ごめんね。いいよ。が、できるまで。 口をつけようとしたカップの縁に目を落とし、
「あっ、欠けてる」
飲むのをやめた監督生が、カリムと俺の手元を覗きこむ。
「おふたりのティーカップは大丈夫ですか?」
「ああ、問題ないぜ。大ぶりでいいな、この茶器」
「本当か? よく見せてみろ」
息つく間もなく唇をつけようするカリムの手から奪ったカップにも、俺のカップにも傷などついていないことを確かめて、問題ない、と頷けば、
「ちょっと、自分の取り替えてきますね」
欠けたカップを手に談話室を出ていった。
家主がソファから立ち上がっても、扉を開けて閉じても、不快な音など聞こえない。
カリムと俺とは目を交わし、
「よかったなあ!」
「……よかったな」
リフォームの成果に同じ感想を漏らす。
ああ、本当に良かった。『S.T.Y.X.』襲来のおかげで——と言ったら因果が逆転してしまうが、不必要なまでに華美な内装によってVDCの報酬を費やされることなく、至極まっとうな、暮らしやすさ優先のリフォームとなって。
何故だか、今日の談話室には軽音部の壁や床が投映されていて、先輩がたの声が聞こえてきそうな落ち着かなさではあるが……それも、監督生なりのもてなしなのだろう。
「うーん、でもやっぱり……」
しかし、慣れ親しんだ空間を用意してもらったはずのカリムは、物足りないような目つきで天井を見上げる。
「あった方がいいと思わないか? あの辺にさ」
「またその話か」
「だってさあ、これじゃあ部室とそっくり同じだろ。オリジナリティってもんに欠けるよ」
「オンボロ寮のオリジナリティは、監督生とグリムが作り上げるからオリジナルと呼ぶんだ」
「そういやグリムはどこいったんだ?」
「監督生と一緒だろう。ドアが閉まる間際、隙間からスルッと出ていった」
「はは、ちょっとわかるかも。その気持ち」
きょうだい達の甘える姿でも見たかのように笑ったかと思えば、淡いカーディガンの袖が、俺の袖にくっつく。
こちらにもたれかかるでもない、かといって離れもしない。だから俺も、突き放すわけでもなく応えるわけでもなく、放っておくことにする。
すぐに二人が戻るかも知れないのだ、その腕をとってやるほど優しくなれないのは、冷淡さからじゃない。まあ、あの運動場で、芝の上に突き倒し馬乗りされたことを思えば、可愛いものだ。いや、可愛いって、そういう意味じゃなくて。
「って、聞いてたか人の話!」
「へぁ?」
と、あいつの手にあるスマホが目に入り、放置するつもりが声をかけてしまった。その指先がスイスイっと遷移した画面では、豪奢なシャンデリアが輝いている。
「これ、花の街の職人が三年がかりで製作したんだってさ。こっちは老舗の工房が手がけたアンティークだ。みんな綺麗だよなあ。ジャミルはどれが好きだ?」
「そうだな俺は……ハッ、俺の好みはどうでもいい!」
「お前の見立てなら間違いないだろ」
「うっ、んん、じゃなくて、この部屋にシャンデリアは必要ないって何度言ったらわかるんだ」
「そうか? こうして来客の応接にも使うってのに、教室の照明そのまんまが映ってるんじゃ味気ないんじゃないかな」
「魔法の投影機を使い慣れてないだけだろ、そのうちすぐ、好きに調整できるようになるさ」
「んー、そうだ! じゃあ、新しいドアはどうだ? ほら、さっきみたいにグリムが監督生を追っかけてっても危なくないように、ド派手な魔獣用の出入り口もつけてやろうぜ!」
「無理に捻り出さなくたって、寄付ならもう使い切っただろうが」
「VDCの寄付とは別だ」
「どう別なんだ」
「それは、みんなを……ジャミルを、助けにいってくれた礼だ。あいつ、ろくに魔法も使えないってのに」
「そうだな、ろくに魔法も使えない奴に助け出してもらった覚えは、俺もない」
フン、と鼻息をひとつ吹いて、飲みかけの紅茶に口をつける。
俺たちがどれほど魔力を使い果たして生還したのか知りもしないで。いいや、見ただけでも充分なくらい泣き喚いてたくせに。喉元過ぎればなんとやらか、礼だなんだといい気なもんだ。大ぶりでいいと褒めていたこの茶器だって、お前が見慣れないだけの安物じゃないか。
「どうせ買い与えるなら、この手の日用品がいいんじゃないか。せっかく建物がまともになったのに、欠けたり割れたりオンボロばかりじゃ不釣り合いだろう」
悪態含みの所感を口にしてから、しまった、と息を呑んだ。しかし時すでに遅し。
「さすがジャミルだ! すぐに食器ぜんぶを入れ替えさせよう! タオルやリネン類も要るよな、器にふさわしい中身にしてやろうぜ!」
俺をみつめる瞳はキラキラ輝き、今にも駆け出さんばかりに燃えている。
「違う違う、アドバイスしたんじゃない、嫌味だ」
「いやみ?」
「そうだよ、寮の名に相応しい茶器を皮肉っただけだ」
「なんでそんなこと。嘆きの島まで、身一つで飛んでいってくれたってのに」
「自力じゃ飛べもしない身一つで来られてもな」
「命懸けの思いやりだぞ!」
「思いやりで命が助かるわけじゃない」
「ひどいぞジャミル! そんなに感謝できないって言うんなら、お前の分もオレが礼をするまでだ!」
「俺の感謝を勝手にするな!」
お人よしすぎる頑固な言い分に一つ言い返すたび、むしゃくしゃしたものが積み重なる。腹の底から積み重なったものは、言うつもりじゃなかったことまで喉の奥へと押し上げた。
「ああ、そうだな。俺はお前の従者で、スカラビアの副寮長だ。たしかにお前には、『俺の分』まで礼をしなけりゃならない義務があるってわけだ」
「ジャミル……っ!」
さすがに今度の皮肉は通じたらしい。フードの喉元に掴みかかったカリムは、尊敬からじゃない火を瞳の奥で燃やしている。
じっと覗き返せば、手に取るようにわかる。監督生を侮辱したこと。カリム個人の感謝を義務にすり替えたこと。何より、それらを口にしてのける俺への怒りだろう。
あいも変わらず、愚直で単純なことだ。その火の底で揺れている悲しみが、みるみる瞳の上を覆っていくところまで、そっくりそのまま、幼い頃と何も変わらず——
「ジャミル……!」
柔らかく小さな手が、俺の襟首を掴んで引き寄せた。
赤い瞳には、いっぱいの涙。
父親や、屋敷で働く大人に叱られるときとは、比べ物にもならない。仔犬が吠えるのにすら敵わない威圧を、俺は鼻で嗤う。
「なんだ、殴るのか」
「っ、殴らない、けど、」
「遠慮するなよ。そんなふにゃふにゃの手じゃ、痛かないぞ」
何がきっかけだっただろう。旦那様にでも言いつけられたら、家族まとめて消し飛んでしまうことにも思い至らず煽れるぐらい、俺も幼かった頃だ。
今よりもっと丸くふわふわなほっぺたを、もっと丸く膨らませて、カリムは唇を引き結ぶ。口を開けば、言葉より先に涙が溢れ出てしまうからだ。もとより、罵る語彙なんて持ち合わせていない。それもまた、今になっても変わらない。
言い返せないのがわかってるから、俺は安心してカリムに言い募ることができた。
どんなこどもより上等な服を着て、ふわっふわの手指には傷ひとつない。そんなカリムが、ただ睨みつけることしかできないのが、当時の俺にはよほど嬉しかったとみえる。
それが子供部屋だったのか、屋敷のどこだったのか、記憶そのものはあやふやなのに、あいつの身なりや表情は、非力な手指の皮膚すらも不思議なほどくっきりと思い出せた。
ひよこみたいにぱやぱやした髪を整えられた小さな頭の中は、俺などの言動でいっぱいだ。ちいとも怖くない大きな瞳を涙で煌めかせ、俺だけに激情を注いでいる。共に過ごしてきた人生の中で、数えるほどしか見たことのないカリムがそこにいた。
——いいや、そうだ。こんなカリムの顔を見たことは、とんとなかった。あのウインターホリデーまでは。
「カリム様、いかがされました!」
飛んできた父の声で、その恍惚はかき消えた。
「ジャミルが申し訳ありません、何をしでかしましたか」
状況を聞きもせず、俺を引っぺがすようにして割り込んだ父が、情けなく膝をつく。罪人のように頭を垂れて。
掴んでいた襟を失った手は、綿毛みたいに頼りなく空をかき、けっきょく自分の服を握りしめた。
父親の肩越しに見るアイツの顔は、くしゃくしゃだった。
あんなにもこぼれ落ちそうだった涙を一粒もこぼさずに、くしゃくしゃの顔をして、
「なにもしてないぞ」
笑ってるみたいに明るい声音を振り絞っている。
「カリム様……」
「ジャミルは、なにも、してないぞ。ほら、このとおり、」
そうして父の向こう側から俺に手を差し出してきたのだ。
「な。ジャミル、あくしゅ!」
——ケンカのきっかけを、思い出した。
それはカリムの部屋へと向かう途中、階下から聞こえてきた怒声だった。
バルコニーから見下ろせる中庭を覗くと、片隅で使用人同士が言い争っている。どちらが先にぶつかっただの、わざとじゃないだの。聞きかじっただけですぐわかる、つまらい諍いだ。
「仲直り、できるかな」
心配げな声に振り返れば、カリムも俺の背後から柵の外を覗きこんでいた。剣幕に驚いて、子供部屋から出て来たらしい。
「お前が気にすることないさ」
「オレにできること、ないかな?」
「ないない、ほっとけばいいよ」
「でも……あっ、そうだ!」
この後で俺の胸ぐらを掴むことになる、ふわふわの手と手をパチンと打って、あいつは赤い瞳を輝かせた。
「仲直りのチュー、させようぜ!」
「は?」
「きょうオレ、とーちゃんとかーちゃんと一緒に朝ごはんを食べる約束しててさ」
「なんの話だよ」
「だけど、大切なカイショクが入ったからって、オレ、ひとりで食べたんだ。朝ごはん」
しょぼん、と肩を落として見せるカリムは、俺の質問なんか聞いちゃいない。一人って言ったって、給仕や子守りの使用人たちに世話されて美味しいものを食べたに決まってるのに、大袈裟なことだ。
「みんなが励ましてくれたけど、オレ、胸んとこがモヤモヤ〜ってして、あんまり食べられなくってさ。とーちゃんとかーちゃんに会えてからも、うまくしゃべれなくて……でも、ごめんねって、仲直りしてくれるかって、チューされたら、ふふっ! すぐ元気になったんだぜ!」
ほら、この通り! って、くるくる回ってみせる満足そうな顔ときたら。単純すぎて、ほとほと呆れてしまう。
「お前、そんなのされて嬉しいのか? 自分の親に?」
「されるばっかりじゃないぞ! オレも『いいよ』ってチューのお返しして、二人もニコニコ元気になったんだ。だからアイツらだってきっと、すぐに仲直りできる!」
「はああ〜? そんなので仲直りできるわけないだろ」
「できる! こないだおとうとを泣かせちまったときも、オレがゴメンのチューしたら、アイツ、すぐに笑ったんだぜ!」
「バカだなあ、生まれたばっかりの赤ん坊が、ゴメンの意味をわかって笑うわけないだろ」
「むうう……だけど、」
「ははっ、お前も赤ん坊とおんなじってことか。だから、そうやってご機嫌をとられておしまい、ってわけだ」
あからさまな嘲笑を受けて、カリムの頬がぷうっと膨らむ。それがおもしろくて、俺はいよいよ言い募る。
「仲直りなんてフツウは握手くらいなもんだろ。旦那さまと奥さまはトクベツとしても、仕事仲間や友達はさ」
「握手くらい、オレだってしたことあるぞ! はじめましてのあいさつだ」
「そりゃ、挨拶でするときもあるけど……ほら、子供同士ケンカしてたら、大人は握手しろーって言ったりするだろ? あ、カリムは知らないのか。『ゴメンのチュー』で誤魔化されちゃう、赤ちゃんだもんな」
「ジャミル……!」
甘やかされてるだの、無知だのと貶し続ける俺の襟元に、とうとうカリムの手が伸びた。ぷくぷく膨らんでいってたほっぺたを真っ赤に染めて、声にならない息を鼻から吹きだして。
あのとき、あいつはバカにされて腹を立てたのだと思っていた。俺自身が明確に、バカにしてやろうと意図して嘲ったからだ。
両親からわかりやすい愛情をもらっていること、あっさり矛を収めてしまう善良さも、出てくるに任せた成り行きの憎まれ口だった。親に言い含められたというだけでなく、彼らが暮らしているのはそういう家庭なんだと、幼くても俺は肌身で感じていた。
ただ、自分が取るに足らないもののように扱われたとき腹がたつように、カリムを軽んじてみたかっただけだ。侮辱を返すことのないカリムは、鬱憤ばらしに打ってつけだったから。
オンボロ寮の、オンボロではなくなったソファの上で、あのころよりは大きくなった手が俺の胸元を握りしめている。
引っ掴んだはいいが、罵倒も侮蔑も出てこない唇を、ムン! と結び、燃える瞳を潤ませている。
そうだ、あの頃も今も、コイツは変わらない。
赤ん坊だとからかわれて、腹をたてたんじゃないんだ。両親からの愛情を、弟との絆を、侮辱されたからそれだけでもない。
吐き出される嘲りに、俺とカリムはキスどころか、握手でも仲直りをしたことがないことを……仲間や友達ではないことを感じ取ったからだったんだ。
やすやすとそれを口にできる、俺の薄情さを。
スルーを決め込むはずだった淡い色の袖を、細っこい腕ごと掴む。カリムが握りしめていた絹の子供服も、こんな色だった。髪に巻いているターバンに似た、細やかな刺繍もされていた。はっきりと思い出せる。「仲直りの握手」に応えることなく、逃げるようにその場から駆け出したことも。
そんなの知らなかったくせに。
教えてやったのは俺なのに。
掴みかかってきたのはお前の方なのに。
悔しさとも、怒りとも割り切れぬ感情が渦巻いて、家に帰りつくまで脚が止まらなかった。カリムを残して俺を追いかけるわけもない父に、その夜はくどくどと小言を言われたっけな。
もしも父が来なかったら、俺たちはどうしていたんだろう。
もしもカリムの手を掴んでいたら、どんな感触がしたのだろう。
おさまらない激情に昂り、ひどく熱かったのか。それとも、父から俺を守るという決心から、冷たく震えていたのだろうか。
あのときカリムは俺のために、赤ん坊をやめたのだ。やがて俺が、本心を明かさなくなっていったように。
かえって惨めな気持ちにさせるなんて、思いもせずに。
「なんだ、殴るのか」
記憶の中とは違ってしまった声で、俺はあの煽り文句を口にする。
言い返そうとしたのか、迷うように緩みかけた唇は、またムンと結ばれた。強情なことだ。
「シャンデリアに反対されて腹がたったか? オンボロ寮を貶したからか? それとも、監督生を馬鹿にしたことか」
宣言した通りに遠慮なく、燃える火に油を注ぎ続ける。カリムの口を開かせるためのはずが、言葉を重ねるだけで胸が清々してきた。このまま、洗いざらい代弁してやろうか——そんな誘惑に駆られる胸ぐらを、あいつは両手で強くつかみ直す。
「違う! オレはジャミルが……!」
「俺がなんだよ」
「ジャミルが無事だったから、嬉しいだけなのに!」
「なのに?」
「なのに、オレは、ジャミルが、ジャミルだから大事なのに、それをお前は……お前は……」
「なんだ、早く言えよ。単純さだけが取り柄かと思っていたが、自分の気持ち一つも正直に言えないのか」
「く……っ」
「俺がお前の従者だからか。主人だから、寮長だから、怒りに任せて怒鳴りつけたくはないってことか。馬鹿にしてるのはどっちだよ!」
焚き付けても焚き付けても煮え切らないもどかしさに、言葉尻が強くなってしまう。とうとうカリムの目から、たたえ続けていた水がこぼれ落ちた。
「馬鹿になんかしてない!」
「だったらはっきり怒ればいいだろ、ホリデーの時だって、俺を殴るとか言ってたそうじゃないか。いい機会だ、ほら」
「うー……っ」
「どうした、泣いてばかりで、まるで赤ん坊だな」
「殴ったら痛いだろぉ!」
「痛くなかったら殴る意味ないだろ」
「それでもオレは、ジャミルが傷つくのはイヤだ!」
「馬鹿にするな、お前の拳ごときで傷つくものか!」
「馬鹿になんかしてないって言ってるだろお! オレ、オレ、よく考えないでお前を傷つけるのはもうイヤなんだよお! わかってくれないのはジャミルの方じゃないかあ! わああん!!!」
「そうだよ、そうやって素直に俺のせいにすればいいんだよ!」
「わああ……へ……っ?」
わんわんと溢れさせていた涙でぐしゃぐしゃになった顔が、きょとんと間抜け面に変わる。
「殴りたきゃ殴ればいいし、言い返したければ言い返せばいいんだよ。そんなふにゃふにゃの手なんか、痛くないって言っただろ」
「え、ジャミ、……ぶっ!」
いつかの悪態を投げつけて、涙で濡れる薄い唇に、唇を押し当てた。言わせたかった言葉で、これまでなら出ることのなかった言葉で、ようやく俺の胸も晴れていく。
「……ん、ぇ……っ、……なんで……」
「お前が教えたんだろうが、仲直りするときにするんだと。覚えてないのか? 悲しいよ」
「あっ、まっ、ちが、そうだ、お返し……っ」
慌てふためいたかと思えばすぐさま、にやけた口を尖らせ突き出してきた。突っぱねるようにして、濡れた顔ごと押しのけてやる。
「なんで!」
「しーっ、監督生たちが戻ってくる!」
近づく足音。居住まいを整え、叩かれるだろうドアの音へとそばだてた耳に、ふわ、と呼気が吹きかかる。
「……んじゃ、スカラビアに帰ったら、な」
ゴシゴシ荒っぽく拭ったかと思えば、ほくそ笑んだ目元のつやに気を取られ、ノックに応えるのが遅れた。
感情のままに泣こうが怒鳴ろうが「ごめんねのチュー」で誤魔化されてしまう単純さを、思い知らせてやったはずなのに。
目を白黒させてうろたえるお前を、俺が見るはずだったのに。
「おーい、もういいぞ!」
「あ、ああ、どうぞ」
答えればすぐにドアが開き、
「大丈夫ですか⁉︎」
転げるように飛び込んできたのは、血相を変えた監督生だ。
「なんだ、ただのケンカか? また襲撃かと思ったんだゾ」
「グリム! 笑えない冗談!」
ケタケタからかってくるグリムの頭に、ぽこんと軽いゲンコツを当てる。出ていく前と変わらぬ軽音部風の室内と、ソファに座ったままの俺たちを見回して、ホッとしたようだ。
とはいえ廊下まで漏れていたのだろう諍いも、カリムの濡れた目も赤くなった鼻も、誤魔化しきれはしないだろう。肩をすくめ、
「すまない、騒ぎたてるつもりはなかったんだが……やれやれ、血の気の多い奴は嫌になるよ。……どうして俺を見る」
言い訳する俺に、カリムも調子を合わせる。
「ごめんなあ、そんなつもりじゃなかったんだけど……戻ってきてくれて助かったよ。ありがとな」
監督生もグリムも、カリムに負けず劣らず単純なものだ。「大丈夫ならいいんですけど」と、安心した様子で腰を据えたらもう、グリムやゴーストがキッチンで起こしていたというハプニングの顛末をにぎやかに語りだした。
へえ、だの、あはは、だのと上機嫌で相槌を打つ横顔を改めて見れば、わんわん泣いて乱暴に拭ったせいで、アイメイクが滲んでいる。みっともないばかりで、ひとかけらの色香も残ってはいない。小言の一つや二つや三つも言いたいところだが、平静を貫けなければ負けに思える悔しさから押し黙る。
もう冷めてしまっただろう紅茶に手を伸ばしたら、揃えたみたいに、ひとまわり細い手指も自分のカップを取り上げた。
「そうだ、この茶器さ」
「ゴホン! カリム、その話は帰ってからだ」
「えっ、そうなのか?」
「そうだ。あれもこれも全部、帰ってからな。だろう?」
「お、おうっ! そうだな、えへへ……」
これから先も、「仲直り」と称してこの手を握ることはないのだろう。
隣でカップを傾けるこいつに、言葉のままそう告げたって、含んだ意味など伝わらないに決まっている。けれど、意味が分からずともその胸を鳴らすことはあるかもしれない。赤子のように幼くても、言外の意を感じ取り深く傷ついたように。
「ふ、楽しみだ」
「へへへ」
そして俺の胸にも、あの恍惚とした気分が戻ってくるのかもしれない。このおしゃべりの後で、俺たちのスカラビアに帰ったら。
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共通お題:「思い出」
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