ダークヒーローの名を冠して、付き合いも年単位を超えて来た間柄。
相手に、「話したくない何かがある」と、察するに足りる時間が二人の間には経過していた。
互いに顔を突き合せれば、常日頃、真実を求めるための話ばかりしているのだが、それでも、折々の雑談、その端々、箸休めのような小話、そんなものたちの向こう側に薄っすら掠めるように在る「何か」。
リヒトがジョーカーの過去に対して、何か察し、そのうえで悟られないように話題を選び慮っていることが、時々、ある。
それに気づいてジョーカーは、その気遣いに対して、ありがたいような気もしたが、どこかわだかまりを感じていた。
わざわざ話す必要のないことだ、とも思う。
もし、過去を訊かれたならば、語る覚悟はできてもいる。
どちらに転んだっていいのだ。
そう思っても、偶に、リヒトのその配慮が、どうにも余所余所しく、無用の遠慮に思えて。
次第に、僅かばかりの苛立ちを含むものになってしまった。
ジーカーの過去を語ったところで、リヒトが態度を変えたり変に気遣ったりしないだろうと。
そんな風に信頼に足る相手だという見立ては済んでいるのだ。
そして、リヒト自身から、リヒトが子供時分の話を聞いたことは殆どない。
物事に対して何か語る時は正確さを重視して、主題だけでなく、前提やら但しだとか、事細かな言葉を連ねるくせに、自身の話となると、断片的だったり、どうとでもとれそうな言葉で、それと気づかせぬようにするりとかわす。
そんな風に、リヒトにも「語りたくない何か」がある。
ジョーカーが、それと察したとき、次いで考えたのは、リヒトが気づいているのかどうか。
俺がコイツが気づいている、と、気づいた以上、聡いコイツが気が付かない訳もない。
ジョーカーは、そう結論付ける。
だが、リヒトは、「どちら」なのだろか。
ジョーカーと同様、どちらでもいい、のか。
どっちが正解なのか。
本来、それがどっちだって、真実を求めるには、何も支障はないはずで。
あるいは、「真実」を手にしたら、それを訊く意味も見つかるのだろうか。
「訊かれたら、訊くことにする、か」
まるで賭けのような事をひとり呟く。
(了)