蒼い空。
そしてあたり一面に青い花の絨毯が広がる神域。
会いたいと、抱きしめたいと、そして、想いを伝えたいと願ってやまなかった人の姿がそこにはあった。
どんなに想いを伝えても、どんなにくちびるを交わしても、胸の奥底から溢れてくる想いは留まることを知らない。
空白のときを一刻でも早く埋めてしまいたい気持ちと、ここには永遠のときが流れているから焦らなくてもいいと自分に言い聞かせる気持ち。
ただ、いずれにせよ、『独り』でないことが今はただただ嬉しかった。
「そろそろいいかな……」
「待ちくたびれたぜ」
ふたりしかいないと思っていた神域の静けさを割るような声。
現れたのはふたりの子どもたち。男の子と女の子がひとりずつ。
男女というにはまだ年が満ちていないが、背格好からすると童というにも無理がある。
この者たちは……?
そういぶかしげな視線を向ける幸村の目の前で七緒はふたりに呼び掛ける。
知り合いなのだろうか。
そう思う幸村の前で七緒は信じられないようなことを口にする。
「ほら、ふたりとも、ちゃんとお父さまにご挨拶して」
おとう…さ…ま……?
私には子どもなんて、そんな……
そう心の中で思いながら幸村はあるひとつの可能性について浮かぶ。
七緒が人の姿をしていたとき、一度だけ肌を重ねたことがあった。
それからの地上の年月を照らし合わせると、目の前の子どもくらいの年齢に達していてもおかしくはない。
子どもたちも急に現れた「お父さま」の存在が恥ずかしいのであろうか。頭をペコリと下げるとどこかへ行ってしまった。
隠れる場所なんてなさそうなものなのに、あっという間に姿が見えなくなる。
そのことを不思議と思いつつも、幸村は七緒に視線を向ける。
すると、七緒は頬を染めながら言葉を紡ぎ出す。
それは地上でともに戦っていたときの純粋無垢な彼女を彷彿させてしまう。
「幸村さんが思う通りです…… そのときに赤ちゃんができちゃって……」
今までこのことを知らなかったことを自分は恥じるべきだろう。
あのときは七緒と想いが重なったのが嬉しく、本人の承諾のもととは言え、肌を重ねてしまった。
彼女に少しでも自分の痕跡を残したい。そんな想いで放った精がもたらす可能性について考えなかったわけではない。
ただ、そのときは都合よく「大丈夫だろう」ととらえていた。そのことに根拠はないにも関わらず。
しかし、幸村の身勝手な願いとは裏腹に七緒の胎内には赤ちゃんが宿ったらしい。それも男女の双子の。
嬉しい気持ちがないわけでないが、七緒に対しては詫びて済むなどの域を遙かに越えている。そのため、幸村は七緒に合わせる顔がない。
しかし、七緒は首を横に振る。
そして、幸村の身体をそっと抱き締めてくる。
「そんな顔しないでください。私は嬉しかったのです。幸村さんを感じる存在がすぐ近くにいましたから」
七緒の話によると、神域に帰って間もなく懐妊が判明したらしい。
もっとも神域での七緒は白龍の形をとっており、産まれるというよりも、体内から分かれるような感覚だったらしい。
そして、自分のものとも他のものと混ざった存在ともはっきりしない中、神域を漂っていたらしい。
「私が何度も人としての意識を失いそうになったときも、それを止めてくれたのは子どもたちでした。
そして、幸村さんが人間の世界で果たさなければならないこと。そのために戦っている様子も子どもたちと眺めていました」
そう七緒は話す。そのあとに、眺めることくらいしかできませんでしたが。そう寂しげに付け加えて。
その表情を見て幸村は悟る。
寂しい想いをしていたのは自分だけではないと。
永遠の中に一瞬だけ訪れる再会のとき。それを頼りに彼女も耐えてきたのだと。
抱きしめられている腕の中から抜け出し、幸村は七緒の身体を抱きしめる。
もう幾度目になるかわからない抱擁。
だけど、抱きしめるざるを得ない。
彼女と、そして自分が抱えていた孤独。それを少しでも埋め合わせたかった。
そして、次の希望を持てるように。
そう願いながら彼女の紅いくちびるに自分のくちびるを重ね合わせた。
ーーーーーー
「…むら…… ゆき…むら……」
聞き覚えのある声に目を覚ますと、そこには阿国と大和の姿があった。
春の日差しに誘われて縁側で眠っていたらしい。
「久しぶりだな」
七緒が地上から去って十年はとうに過ぎた。
阿国と大和のふたりは、全国を旅するがてら時折このように幸村のもとへ顔を出す。
「なんか幸せそうだったけど、七緒の夢でも見ていたのか?」
大和の率直な物言いに幸村は頷く。
「ああ、どこだかわからないが、姫と再会する夢だった」
さすがに子どもができていた、なんて話はしない。おそらくそれは現在の自分が孤独にさいなまれている証拠。
「そういえば、豊臣が兵を集めているという話は本当なのかい?」
阿国が心配そうに幸村を見つめてくる。
阿国に対しては誤魔化しがきくわけない。
そう思いながら幸村は頷く。
「ああ」
先日、豊臣の使いのものが訪れた。
是非とも挙兵していただきたいと。
そして、それに応える形で亡き父の家臣たちに協力願えないか文を出した。返事は思いの外早く来、悪くない内容だった。
「阿国、頼みがある」
「なんだい?」
幸村は阿国の目の前にひとつの包みを差し出す。
「俺にもしものことがあれば、これを燃やしてほしい」
目の前の阿国はもちろん、その隣にいる大和も息を呑むのがわかった。
ふたりには「もしも」という仮定の事項ではなく、確定された未来としてその言葉が伝わったのだろう。
そう、勝ち目はほぼない。
ふたりの読みは当たっている。
だからこそ、信頼できるものに託した。
上田で七緒と過ごしていたときに彼女に贈った着物を。
「わかったよ。富士の頂上であんたと神子に届くように舞いながらね」
阿国の瞳がほんのり潤んでいることに幸村は気がつく。
「俺もつき合うよ。そんなことねーと信じてるけど」
かつて富士の登山を誰よりもめんどくさがっていた大和もそう話す。
「ああ、感謝する」
神域がどれくらい遠いのか検討もつかない。
しかし、龍神が人々を見守る存在であれば、どこか高いところからなら届くのかもしれない。
ましてや、日の本一の高い山、そこに奉納の舞があれば、きっと七緒に届くに違いない。
「じゃあ、私たちはここで行くよ。幸村、あんたも無理はするんじゃないよ」
「ああ」
最後だとわかっているからか、挨拶は簡潔なものとなる。
ふたりの姿が見えなくなるまで幸村は後ろ姿を見送る。
目を瞑ると見えてくるのは年月を経ても色褪せない愛しい人の姿。
姿を感じることすらできないが、彼女はどこか遠い空の向こうから見守ってくれているに違いない。
あとは己の信念に向かって真っ直ぐ生きた彼女に恥じないよう、自分もやるべきことを果たすのみ。
「見ていてください、私の姫。もうすぐあなたのもとへ参りますから」