朝のまどろみがあなたにもやをかけてくれたから ぱちり。燐音は眠りから目を覚ました。頭上の時計は午前五時、いつもなら燐音が起床する時間だった。じんわりと汗をかいた体に不信感を覚えて、胸元をくすぐる感覚にあぁと思い出す。
一彩が泊っているんだった。やけに熱い体温はこのせいか。燐音の胸元にしっかりとくっついて寝ている弟は、まだ起きる気配がない。もともと地方の仕事からそのまま燐音の部屋に来たのだから、疲れていて当然だろう。燐音もそれを理由に泊まらせた。ぐるりと首だけを回して窓を見る。カーテンの隙間から光が漏れていて、外はもう朝であることを告げていた。
起きなくては。朝ごはんの支度をして、仕事の準備をせねばならない。燐音は焦っていた。つい先月、Crazy:Bとして大きな仕事が舞い込んできたのだ。現時点で知るのは燐音とHiMERUだけだった。今月末に行うライブにてファンにも知らされる『全国ツアー』の文字は、燐音たちにとっても寝耳に水の事態だった。なぜそんな話がCrazy:Bに持ち掛けられたのか、燐音はHiMERUと探らねばならなかった。いい話には何か裏があるものだ。ささいなことでも、それは知っておかなくてはならない。燐音は自分に舞い込む仕事の重さにため息をついた。
「嫌な夢を見たの?」
「起きたのか。ちげぇよ、仕事のこと考えてた」
「フム、そうか」
胸元にしがみついたまま顔だけあげた一彩がこちらを見ていた。綺麗な青い瞳が仕事にぴりついた燐音の心を癒す。手で一彩の髪をすくと、くるくるとした赤い髪が柔らかな感触を手のひらに与える。幼少期から燐音を癒したこの存在は、今でも健在のようだった。燐音はしばらく一彩の髪で遊んだ。
「そんなに今回のライブは特殊なんだね」
「今回のライブはもう解決した。次の仕事がな」
「ライブの予定はしばらくなかったよね? イベントかな?」
「次のライブの予定が立ったの」
一彩はぱちぱちと目を瞬いた。
「企画段階だろう?」
そんなに急ぐことでもないじゃないか、と一彩が言った。燐音は一彩の髪に顔をうずめながら答えた。
「いいや、もうチケット準備し始めないといけない時期」
「早すぎる、というか遅すぎるだろう、それは」
「だから焦ってんの。今月末のライブに合わせて告知しねぇとだし、もうどたばたどころじゃねぇんだよな。機材とかはもともと押さえてるだけ助かるけど」
「もとはどういう予定だったんだ」
「いまメルメルと調べてるとこ。蛇ちゃんが騒いでなかったし、たぶんそんな大事じゃないんだろうけどな」
「ならいいんだけれど」
一彩がもぞもぞと這いあがってきた。燐音と同じ視線になって、背中に回していた手で燐音の頬を撫でた。
「あまり無茶はしないようにね。兄さんは自分でなんでもしてしまうから」
「大丈夫だよ」
「僕も手伝えたらいいのにな」
「お前はお前のユニットがあるだろうが」
燐音の指摘に、一彩は笑った。事務所も違うから難しいね、と言って、ごく自然な動きで、ちょんと鼻をつきあわせた。
「でも、兄さんの癒しにはなれるから。兄弟としても、恋人としても、いつでも頼ってね」
同じ視線にある青い瞳が隙間からこぼれる朝日を反射した。頬を撫でていた一彩の手が燐音の後頭部に回り、やさしく一彩の胸元へ導かれる。シャツ越しに感じる体温は少し熱くて、でも心地よかった。ぽんぽんとやさしく抱きしめられて、燐音は目を閉じて享受した。
「いつも僕がしてもらうから、今日から頑張る兄さんに」
「……ん、ありがと」
一彩の背中に回った腕がシャツを軽くつかむ。少しだけ、と小さく呟いた兄を優しく受け止めて、一彩は静かに兄の髪をすいた。