話をしよう
後にも先にも、友人の胸ぐらを掴むなんて行為はこれっきりだ。そう、今、その場限りの衝動である。そもそも友人が数える程居ない真実はこの際置いていて欲しい。荒事を好まないグレイは初めての感情に戸惑いつつも、突き動かされる。
「んむ、」
「っ!」
乱雑に引き寄せてしたキスは、果たしてキスと呼んで差し支えないものだろうか。触れた、と言うよりは当たったの方が正しい。それだというのに、自分の意思で行った行為に対する羞恥が湧き上がり顔に血が集まるのがよく分かる。
───無理だ!と思った時には既にその場から逃げ出していた。通り魔もびっくりの犯行である。言い逃げならぬキス逃げ。当の被害者、ビリーになんて言い訳をしよう。友達じゃなくなってしまう、嫌われてしまう。最悪ばかりが頭を支配する。
ちょっとした意見の相違から発展した、喧嘩にも満たない言い合いだった。互いを友人以上に想っていながら一線を保つビリーと、そうでないグレイ。
「直接的な事を言うけどさ、キスとかセックスとか、オレと出来るの?」
六つも歳下の彼から放たれた言葉に、カチンときたところまでは覚えている。あとは身体が勝手に動いていた。好きな人から自身の思い、好きを否定されたみたいで耐えられなかったとはいえ、本人の同意も得ずにするのは良くない。謝らなければ、でも、もう顔も見たくないって、友達でもなんでもないって言われたら?
「あれ、グレイ?」
時刻は既に深夜、十二時を回っていた。居住区はある程度消灯され薄暗く見通しが悪い。無我夢中でたどり着いた同フロアのブレイクルーム。そこで蹲るグレイに声をかけたのは、私服姿のフェイスだった。彼はわざわざヘッドホンを外し視線を合わせるようにしゃがみ込む
「具合が悪い…わけじゃなさそうだね。良かった、何事かと思ったよ」
「ご、ごめん!こんな所で…!勘違いさせちゃうよね…」
「別に、何も無いならそれでいいよ。それに、知ってる後頭部だったから声掛けただけだしね」
「知ってる後頭部…?」
「ほら、グレイって結構謝るでしょ。だから」
「な、なるほど…?」
未だ互いにしゃがんだままなのは、何故だろう。フェイスはすぐに行ってしまうものだと思っていたが、そうではないらしい。じゃあこれで、と別れてそのまま部屋に帰ることも出来ないグレイは立ち上がるタイミングを失っていた。
「ビリー」
「!」
「アハ、当たり?」
何の前触れもなく名前を出したにも関わらず、過剰に反応するグレイにフェイスは甘く微笑んだ。
「ね、グレイ。グレイはビリーに泣かされてばっかりなの?」
否定は出来ない。彼のことで情緒が馬鹿になるのは先程の一件で証明されている。ただし、泣かされているのではなく、勝手に泣いているが正しい。訂正、しなければ。そう思うのに、上手く言葉が紡げずにいる。
「俺が言うのもどうかと思うけど。ビリーは悪い男だね」
「?」
「こんなに好きな子泣かせてさ」
いつの間にか鼻と鼻が触れるほど近付いていた事に気が付く。あれ、なんで、こんな──、
「───悪戯が過ぎるよ、DJ」
「そういうビリーは独占欲が過ぎるんじゃない?」
「…。」
「そんな怖い顔しないでよ。グレイ、今にも死にそうな顔してたからそばに居ただけ。何か問題あった?」
あまりにも含みたっぷりに言うものだから、枕詞に『恋人でもないのに』とでもきこえてきそうだ。初めての友達であるビリーとの距離感を基準としているのか、グレイは意外とパーソナルスペースが緩く設定されている。故に、知り合いの範疇であればいとも容易く懐に入り込むことが出来るだろう。フェイスにその気がないと分かっていても、視界に入った瞬間腹の底が煮えるのが分かった。思考は相反し徐々に冷えていく。
フェイスはそれ以上何も言わずに踵を返し去っていった。残された二人の間には相変わらず沈黙が我が物顔で居座る。
「ごめん、グレイ」
「そんなっ なんで、ビリーくんが謝るの…!悪いのは、」
「オイラだよ」
「そんなわけない…だって、僕、勝手に…っ」
「…夢にまで見たんだ、さすがに拗らせてるなって、引いた。それだっていうのに。グレイはやってのけちゃうんだもん」
「?」
「キスだよ。強引に、ちゅ!ってさ。さっきの、めちゃくちゃ嬉しかった。…ううん、違うな。ちゃんと謝らなきゃ。さっきは、…グレイを煽るような事言ってごめん。期待半分、もう半分は、さっさと引導を渡されて、楽になりたかった」
直接的な物言いで想像させて、無理にでも脈をはかるみたいな姑息な手段を使った。結果的に、好きな子を泣かせる最低男になってしまい、こんなのは悪手中の悪手だと思い知る。
「オイラの好きとグレイの好きは、温度が違うと思ってたんだよね」
欲に塗れた好きとおおよそ友情の延長線上の好き、たとえ付き合う事になったとしても果たして好きが釣り合う日は来るのだろうか。やっぱりそういうのでは無かった、友人としてのビリーだけで充分だと谷底へ落とされる日を怯えて過ごすくらいならいっそ、
「ビリーくんの、好きは…」
「うん」
「キスとか、もっと凄いこと、するやつだよね…?」
「そうそう。こういう風に触りたいし、触って欲しいやつ込みだよ」
言葉に比例しするりと指と指を絡めて下心を込め分かりやすく触れると、グレイ肩が目に見えて揺れた。
「…怖い?」
「そんなわけ、ないよ」
ビリーが見せつけるように絡めとったはずの指は、グレイの意思でぎゅっと隙間なく握られていた。
「怒るよ、僕」
「へ?」
「流石に、そのくらいの分別は付く」
「…グレイ?」
「ビリーくんに、そういう事されるの、考えて…一人でシてた。ね、友達だけなら、こんな事、しないし、思わないよね…?」
ビリーの脳内でファンファーレと爆発音が同時鳴る。してた、何を??野暮な事を聞くんじゃないとすんでのところで思いとどまる。
「…それでも、やっぱり僕の好きと、ビリーくんの好きは温度が違うと思う…?」
「〜〜っグレイ…!」
「へ?」
六つも歳上の、同僚で、友達で、想いを寄せている彼からの熱烈なアプローチに脳の正常な判断を下す神経が焼き切れそうになる。
「勝手に違うって決めつけて、距離をとろうとして…ごめん」
「…ん」
「好きなのに、離したくないのに。いざという時は傷付くのが怖いってだけでグレイの愛を疑うんだ。どう?ずるいでしょ?」
「いいんだよ。その時は…また喧嘩しよう。たくさん話して、…夜が明けたっていい。分かるまで話すんだ」