我慢というのはよくないね。真っ白な空間に、ぽつりと置かれたソファー。座り心地の良さそうな、ふんわりとした座面は上質で光沢のある赤いベルベット生地。あまりに異質な其をイソップは呆然と眺め、それから隣にいる人物に視線を向けた。
余りにも冷静。いや、それどころかこの状況を楽しんでいるようにさえ見える。もともと好奇心の旺盛な人だ。この不可思議な現状を科学的に分析でもしているのかもしれない。
「ぁ、の」
堪らずイソップは声をかけた。オロオロとソファーを見ていたってなにも起きそうにないからだ。イソップの呼びかけに反応するように隣の人物はイソップをようやっと視界にとらえた。
「あれを見てごらんよ」
まるで楽しいものを見つけた子どものように弾んだ声だ。イソップはその声と彼の指に射し示された方向を見て唖然とした。指の先に示さてたのはこの部屋唯一の出入り口で、そのドアの上には掲示板が一つ。そこに書かれた事を何度読んでもなかなか理解が出来なかった。
「これは、ご褒美タイムというやつかな」
「ま、待ってください。待って、バルサーさん、ほ、他の脱出方法を」
「探す必要あるかい?」
クスクスと笑うルカにイソップは頭を抱える。
だめだ、楽しい事に目がない人が楽しいことを見つけてしまったのだ、僕が太刀打ちできるわけがない。
イソップはキラキラと瞳を輝かせるルカの言葉になんの反論も出来なかった。
ドアに記載されていたのは【イソップ・カールがルカ・バルサーの膝の上に座り、キスを1時間以上、一定回数すること。キスの種類は問わない。ただし、ルカ・バルサーからの手出しは不可。違反した場合永久にドアは閉ざされる】という文言だった。
イソップが反論出来なかったのはほかでもない、ルカ・バルサーがパートナーだからだ。パートナーとキスをするなんて当たり前のことだ。現に二人はキス以上のことをもう既にしているわけで、だからこそルカの言葉にイソップは何も言えなかった。
「こんな、恥かしいこと」
「ふふ、私にとっては嬉しいことだけどね。さぁ、おいで?」
手を引かれ、ソファーにエスコートされる。スマートな仕草に苦笑しつつイソップはソファーの前にたった。ルカは意気揚々と腰を下ろし、ぽんぽんと自分の膝を叩いている。
「そんな細い膝、潰れません?」
「……私の体型をよく理解しているくせに、生意気をいうね」
「無駄なあがきなんですよ、察してください」
「では、あがけないように」
くんっと手を引かれ、まるでワルツのターンのようにイソップは滑らかにルカの膝に座らされた。
あぁ、もうとイソップが思うころにはルカの鼻先がコツリと触れた。
「さて、これ以上は手出しにカウントされてしまうかもしれないからね。頑張っておくれ」
「うぅ」
「私は、純粋に嬉しくてたまらないから。君の覚悟が決まるまで待っているよ」
頬を優しく撫でるルカの手が、そのままゆっくりとイソップの唇に触れた。
待つという割には、催促するような手付きだとイソップは思う。
甘い眼差しがじっとりとイソップを舐めつけ、その視線に耐え兼ねて、イソップは小さく溜息をつくとそっとルカの頬に触れた。
「せめて、目をつぶって下さい」
「了解、マイ・ディアー」
長い睫毛が頬に影を落とす。目の下のクマが酷いが端正な顔立ちをしているなとイソップはルカの顔を一時眺め、意を決したように唇に触れた。
押し付けるだけの短いキス。チラリと掲示板を見れば、どういう仕組みか1とカウントが出ていた。一定数とは何回なのだろうか。分からないけど相当回数は必要そうだ。
イソップは改めてルカの頬を両手で包み、チュッ、チュッと唇に触れる。いつもキスはルカからしてくるから、妙に緊張する。掌が汗ばんでしまいそうで、手袋をしていて良かったとイソップは思う。
そんな風に気を逸らしながら、触れるだけのキスを数回。掲示板のカウンターは相変わらず淡々と回っている。よく見ればその上に時刻表示があった。まだ10分も経っていない。
「イソップからキスをしてもらうのはいいね」
「……っ、そう、ですか」
「ん、頬に触れてくれてるのもいい。できれば手袋を外してほしいけど」
「汗、かいてる、ので」
緊張を見抜かれたようでイソップはじんわりと体温が上がる。でもルカの嬉しそうな声は悪い気がしなくて、汗をかいていると言いながらも手袋を外した。
素手で触れるルカの肌はツルリとしていて、緊張で熱いイソップの掌より頬はひんやりとしていた。
「んっ、イソップ、もっとしてくれないかい?」
「……は、い」
「いいこだね、頑張って」
甘やかすような声に、胸がきゅぅっと高鳴るような感覚を覚える。イソップは少しずつ、自分が興奮していることを感じながらルカに口づけを送る。
額、鼻筋、閉じた瞼、頬、それから唇。何処に触れてもキスとしてカウントされる。
顔中にキスをして、それから再び唇へ。
触れるだけのものから、ゆっくりと唇を食むような口づけへ。
(いつもしてもらうような、キスがしたい)
じんと痺れるような、そんな感覚と物足りなさに焦れる。彼はいつもどうやっていただろうか。イソップはルカのキスを思い出し、辿る様に触れる。
下唇を食んで、それから上唇。舌先で唇の内側を少しなぞって、ゆっくり合わせる。
触れ合わせてからまた、離れて。舌を入れたくなって困る。
時刻のカウンターはようやっと15分に差し掛かった。
どうしよう。イソップは悩んで、また唇を触れさせる。今度は顎先、顎の裏、首筋、それから鎖骨。
ルカが小さく息を詰まらせ、ピクリと体を揺らす。彼が自分の口付けに多少なり興奮や快感を得ていることに嬉しくなって、一番反応の良かった顎の下と首の境目当たりに舌を這わせ、唇を寄せる。彼の首に巻かれた包帯を少しずらし肌を啄めば、彼の手がそっと後頭部を撫でた。
「……上手、だよ」
ルカの言葉に嬉しくなったイソップは、今度は逆を辿り唇へと戻る。どんどんと興奮し、次第に行動が大胆になっていく。
最初の羞恥心や戸惑いはいつの間にか消え去り、ただいつも自分を可愛がる男を好きに触れられることにちょっとした優越さえイソップは感じ始めていた。
「ルカ、さん」
「ん、いいよ。君の好きなように。指示をして?」
愉悦に溶けて、イソップは到頭ここが得たいの知れない部屋だというのに甘える声でファミリーネームではなく、ルカと声に出す。イソップの理性が解け始めていることを感じ、ルカはイソップに従順に従う。優しく、彼がしたいことが出来るように促せば、頬を包んでいた手が首筋に回り、舌先が唇の隙間を突く。
―—口を開いて
イソップはルカにそうねだり、ルカは従うようにそっと開いてやればイソップの舌が最初は唇の縁をそろりとなぞり、それからゆっくりと差し込まれた。
ぬちゅり。やらしい音が部屋に響く。二人きりの密室は、呼吸音と唾液の混ざり合う音ばかりハイライトされ鼓膜に響く。
ルカはそろりと目をあける。もうすっかりとキスに夢中なイソップはそのことに気が付く素振りもなく、いつものキスを求め必死に舌を動かしていた。
ルカはその様子を観察しながら、たどたどしい舌使いを甘受した。
歯列をなぞり、上顎を擽る。擦り合わせ、絡め取られる。全て、ルカが普段イソップにするキスの手順。イソップはそれしか知らないから、それを辿るしかない。
「は、ぁ……あと、少し」
「ん、あと10分だよ。頑張って」
労うようにルカの手がイソップの髪を撫でる。うっとりと瞳を蕩けさせイソップはまた唇を寄せる。熱を帯びた唇は熱く、少しばかり腫れぼったいような気もする。
こんなにキスばかりしたことはなかった。
舌を差し込んでからイソップは啄むキスを止め、ルカの口腔内を愛撫する事に夢中になった。丁寧に舌の腹や上顎をなぞるとルカの身体がピクリと揺れるのが嬉しかったからだ。
「イソップ、カウント止まってる。舌絡めるだけじゃだめみたいだよ」
夢中になるイソップにルカが待ったをかける。
どこか熱に浮かされた瞳で、イソップは気だるげに掲示板をみて拗ねたような顔をした。
「舌、舐めるキスがいい、のに」
「……吸ってごらんよ、私の舌。君の口の中に」
イソップに散々と舐められた舌をルカが惜しげもなく突き出す。
唾液で濡れ、紅い肉にイソップはドキドキと心臓の高鳴りを感じながら、ゆっくりと舌先に唇を触れさせる。ちゅっと、伸ばされた舌先に触れれば、カウントが回った。
数度、舌先にキスをして、それからちゅるりと自分の口腔内にルカの舌を受け入れてイソップは、ぢゅ、ぢゅっとルカの舌を啜った。
数度吸っては離し、今度はルカの口腔内に舌を入れ、唇を合わせる。
ルカから絡めて貰えないことに焦れてしまう。
「ぁ、ぅ……ルカさん、舐めてぇっ」
「いけないよ、イソップ。あと5分さ、頑張れ」
「んんっ……」
頬を真っ赤にして、イソップは必死にルカにキスを続ける。もじもじと腰を揺らし、もはや抱き着きながら、ルカの唇を貪る。舌を絡めて貰えない事に焦れて、焦れて、イソップはルカの唇以外にも再びキスをする。彼の反応が良かった顎の裏や唇、それから髪にふれてくれた指先に掌、手の甲、手首、出来るところ全てに唇を寄せ、ラスト1分はただ、ただ、唇を啄んだ。
「おわ、った?」
息を切らし、イソップは掲示板をみる。
その下のドアは開け放たれており、薄闇の奥に光が見えていた。
「よく頑張ったね、いいこだ」
「んんっ、ぅん、んっ♡♡♡♡」
興奮に掠れた声が、イソップの耳元に吹き込まれると同時に後頭部をガッシリと固定され、舌が無遠慮にイソップの口腔内に捻じ込まれる。待ち望んでいたルカの舌に絡め取られ、イソップの視界はぐらぐらと揺れる。
自分のたどたどしい舌使いとは違い、気持ち良いところを全てなぞってくれるルカの舌に、イソップは声も出せないままヒクヒクと体を揺らす。
「……キスでイッたのかい?」
「ぁ、ぁう♡ぁ、の、んんっ」
君がこんなにいやらしくなるなんて、もうしばらく閉じ込められたいね。
なんて言いながら舌舐め擦りをしたルカの声に、腰が蕩けるように痺れていく。まともな言葉も告げられないまま、優しい声とは違う獰猛な視線に、イソップはもうどう答えたらいいのか分からないまま、降って来た唇をまた受けとめた。