだろ、とも。
ビリーくんがシェルターの備品である通信機で何かやり取りを始める。グレイは、大人しく耳を傾けた。
「───────。───────ビリー・ワイズとグレイ・リヴァースの外傷については以上です。先程も申し上げた通り、───────。────っ保護した子供は怪我をしています。早急にこちらへ応援の采配をお願いします。…………司令、」
ビル影に身を寄せていた子供を庇ったビリーは瞳に外傷こそ見受けられないものの、固く閉じられたままだ。司令部へ掛け合うも、冷静さ以外にも焦りが混じる。
「───────。了解。では───────。」
司令部とビリーくんとの間で交わされる通信の張り詰めた雰囲気に耐えられなくなったのか、少年は大粒の雫を零して嗚咽を漏らす。足を引きずり、彼の元へ向かった。備品の中で見つけた小箱を携えて。
「こんな格好でごめんね。良かったら君のお名前、教えてくれる?」
「…………。……ルイス、」
「ありがとう、ルイスくん。…今日は家族と居たの?」
「……うん……。」
潤み震えた声で、懸命に零す。不安だろうに。彼はたどたどしくはあるが母と姉と来たのだと教えてくれた。
「今、僕達の仲間が…ヒーローが戦ってるんだ」
「ヒーロー?……お兄ちゃん、ヒーローなの?」
「そうだよ、こんなボロボロで格好つかなくてごめんね。…お兄ちゃんよりもっと強くてかっこよくて、頼りになる仲間が、外で頑張ってるんだ。もう少ししたら家族と会えるから…だから、それまで僕達と居てくれるかな?転んだところも、見せてくれる?」
「……うん、いいよ」
「染みるかもしれないけど、頑張れるかな」
「うん…っ」
歳は九つくらいだろうか。蒼白としていた顔は話をしているうちに落ち着いてきたのか震えはとまり家族や兄弟の話をしてくれた。
「グレイ、」
通信を終えたビリーくんの面持ちには落胆の色が見える。どうやら、良い返事は貰えなかったみたいだ。
地上の戦闘は目に見えて激化、敵個体は数が多く強度もそれなり。以上の戦況を踏まえて、AAAから上でないと救援は送れない、イーストセクターのAAAヒーローやメジャーヒーローに空きはなく、急遽他セクターへの要請をしている最中。目処がつき次第追って通達する。続報を待て、との事らしい。
「ボク、帰れる?」
「もちろん!ヒーローなお兄ちゃん達がちゃーんと送り届けるヨ☆」
「ホントに…?」
「にひ、ホントホント〜!オイラ嘘つかないもーん♡」
程なくして、疲労からか少年は意グレイにもたれかかったままふっと意識を手放すように目を伏せた。
「……この子、額切れてるせいで見た目は痛々しいけど、傷は浅い、と思う」
「酷くないみたいで良かった。……サンキューグレイ。俺、目はこんなだし、彼も震えたまま何にも話せなくて、…正直お手上げだったんだ」
言葉のとおり、両手を竦めて手をひらひらと振る。弱々しい声で、来てくれてありがとう、とグレイに凭れた。
「心配、したんだよ」
「…………ごめん」
現場に到着して間もなく、余りに取り残された市民の多い事を悟ったジェイさんの元下された指示に従い二人は取り残された市民と共に後衛までの撤退、その殿を任されていた。派手な音がそこら中で聞こえた、腰を抜かしロクに歩けない者、家族と離れてしまったと泣き叫ぶ少女の姿。グレイが出来るのは、火の粉を払うことと声をかけ手を貸す事だった。
これ以上被害範囲を広げない為の防波堤、即ち後衛の部隊の姿を視界に捉え安堵したのも束の間。同じく殿を任されていた彼が、再度渦中へ向かって行ったのだ。抱いていた泣きじゃくる少女をグレイへと預け、有無を言わさず粉塵の中に消えた。───確かに彼は優秀だ、グレイよりも実戦経験に富んでいるし、何事にも卒がない。要領だっていい。……卒がない?自分より優秀?それだけでは彼を送りだしていいわけが無い─────、
「理由は、…この子のお姉ちゃんから聞いた」
「うん」
「…追いかけてきておいてボロボロの僕にビリーくんを叱る資格なんてないけど、」
「……。」
「怒ってる、から」
コンクリートに鋼が這うような音がする。ドゴン、日常ではまず聞かない爆発音がけたたましい。凄まじい揺れで、寄りかかっていた子供がズルズルと地面に横たわった。脇に手を差し込んで起こそうと力を込める、ふと、彼の呼吸に違和感を覚えた。額に手を当てる。
「…! ビリーくんっ、この子、熱がある」
「! このシェルター、解熱剤は?」
「特務部で扱うようなのはあるけど、小さい子供に飲ませられるようなものは………」
元々高い体温が更に上がっているのだろう、熱を逃がすようにふうふうと少年は呼吸を繰り返す。
「もし、持病があれば命にも関わるヨ。…どうにか後衛まで下がれればいいんだケド」
「もう一度司令部に、」
「あれ、これ……この子のスマホ、かな」
彼の上着のポケットには、スマホくらいの膨らみがあった。取り出すと、可愛らしいデザインの端末の端からぷらん、とマスコットのストラップが下がっている。それも、いくつもいくつも束になって。
「!」
「グレイ?」
「……ビリーくん、やっぱり早くこの子を連れて出た方がいい。持病がある可能性が格段に上がった、から」
「このストラップは?」
「オリーブアベニューから一番近い大きな病院、僕の母さんも入院していた事があって。お見舞いに行くときに、パジャマ姿の子供たちがこぞってこういうストラップを自慢しあってたんだ。……確か、入院している十歳以下の子供が季節のイベント毎に貰えるんだよ。ハロウィンならオバケの仮装をしたマスコット、クリスマスならサンタの格好をしたマスコット」
「…なら、この子のは」
スマホから伸びたストラップ。ケーキを抱えたマスコットは幸せそうな表情を浮かべている。
「多分、誕生日。それが五つもってことは、長いこと病院に入院しているんじゃかいかな…」
「……お兄ちゃ、ん」
「! ルイスくん、大丈夫?お兄ちゃんのこと分かる…?!」
「わかるよ、…だいじょうぶ、しんぱい、しないで…少しつかれると、いつもこうなんだ…。」
「ねえルイス、ルイスはいつもは病院にいるのカナ?」
「…っ」
いよいよ話すのも億劫なのだろう、力なく頷く少年は痛々しくて。…そろそろ効いてきたか、と手をついて両の足を踏ん張る。よろめきつつも、今度こそグレイは立ち上がった。
「……っ!」
「グレイ、その足じゃ…!って、あれ?」
「うう…ちょっとビリビリする…かも」
けど、痛みは嘘みたいにない。何度かその場で足踏みをする、この調子なら…!
尋常じゃない違和感を覚えたが、火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。恐怖心はなく、ただ次のことばかりを考えていた。
シェルターの備品として異彩を放っていたロック付きのボックス。エリオスの人間にしか開けられないそれの中から、厚みのある注意書きと錠剤が数束。少年の手当をする前に服用したそれが、ようやく効いてきたのだ。
「オイラも一度この痛み止めの世話になったけど、薬きれた後が地獄だから常飲をオススメするよ…」
「え、そうなの?」
強烈且つ副作用なし、という優れものに見せかけたそれはその実、本来受ける痛みを遮断しているだけで、薬さえ切れてしまえば痛みは戻ってくるどころではなく負債(痛みを遮断しているうちに無理をしたツケ)のオマケ付きだ。
「あは、はは…後の事は、後の自分にツケておこうかな…?」
「HAHAHA☆オイラもそうする!…帰ったら仲良く医務室直行だね?」
「その時は、…そうだね、退屈しないように同室にしてもらおうか…?」
「賛成〜☆」
ビリーが少年を片腕に抱き上げる、もう片方の腕はグレイが引いて歩いた。
「───地上での事、どのくらい覚えてる?」
「まず、人数は少ないけど強さは段違い。陸個体の兵器、あれは数は多いうえ一体一体の強度は疎らで読みずらかった。───あとは、ごめん。避けることばっかり考えて動いてて、あとはこのザマだから」
「充分だよ、ありがとう」
ここまで必死に駆けてきた。思い出せ、思い出さなければ、ダメなんだ。頭上から轟く音は相変わらず。…頭上?そうか、上は確か、
「────飛行型の個体、見かけた?」
「! 見てない!」
「今日はよく晴れてるし、空に敵が居たら地に落ちる影を見ていたり、羽音やモーター音が耳に残ってるはず、だもんね」
突破する糸口を掴むも、グレイは言い淀む。曖昧に語尾を濁していると、彼は不敵に笑った。
「陸がダメなら空に、ってネ。オイラそういうの大得意♪」
「…で、でもっ、待って。それだとビリーくんに負担が多いし、何よりその目じゃ、」
「はいグレイ、このゴーグル貸してあげる。どーぞ」
「一体何を、」
「やるったらやるの〜っ!グレイだって、さっきは立てないくらいの足だったのに、オイラだけ出来ませ〜ん!なんて」
「ビリーくん……っ」
「これはね〜こう使うんだヨ〜」
ビリーくんは手探りでグレイにゴーグルを装着する。髪を巻き込んでいる、斜めで不格好な出来に満足そうに笑った。
「俺の目になってよ、グレイ」
「は、」
「いつも僕ちん、グレイの指示で霧の中で自由に駆け回るでしょ?その要領でいこう。…大丈夫、絶対間違えないカラ。オイラは自由自在のアバター、コントローラーはグレイ自身。何か質問ある?」
そんなことが、出来るだろうか。コンビネーションの訓練は日頃からしている、息は合う方だと思う。けれど、
「このゴーグル、なんと遠近自由自在☆一キロ先でおすわりしてるワンちゃんの犬種だって分かっちゃうんだから!操作方法はつかって覚えてネ、そういうの得意でしょ?」
「そんなの、」
片方の手をぎゅ、と力強くにぎられる。ボロボロで、血豆とささくれだった皮膚の感触。けれど確かに素手から伝う熱が、ビリーの背中を押し、グレイの手を引いた。
「……分かった、やる。……ビリーくんの目になる」
「そうと決まれば即行動!僕ちんは司令部、グレイはジェイかパイセンと連絡とって」
「うん。……そのあとは、」
「当たって砕けろ〜、ってね」
「…。」
「うわ、冗談なのに〜!そんな恨めしそうな顔しないでヨ〜!」
「見えないんじゃなかったの…」
「見なくたってわかるよ、グレイさっきから凄い怒ってる」
「怒ってないよ。…心配してるだけ」
「にひ、余裕だネ?何気にグレイの方が大役だと思うんだけど。僕ちんの心配なんてしてる暇あるの〜?」
「そ…れは、」
「その点オイラはグレイを信じて飛ぶだけだからね、」
信じるなんて、これまで数える程しか口にした事がない気がする。それもそうだ、本心から口にしたのは、これが初めてだから。
損や得を排して、時には嫌な役回りを引いてしまうほどに正直者。けれど、そんなグレイだからビリーは惹かれたのだ。
────帰ったら伝えたい事があるんだけど。そう言うと、グレイは聞いたことないくらい声を荒らげてビリーを非難した。
「そっ、そういうのフラグって言うの…!!帰って、ちゃんと生きてなかったら、怒るからね…?!」
「それは俺もだよグレイ。…死んだら、口聞いてあげないからネっ」