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    aruhcs_0808

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    aruhcs_0808

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    質屋さんパロの冒頭です

    #鯉月
    Koito/Tsukishima
    #原稿
    manuscript

    質流れの男一.
    入ろうか入るまいか。まるで色街の「行こか戻ろか思案橋」のように心の中で口ずさみ、硬い表情で入ってくる者もいれば、もはや貧乏が当然のように堂々と入ってくる者もいる。彼らをあしらう番頭が結界のように張り巡らされた帳場格子の上へにょっきり手を差し出して紙幣を渡し、客たちはそれを掴んで次々と出て行く。
    「お次の方、どうぞ」
    呼ばれるとすぐに、紫の半纏を着た男が風呂敷包みから着物を取り出し、番頭の前へ置いた。
    「紬ですか」
    受け取った中身を呟いてから着物を広げ、丹念に襟、裾、そして袖に視線を走らせる。モノは悪くない。だが…… 気になる箇所を見つけて視線を止め、番頭は査定結果を告げる。
    「お袖に解れがありますので、このくらいのお値段になります」
    「たったこれだけ?頼むよ、これでも一張羅なんだからさぁ」
    はあ、と面倒くさそうなため息が一つ。
    「一張羅でも、新品かそうでないか、染みや汚れがあるか、扱いが良いかどうかで変わってくるんです」
    そこまで話してもなお引き下がらず、パン、と小気味よい音を立てて両手を合わせ、男は番頭に向かって頼み込む仕草を見せた。
    「そこをどうにか、もう一声!イノシシ札一枚!」
    「頑張ってもこれくらいですね」
    そろばんを弾いて金額を提示する番頭の目は鋭く、男は一瞬たじろいだが、気を取り直してもう一度、帳場格子越しにぺこりと坊主頭を下げる。
    「頼むよ、月島さん。すぐに支払わないとあの店に出入り禁止になっちまう」
    またあの店、か。月島と呼ばれたその番頭はその一言に眉間に皺を作り、厳しい顔をする。これまで様々な客がやって来て、こうして無理に頼み込んだのだろう。救済できる場合もあれば、できないときもまたその倍はある。帳場の苦労が目の下にくっきりと深い皺を刻ませ、厳かな顔つきに変えていく。
    「じゃあ、こうしましょう。お貸しする額は増やせませんが、利子を私が立て替えておきます」
    いわゆる信用貸しというものである。こんなことができるのは、この客が馴染みの客だからだ。男は酒や女にすぐ手を出しては質屋に泣きつくが、期日までにきっちり返してくれている。客の男は頭を上げて、目をキラキラと輝かせて番頭を見つめた。
    「ただし、色街へ通うのはこれを機にお控えなさい。この間だって、噺の一部を質に入れてしまって、大一番で困られたとお聞きしましたよ」
    「ゲッ……それはいったいどこで……」
    「どこも何も、近所ではもっぱらの噂になっています。さあさあ、これに懲りたらさっさと店の支払いを済ませてきなさい」
    格子の上からごつごつとした手を差し出し、客が望んだものより少額の確定金額を渡す。何度数えてもやはりイノシシ札、つまり希望の十円券には到達していないが、利子が無いならまあ良いだろう。紫の半纏の男はふにゃりと笑って引き下がった。
    「次の方、どうぞ」
    声を掛ければ離れて立っていた男が帳場の前までやって来て、重たげな風呂敷を台の上に置く。すらりと長身の男は浅黒い肌に烏の濡れ羽色の髪を伸ばしており、くどい眉毛で切れ長な瞳は涼やか、高い鼻梁、分厚い唇。つまりは女性たちならほっとかないような、整った顔立ちをしていた。
    はて、一見客のようだが。番頭は彼を見上げて表情を作らぬままで勘ぐる。
    初めてのれんをくぐる人間というのはたいてい、表情を強ばらせて身構えているものだ。一方で自分の目の前にいるこの男は、動揺する様子もなく、それどころかあまりに堂々としている。さては質屋通いに慣れているのか。こんな若くしてこの世界を知ってしまうとは、相当遊んでいるに違いない。
    「お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
    番頭の質問を聞いて、先ほどの紫半纏の男はタカタカと慌てて戻り、格子越しに耳打ちする。
    「月島さん、アンタ、この人を知らないのか?鯉登さんとこの次男坊だよ!」
    「鯉登?鯉登と仰いますと、あの海軍少将一家のご子息で、つい最近こちらへ越してきた……」
    引っ越してくるときには荷物がたいそう多かったのだと、巷でずいぶん話題になったのを覚えている。そのうえ毎朝、庭からは猿叫が聞こえてくるのだと噂には聞いていたが、まさかこの若者がその鯉登だったとは。二人の会話の声が大きいものだから、ふてぶてしそうな若者は、
    「いかにも、私は鯉登だ。それが何か?」
    などと口を挟む。月島という番頭と、鯉登という若者の視線が交錯する。後の「鯉登夫婦」の関係はここから始まるが、この時の二人はまだ、互いに胸を苦しめながら想い合い、何度も見つめ合い、果ては伴侶となるなど想像だにしていなかっただろう。
    どちらが先に視線を逸らすか、という勝負があるならば、その結果は月島の負けである。精悍な顔つきの、たいそう女にもてるであろう顔を数秒見つめてから、月島はふと視線を逸らして手元の風呂敷を解きながら会話を再開した。
    「ああ、鯉登家のお方ですか。でしたら、宜しいですね」
    「何が良いんだ?」
    「初めての方ですと、一度お宅を拝見することになっているのです」
    「なぜ?」
    「何故って、貴方、私たちが氏素性も知らない相手の言葉を信用して、易々と貸付金をお渡しすると思いますか?」
    通常、質屋は客からの質草を元に金を貸すことを生業としているが、そこに至るまでには相手がどれくらいの家なのか、きちんと利子付きで返せるのか、などを確認することとなっている。そのため客の家をいったん訪問することもあるのだが、海軍少将の鯉登家であれば信用もあるのでわざわざ確認するまでもない。くどくどと説明するのも野暮だが、一見客、それも質屋の「し」の字も知らないようなので、月島は彼に対して懇切丁寧に教えてやった。
    ふんふんと若者は素直に頷きながら説明を聞き、次いで整った顔に笑みを浮かべる。一見で、切羽詰まっている様子でもなく、いわゆる金持ち道楽で質屋見学に来たのだろう。風呂敷から取り出された、若者にとって初めての質草は、外套だった。染みも解れも見当たらず、あまり着られていないようである。新品とほぼ変わらないと判断し、
    「それで、早速ですが今回のお値段はこちらでいかがでしょうか」
    月島がかえって訝しむ気持ちを隠しながら質草の値段を告げると、文句の一つも無くそれを了承する。すると横から茶々が入った。
    「鯉登チャン、だめだめ。もっといい値にしてもらわなきゃ」
    ひくりと一文字に引かれた番頭の口の端が動く。厄介な客が商売の邪魔をするのを喜んで聞くはずがない。
    「白石さん」
    番頭が低い声で呼びかけると同時に鋭い視線を送る。白石と呼ばれた紫半纏の男はそれに気づくと横に退き、両手を握りあわせながら苦笑いをした。
    「いやいや、もちろん月島さんのお仕事を邪魔するわけではありませんよ。なにしろここいらの質屋で一番の目利きで、物の価値ってもんを分かっているのはアンタしかいませんから」
    通常、質屋というのはその質草の元値の三分の一程度の値を客に貸す。希少価値の高いものなどはそれより高いこともある。たとえば流通量の低い文学全集、舶来物の時計。白石と呼ばれた男にいたっては、人気噺家とあって、十八番の噺を質に入れたときにはたいそうな金額を受け取ったことがある。
    「ササッ、どうぞどうぞ。俺はこれで退散いたしますよっと」
    「はい、ではまたのご利用をお待ちしております」
    白石に挨拶をすると鯉登と向き直り、月島は先ほど彼に告げた金額を台帳と質札へ記入していく。
    「鯉登さん、下のお名前は?」
    「音之進だ」
    二十七番 鯉登音之進 外套 一着
    「お戻しになられるときには、この質札と質料をお持ちになってください。流質期限は三か月後です」
    「分かった」
    紙幣と質札を受け取り、立ち去るかと思われた若者は、しかしまだ用事でもあるのか店内をきょろきょろと見渡す。そんなに珍しい店に見えるだろうか。帳場格子とその後ろにはその日の質草を置く棚、天井近くにこしらえた神棚、他の質屋をじろじろと見たことはないが、そう変わらないはずである。
    「何か、お探しですか?」
    まるで百貨店の店員のように帳場越しに声を掛ければ、彼は少しだけ頬を赤く染めて格子に顔を近づけ、小声で問いかけた。
    「ここの主人とやらに会いたいのだが」
    「鶴見さんですか?」
    こくこくと彼は黙って頷く。
    「今日はこちらには来ませんね」
    「今日は、とはどういうことだ。この店の主人なのだろう?」
    「そうではありますが……」
    言いにくそうに言葉に詰まる様子を今度は彼にじっくりと観察される。確かに屋号の「鶴見屋」の元となる主人の名前は鶴見だが、今この店を切り盛りしているのは実質、目の前にいる月島である。
    「いつならいるんだ?今日いらっしゃらないのなら、鶴見さんがいるときにこの質札と質料を持ってくる」
    「うちの人がいる時ですか……それもはっきりとは申し上げられませんでして」
    「何故?」
    ううん、と唸ったまま黙り込んでしまった番頭の後ろで、質草を取りに来た中僧が気がつき口を挟んだ。
    「こちらにいらっしゃるのが不定期なんです。今はアトリエ仲間と籠もってしまっているので」
    「誰だ、貴様は」
    「はい、ここの店の宇佐美と申します。どうぞお見知りおきを」
    にっこり微笑む口の両端には左右対称に黒子が並び、番頭の月島同様に坊主頭の彼は、番頭とは正反対に声の調子も表情も豊かだった。その宇佐美の言うことには、鶴見は有坂という芸術家のアトリエで朝から晩まで熱い議論を交わしたり、執筆や絵画に没頭しているという。
    「明日かもしれないし、来週かもしれない。それは僕たちにもあいにく分かりませんね。一昨日はこちらに顔を出しましたけど、徹夜明けの疲れたお顔も艶めかしくって素敵でしたよ」
    思い出しながら両手で頬をおさえてにやにやと笑う中僧に、客人の鯉登は羨ましそうに身を乗り出した。
    「お会いしたい!どうすればお会いできるんだ?」
    「さあ。僕みたいにこの店で働けばいいんじゃないですか?」
    それを聞くと今すぐにでも仕事をやめて働かんとばかりに格子を掴んで、この客と質屋を隔てる境界線を超えてしまいそうである。静かに二人のやり取りを傍観していた月島は、挑発する宇佐美と興奮する鯉登の距離を離し、喧嘩両成敗とばかりに両者に鋭い視線を送って沈静化させた。
    「とにかく、本日は居りません。またのお越しをお待ちしております」
    つまりは「さっさと帰れ」ということだ。しょんぼりしながら格子から手を離し、質札を軍服の胸ポケットに押し込むと、鯉登は店を出て行った。玄鳥至(つばめきたる)。気温が和らぎ、道行く人に軽装が見られる、そんな春先のことだった。
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