守られたくない!② 目を覚ましたぼくの視界に最初に映ったのは、見慣れない部屋の光景だった。ベッドに横たわったまま部屋の中を観察する。
六帖くらいの洋室。ぼくが寝ているベッドの他に、机やカラーボックス、クローゼット。カラーボックスには雑誌やCDが並んでいるようだ。
ここ、どこだっけ……。ぼくの記憶が正しければ、杜王町にそっくりのパラレルワールドに来てしまって、なぜか吸血鬼みたいになっていた裕也に襲われて、仗助と億泰と康一くんに助けられて、学生寮の仗助の部屋に連れて来られたのだ。裕也に血を吸われてから体がおかしくなって、まるで媚薬でも盛られたのかってくらい、体は熱いし何をされても気持ちよくてたまらなかった。仗助に何度もイかされて、やっと体の熱が解消された。この部屋で仗助といろいろやったことを思い出し、不覚にも顔が熱くなる。いや、別に向こうでも仗助とは付き合っていたしセックスだって何度もした仲だけど、昨夜ぼくの世話を焼いた仗助は全くの同一人物というわけでもないし、実質初対面だ。
もしかして全部夢だったんじゃないかと思わなくもないけれど、だったらこの部屋はどこなんだという話になってしまう。夢じゃなかったんだ。本当に別の世界に来てしまった。
昨夜はいろいろとアクシデントがあったが、康一くんのおかげでコミュニケーションが取れるようになったし、昼間なら大丈夫だろう。早く取材に出かけたくてひとまず体を起こしたら、ほぼ同時に部屋のドアが開く音がした。
「あ、起きてる」
視界に仗助が入ってきた。いつもの学ランに身を包み、髪もしっかり決まっている。どこかに行っていたのだろうか。
「体の具合はどうっスか?」
「おかげさまで。……ちょっと腰が痛いけど」
「それはすみませんっス」
まあ、あれだけやらないとぼくの体も治まらなかっただろうし、仗助が謝ることはないのだけれど。
「はい、これ」
仗助はぼくの目の前に畳んだ服を差し出してきた。
「着替え借りてきた。とりあえず今日はこれ着てもらって、他に欲しいものがあれば後で買い物行くんでその時に」
受け取って広げてみると、白の半袖のワイシャツと黒いスラックスだった。
「なんか制服みたいだな」
「まあ、基本学校の中で生活することになるんで。シンプルでいいっしょ」
仗助の口振りから察するに、どうやらすぐに元の世界へ戻ることはできないようだ。他にもいろいろと聞きたいことはあるけれど、何から聞いていいのか整理がつかない。そんなぼくの顔色を窺って、仗助が言う。
「わかんねーこといっぱいあるっスよね。とりあえず着替えたら朝飯食いに行って、それから説明します」
ぼくは閉められたままのカーテンに目をやった。ぼくが着替え終わったら開けるつもりなのだろう。カーテンの隙間からは、朝日というには随分眩しい光が部屋の中に差し込んでいる。
「今、何時だ?」
「午前十時ちょい過ぎっスね」
「きみ、授業は?」
「今日は土曜日なんで、他のやつらは半日授業っスけどおれらはお休みっス」
たぶん「おれら」の中に康一くんや億泰も含まれているのだろう。どうも彼らは待遇が違うらしい。
「今日は土曜日なんだな」
「そっスよ」
仗助は机に置かれた卓上カレンダーに目をやる。
「一九九九年九月十一日の土曜日っス」
それなら向こうの世界と同じだ。ぼくがぶどうヶ丘高校の校門を跨いだのは一九九九年九月十日から九月十一日に変わる瞬間だった。向こうとこっちで時間のズレはないらしい。
まあ、細かい話はまた後で聞くことにして、「着替えるから外出てろ」と言ったら「昨日あんなことしたのに、今さら気にしなくてもいーじゃん」と返されてしまった。
寮の中の食堂は午前六時から午後十時まで開いているらしい。職員と仲がいいのか、仗助は注文口の向こうにいる年配の女性に「おはよー」と砕けた挨拶をしている。
「あら仗助くん、おはよう。今朝もいつものでいい?」
「うん」
「そっちのあなたは、もしかしてこっちに来たばかりの子かしら?」
年配の女性がぼくを見る。返事に困っていると仗助が答えた。
「そう。露伴っていうんだ」
「露伴くんね。何にする? って言っても、朝ご飯はAかBしかないんだけどね」
そう言って、注文口の横の貼り紙を指差す。A、Bの文字の下にそれぞれ写真が載っていた。Aはトーストとスープとサラダと卵。Bはサラダと卵は同じだが、主食がご飯、汁物が味噌汁になっている。アルファベットと写真があったので意味がわかったが、それぞれの写真の下に並んでいる文字は読めなかった。昨夜、町で見た看板の文字と同じように文字化けしているように見える。
「じゃあ、Aで」
「はい、A二つね。ちょっと待ってて」
注文口の横で待っていたらすぐに二人分の朝食が提供された。トレイを持って適当に空いている席に行き、向かい合って座る。ほとんどの生徒が授業に出ている時間だから、食堂の中は非常に空いていた。
「いただきます」
二人で手を合わせてから食事を始める。メニューの貼り紙を見た時から感じていたが、どうやら料理も向こうの世界とそう変わらないらしい。味も普通。今回の朝食について一言で言えば、素朴な味と言ったところか。
「大丈夫? 食べれる?」
サラダを咀嚼していると、仗助が心配そうに声をかけてきた。昨夜のぼくはよほど具合が悪く見えたのだろう。まあ実際に具合は悪かったのだが。
「きみ、随分と心配性だなァ」
「だってよォ」
「そういえば、あれどういう意味だよ。おれが守るとか何とか言ってたろ。なんでぼくが守られなきゃならないんだ」
「いや〜、なんてったらいーんかなァ……決まりっつーか」
「決まりってなんだよ。確かに昨日は助かったけど、四六時中きみの世話になるつもりはないぞ」
仗助は「あ~」と曖昧な返事をする。どう答えようか考えているように見えたが、やがて今この場で答えること自体を諦めたかのようにニコッと笑みを浮かべた。
「まぁ、話すと長くなるんで、飯食ったら部屋に戻って話しますよ」
はぐらかされた。だが後で話してくれるならまぁいいか。
ぼくはスープを一口、口に含んで味わってから喉に流し込んだ。
「順番に話しますね」
仗助の話をまとめるとこんな感じだった。
こっちの世界には、昨夜ぼくも遭遇したが吸血鬼が存在する。驚くことに、珍しい存在ではないらしい。人口の三割から四割は吸血鬼の特性を持っているのだそうだ。三人に一人くらいと考えると確かに多い。
大抵は薬で吸血衝動を抑えたり、人間の血に近い成分が含まれるジュースから養分を摂取するなどしているらしい。無闇に人を襲わないよう対処法を身につけて、それなりに上手に共存しているのだそうだ。訓練を受けているので日光は平気。ちなみに十字架とかニンニクとかは、こっちの世界の吸血鬼には効果がないらしい。
薬では抑えられない、ジュースでは我慢できないというのが昨夜の噴上裕也のようなタイプの吸血鬼で、彼らは特に別世界から迷い込んできた人間を襲う。向こうから来た人間の血は格別に美味いらしい。このタイプは基本的に日光が苦手なので活動時間は夜に限られているが、昼間に襲って来る者も少なからず存在するから気をつけないといけない。
全員ではないが、吸血鬼に噛まれると体に異常が出る人もいる。どうやら吸血鬼の唾液が原因だと最近の研究でわかったらしい。症状としては発熱が一般的だが、ぼくの場合はなぜか催淫作用が働いた。原因はわからない。前例のないケースらしい。
「えーっと、いろいろ説明しましたけど、ここまで大丈夫っスか?」
いつも持ち歩いているが、この時こそノートを持っていて良かったと思った。今聞いた話をガリガリとメモする。これは最高のネタになる。
「ああ、続けて」
興奮気味のぼくに若干引いている気配を感じたが、気にしてなどいられない。
「じゃあ続けるっスよ。向こうの世界から迷い込んで来た人たちを吸血鬼から守るのがおれらの仕事っス」
「仕事って、きみたち学生だろ? アルバイト?」
「アルバイトっていうか、見習いみたいな?」
「見習い?」
また新しい要素を孕んだ単語が登場した。ペンを止めて仗助を見上げる。
「見習いって何の?」
「吸血鬼の調査をする協会があって、そこの調査員の見習い。吸血鬼が活動する夜中に仕事するから、学校の授業は午後からなんスよ」
「フーン……」
向こうで言うところのSPW財団みたいなものか。ひょっとしたらジョースターさんや承太郎もどこかにいるのかもしれない。
「きみたちがスタンド使いなのは、その協会と関係あるの?」
「そうっスね、調査員はスタンド使いが多い……って、スタンドを知ってるんスか!」
「知ってるも何もぼくだってスタンド使いだし。きみらのスタンドも向こうの世界のと似てるからだいたいわかるよ」
仗助の目が輝く。次に言うことは予想がついた。
「見せてください! あんたのスタンド!」
やっぱり。しかし仗助にスタンドを使ったところで本人が確認できないのでは意味がないので、ぼくは自分の手の甲を本にしてみせることにした。
「ヘブンズ・ドアー」
ところがである。全く何も起こらない。部屋の中に妙な沈黙が訪れた。
「えっ……とォ……これは、どういうスタンドっスか?」
ヤバイ。仗助がめちゃくちゃ気を遣っている。
「対象を本にして記憶を読む能力なんだが……」
「へ、へェ~……本……?」
どこからどう見ても本になんかなっていないぼくの手の甲を仗助は気まずそうに見つめている。
「いや、ちょっと待て、嘘じゃあないんだ、本当にぼくはスタンド使いなんだ」
「疑ってるわけじゃあねーっスよ! けどさァ……これ今、何も起きてない……っスよね……? もしかして、スタンドが使えなくなってる、とか……?」
そういえば、こっちに来てからひどく体力が落ちた気がする。裕也に襲われた時、普通ならもう少し反撃できたはずなのに、振り払うことすらできなかった。スタンドを使おうとした時は物理的に押さえ込まれてしまったが、そうじゃなかったとしてもスタンド攻撃なんてできなかったんじゃないか?
「なぁ仗助。ちょっとぼくと腕相撲してくれないか?」
「はい?」
「なんかさァ、こっちに来てから随分と非力になっちまったような気がするんだよ。気のせいならそれでいいんだ。試しに勝負してくれ」
「まぁ、いーっスけど」
壁にぴったりとくっつけて設置された机ではやりにくい。「じゃあこれを使いますか」と仗助が取り出したのは折りたたみ式のローテーブルだった。カーペットの上に置くと、向かい合って腰を下ろす。
「露伴って向こうでは強かったんスか?」
「きみと腕相撲をしたことはなかったけど、体力には自信がある。それなりに鍛えているからな」
「じゃ、手加減はナシっスね」
「もちろんだ」
だが万が一ということもあるので、商売道具の右手は避けて左手で勝負をする。スタートの合図は仗助に任せた。
「いくっスよ。レディー……ゴー!」
バタンッ! 勝負は一瞬で決まった。
ぼくの左手は仗助の左手に完全に押さえられていた。明らかにぼくの負けである。
「嘘だろ……」
いくら何でも弱すぎる。ちゃんと力は込めたはずなのに、仗助は軽々とぼくの腕を倒してしまった。
「も、もう一回だ。今度はぼくが合図する」
「いーっスよ」
しかし何回やっても結果は同じだった。ぼくが必死に仗助の腕を倒そうとしてもマジにびくともしないのに、仗助は涼しい顔でぼくの腕をバタンバタンと倒してくる。
「そろそろやめにしません……?」
「そうだな……ところで仗助、足は速いのか?」
「まぁ速い方っスけど……え、まさか」
手を解いたぼくはさっさと立ち上がり、呆然としている仗助を見下ろした。
「外に行こうぜ」
上半身の筋力が落ちたのはわかった。だが、これだけで「体力が落ちた」と判断するには検証が足りない。もう少し確かめる必要がある。
というわけでグラウンドの隅に二人並んで「先に向こうのフェンスに触れた方が勝ち」という勝負をしたが、びっくりするほど足が動かなかった。どんどん遠ざかっていく仗助の背中に追いつくことができない。仗助は先にフェンスに到着して余裕の表情で待っているのに、大幅に遅れてゴールしたぼくはマラソンでもしたのかってくらい息が上がっていた。そのままフェンスに背を預けて座り込む。
「まだやるっスか?」
疲れ切ったぼくを見下ろして、仗助は苦笑いを浮かべた。
「いや……もう、いい……」
認めざるを得ない。「体力が落ちた気がする」ではなくて、間違いなく「体力が落ちた」ということを。
「あのさァ、露伴。もしかして向こうにいた時、弱くなることを望んだ?」
乱れに乱れた呼吸を整えていたら、仗助がおかしなことを聞いてきた。
「ハァ? 普通、逆だろ。『強くなりたい』ならわかるけど、弱くなりたい人間がいるか?」
「いや、大抵の場合こっちの世界に来ちゃった人って、もともと病気だったけど健康になったとか、怪我をしていたけど治ったとか、体力がついたとか、良い変化があるもんなんスよ。それは本人が望んだことなんスけど、露伴は逆に体力が落ちちゃってるんスよね。何か弱くなりたい理由とかあったの?」
「そんなのあるわけ」
ないだろう、という言葉は出てこなかった。唐突に泉くんとの会話が脳裏に蘇ったからだ。
『たまにはか弱い女の子が登場してもいいんじゃあないですかァ?』
『か弱い女の子ォ? 誰かに守ってもらわないといけない、みたいな?』
「まさか……」
ぼくはあの後、「か弱い女の子」の取材対象を探していた。なかなか見つからなくて後回しにしようとしたのに、無意識にまだ探していたのか。そしてその結果、どうやら「自分で体験してみろ」という奇妙なことになってしまったらしい。
「嘘だろ……そんなこと……」
「なんか心当たりあるみたいっスね」
ぼくの顔を覗き込んだ仗助が言う。
「詳しくは聞かねーけど、とにかく露伴は今めちゃくちゃヤバイ状態なんスよ。体力落ちてるところに、よりによって裕也に会ったのが良くなかったっス」
「……匂い、か?」
「当たり。もしかして裕也も向こうにいたんスか? あいつ鼻が効くから、露伴の匂いを嗅ぎつけてまた襲ってきそうだし、噂を聞きつけた他の吸血鬼に狙われる可能性だってある。だから、おれが露伴を守るんス」
仗助は「これで納得した?」というような顔をしているが、「だから」の前後が微妙に繋がらなくて、ぼくとしてはまだ納得できていない。
「別にきみじゃなくたっていいだろう」
「吸血鬼に噛まれるとえっぴな気分になっちゃうんだから、見ず知らずの人間より向こうで恋人同士だった人間がそばにいた方がいいんじゃあないっスか? 同じB型だから、万が一襲われた時だってすぐに血を分けてやれるしよォ」
「フーン……なるほど。そうだな、確かにその方がいいのかもしれない。だが断る」
「その言い回し初めて聞きましたけど、なんか絶対そう言うだろうなーって思いました」
「守られるなんてお断りだね! 絶対に!」
「そんなこと言ってる場合じゃねーんスよ。あんた向こうにいた頃より弱くなってるんだから」
弱くなってる。その言葉にピクンと反応したぼくを見て、「やべ」と慌てた顔をするのは向こうの仗助とよく似ている。それが無性に腹立たしい。
「なんかきみに言われるとムカつくな」
「だってそーじゃん」
撤回するどころか押し通してきやがった。確かに弱くなっているのは事実だ。だが、しかし。
「認めたくない……たかが十六歳のガキに守られるなんて、絶対に嫌だ」
「十六歳はガキじゃあないっスよ。立派な大人っス」
「何寝ぼけたこと言ってんだよ」
なぜかキョトンとしている仗助は、「ああ」と思い出したように声を上げた。
「向こうは二十歳で成人なんでしたっけ? こっちは十六歳で成人なんスよ。言ってなかったっスね、スミマセン」
だから昨夜こいつは、三人の中で唯一、十六歳になっている自分が預かると言ったのだ。
思いがけないところに向こうの世界とのズレが転がっている。もう少しこの世界について勉強した方がいいかもしれないと思った。
「とにかく、学校の外に出る時はおれと一緒に行くこと。日が沈んで暗くなってきたら外出禁止。これだけは守ってください」
「ハァ!? 吸血鬼は夜に活動するんだろ!? 夜出かけないと取材できないじゃあないか!」
「何バカなこと言ってんスか! あんた、漫画家でしたっけ? さっき部屋で説明した時も思ったけど、漫画のネタにするためにおれの話聞いてたんスか?」
「そうだが?」
「おれはあんたのことを心配して……!」
「あーハイハイ。そういうのいいから」
めんどくせーなァという気持ちを口には出さないが態度で示すと、仗助は呆れたようにため息をついた。
「あんたが何と言おうと、こっちにいる間はおれの部屋で暮らすことになりますからね」
「ベッドは?」
「一緒に寝る」
「あんな狭いベッドで毎晩くっついて寝るのか!?」
確かあのベッドはシングルサイズだった。そりゃあそうだ。学生寮のベッドならシングルで十分だ。
だが、ただでさえ体格のいい仗助と二人で、というのはさすがに狭い。昨夜はそんなことを気にしている余裕はなかったが、これから毎晩そうなるのはできれば遠慮したい。
「我慢してください」
「嫌だ。一緒に寝るならデカいベッドを用意しろ」
今度は仗助がめんどくさいなァという顔をした。
「じゃあ布団借りてきておれが床で寝るから、あんたベッド使ってください。それならいいでしょ?」
本当は一部屋まるごと一人で使わせてもらいたいところだが、そう贅沢も言えない。まだマシだと自分に言い聞かせて、ぼくは頷いた。
午後から康一くんと億泰も連れて四人で買い物に出かけた。最低限必要な物は衣料品。服の替えは足りなければ借りることができるが、下着類はそうもいかない。それからスケッチブックとノート。こっちでの生活がどれくらい長くなるのかわからないから、少しでも仕事を進められるようにGペンとインクと原稿用紙も一緒に買う。
通貨は同じ「円」だと康一くんが教えてくれたが、ぼくの持っている現金は使えない。デザインは同じだが文字が異なる。康一くんが見せてくれた紙幣の文字も、数字は読めるが他が文字化けしていた。もちろんカードも使えない。
じゃあどうすればいいんだと思っていたら、「露伴はお金払わなくていいっス」と仗助がカードをちらつかせた。
「何それ、きみのカード? 年下に支払ってもらうなんて嫌なんだけど」
「ちげーっスよ、協会が支払うんス。だからあんまり高いモン買わないでくださいよ」
「後で請求される?」
「露伴がこっちに残って働いて稼ぐようになるなら、いずれは請求されるかも。でも、あんた向こうに帰りたいんだろ?」
そりゃあそうだ。連載中の漫画の続きを描かないといけない。いつまでもこっちにいるわけにはいかないのだ。ぼくは頷き、ついでに尋ねた。
「向こうに帰る方法はあるのか?」
これには康一くんが答えてくれた。
「次の新月の晩に、こっちに来た時と同じように校門から外に出ればいいんです」
案外シンプルだった。だったらあと一ヶ月程度、こっちで何事もなく過ごせばいい。何事もなく……。
「吸血鬼が妨害してくるかもしれねーけどな」
仗助が言う。
「特にセンセーの血はうめーんだろ? 連れ去られて食料にされちまったらヤベーよなァ〜」
「ちょっと億泰くん! 大丈夫ですよ、先生。そんなことにならないように、ぼくたちが守りますから」
「ありがとう、康一くん」
同じことを仗助に言われると受け入れられないのに、康一くんに言われると素直に頼りたくなる。なぜだろう。尊敬する気持ちの違いだろうか。仗助は隣で「なんかおれの時と態度違くね?」とぼやいていた。
買い物を終え、カフェにでも行こうという話になった。向こうの世界でも馴染みのマゴが道の先に見えてくる。四人で横並びに歩くのはさすがに通行の邪魔になるので、前に億泰と康一くん、後ろにぼくと仗助が並んで歩いていた。
「億泰。おめー、月曜日のテスト勉強したかよ」
仗助は前を歩く億泰に話しかける。
「しようと思ったけど、ちんぷんかんぷんでよォ〜。問題集開いて一分でやめたぜ」
「やめんなよ! 補習になると人手が減るだろーが。康一は大丈夫だもんな」
「でも今回の範囲、ちょっと自信ないなァ〜」
人手というのはたぶん財団、じゃなくて協会の仕事のことを言っているんだろう。見習いとは言え学業と掛け持ちしているのだから大変なんだろうなぁと考えていたら、背後から声をかけられた。
「すみません」
男のような女のような、中性的な声だった。振り返ってみるが、ぼくに声をかけたらしい人物は見当たらない。人通りが少なく、周りに通行人はいなかった。声がしたのは気のせいか。
「露伴? どうかした?」
立ち止まってしまったぼくに気づいて、仗助が不思議そうに声をかける。気づくのが遅れて数メートル先に進んでしまった前の二人も止まってこっちを振り返っていた。
「いや、何でもない」
「早く行こーぜ」
仗助が先に歩き出す。少し遅れてぼくが再び歩き出したのを確かめて、三人の視線が前に向き直る。少しだけ彼らとの距離が空いてしまった。追いつこうと歩みを早めかけた、その瞬間だった。
「っ!?」
急に背後から手が伸びてきて口を塞がれた。そのまま強い力で引っ張られ、近くの路地に連れ込まれる。
三人のマークが外れたほんの一瞬の出来事だった。白昼堂々、こんなにも大胆に襲ってくるものなのか。三人の目が離れていたとしても他の通行人の目があったはず……いや、思い出してみれば、やけにひと気が少なかった。車も信号の影響かあまり走っていなかったような気がする。こいつ、タイミングを狙ってきやがった。
また裕也かと思ったが、あいつが動くならおそらく夜だ。じゃあこいつは誰だ。ぼくの知らない人間か。違う。人間じゃない、吸血鬼だ。昼間に動けるタイプのやつだ。背後から抱え込まれているせいで身動きが取れないし、相手の顔も確認できない。
「露伴!」
通りの方から仗助たちの声がする。すぐ近くの路地だったが、だいぶ奥の暗がりまで引っ張り込まれてしまったせいで、仗助たちはすぐに気づかない。
「んんっ! んーッ!」
どうにか居場所を教えようと声を出すが、くぐもった声はそう遠くまでは届かない。チッと耳元で舌打ちが聞こえた。首筋に息が当たる。このままでは噛まれる。
(くそ……ッ!)
大人しくやられてたまるか。ぼくはありったけの力で、自分の口を塞ぐ手に噛みついた。
「ッ……!」
相手が怯んだ。その隙に相手の腕を振り払い、解放された口で無我夢中で叫んだ。
「仗助ッ!」
すぐに足音が近づいてくる。
「こっちだ!」
「露伴!」
ぼくを襲おうとしていた人物はぼくの体を仗助たちの方に突き飛ばすと、逆方向に向かって逃走した。倒れ込みそうになったぼくを仗助が受け止める。逃げた人物の顔を見ようとしたが、逆光になっていてシルエットしか見えない。体格からおそらく男だということしかわからなかった。
「康一! エコーズで追えるか!?」
「やってみる!」
康一くんが呼び出したスタンドは向こうの世界の姿と同じだった。「ぼくも行ってくる!」と走り出した康一くんと共に、エコーズは男の逃げていった方へ一直線に飛んでいく。
「センセー大丈夫かよ!? 血ィ吸われてねェか!?」
億泰が心配そうにぼくの顔を覗き込んだので、ぼくは頷いた。
「大丈夫だ、何もされてない。逆にぼくが噛みついてやった」
「ははっ、やるじゃあねェーの」
思った以上に危機感を抱いていたのか、まだ心臓がバクバクしている。悟られないように口角を上げて笑みを見せていたら、仗助がぎゅうっとぼくの体を抱きしめた。
「ちょ、仗助、痛い」
「守るって言ったのに、目ェ離してごめん」
しおらしい態度にぼくはため息をつく。
「怖かったっスよね」
「怖くなんかない」
「でもあんた、震えてるっスよ」
「それは、きみの腕の力が強いから……っていうか、震えてるのはきみの声の方だろ」
泣いているのか、こいつ。自分を責めているのか、ぼくが無事で安心しているのか、正解がわからない。
横にいる億泰に「何とかしてくれよ」と目で訴えたが、「康一に加勢してくるわ」と走っていってしまった。なんだか気を遣われたようだ。向こうでのぼくらの関係を仗助から聞いたのだろうか。
「ナァ仗助、ぼくは大丈夫だから」
本当は頭でも撫でてやりたかったけど、向こうと同じようにブチ切れられたらそれこそ怖いから、髪に触れようとしたぼくの右手は少し迷って仗助の背中を撫でた。
「近くに車が停まってて、露伴がいなくなってすぐに動き出したから、もしかしたらってそっちに気を取られて……」
震える声で仗助は言う。
「でも、露伴が呼んでくれたから……居場所がわかって良かった」
そういえば呼んでいた。仗助の名前を。
「……そうか」
「うん」
仗助は返事をしてくれたけど、ぼくの「そうか」は半分独り言だった。
夢中で、自分でも意識したわけではなかった。裕也に襲われた時に真っ先にぼくを救い出した億泰でもなくて、尊敬する康一くんでもなくて、ぼくは仗助を呼んでいた。
(守られたく、ないんだけどなァ……)
その後、戻ってきた康一くんと億泰は「ダメだった」と首を横に振った。路地の向こう側は人通りが多く、ぼくを襲おうとした人物の特定には至らなかったと言う。
結構危ない目に遭ったのに、身の安全が確保されるとぼくの好奇心は再び顔を出した。冷めるどころか、むしろ機会があれば取材してみたいとさえ思っている。
◆ ◆ ◆
午後十一時頃になると仗助は「布団を借りてくる」と言い出した。
「布団?」
「だってあんた、一人でベッド使いたいって言ってたじゃあないっスか。ちゃんと鍵かけて行くんで、先に寝てていーっスよ」
借りたベッドの上で掛け布団を広げていたぼくを見下ろして、仗助は微笑んだ。ぼくが言ったわがままを覚えていたらしい。
「布団って、ここに敷くのか?」
ベッドの隣の床を指差すと、「そこしかないっスね」と返事をする。
「あのさ……そこだと夜中に踏みそうなんだけど」
「でも他に場所なんてねーっスよ。まさか廊下で寝ろとか言わねーよな?」
「さすがにそこまで失礼なヤツじゃあない。そうじゃなくって、その……」
素直に言えない。言葉で言わなくても伝わってくれと願いながら、体をずらしてベッドのスペースを半分空ける。
「こっち」
「えっ、嫌なんじゃあねーの?」
「まあ、確かに狭いけど、きみに躓いて転んだら嫌だし……」
仗助は瞬きを繰り返す。何となく伝わってはいるようだが、恥ずかしくて自分のわがままを撤回することができない。
「もしかして、今日また襲われかけて、怖くなっちゃった?」
「だから、別に怖くなんかないって言っただろ!」
「素直じゃないっスね」
本当に怖いわけではないのだ。ただ、今夜は一緒に寝たい気分だった。たったそれだけのシンプルな理由なのに、言えないから誤解された。
仗助は「お邪魔するっスよ」と半分空けたシーツの上に寝転がる。
「ん? これ、おれのベッドだから邪魔するって言ったらおかしいか。まぁいーや」
ぼくも仗助の隣に体を横たえてみる。
「やっぱり狭いな」
「え〜、もう、どっちなんスかァ」
狭いけど安心する。掛け布団を広げて自分と仗助の体に被せてから、仗助のむちむちしている胸板に顔を押し付けると、すぐに瞼が重くなってきた。
「じょうすけ……きょう、しごとは?」
だめだ。もう舌が回らない。
「今日はお休み。だからおれも、もう寝ちゃおーかな」
「そ、か……」
ふふっと笑う気配がした。
「今日はいろいろ説明したし、外でもいろいろあって疲れたね、露伴」
「うん……」
「今日はシない?」
回数はさておきこっちの仗助とは一晩しかヤってないのに、なんだかもうそういう関係になっているみたいだった。昨夜のは応急処置的な行為だったけど、これって浮気になるんだろうか。
顔も声も性格も、記憶以外はほとんど同じ仗助なのに、本当の恋人はこの仗助じゃない。でもこうやって甘えたくなるし、セックスに抵抗はない。向こうの仗助との境目が曖昧になってきている。
「きょう、は、しない……」
眠い頭でうっかり「する」と答えそうになったが、そう毎晩こっちの仗助とヤるわけにもいかない。昨日あまり眠れなかった分、今日はちゃんと眠りたい。
「ん。それじゃ、おやすみ」
おやすみ、と返事ができたかどうか。髪を撫でられながら、ぼくは眠りについた。
翌朝、仗助の体はベッドの下に落っこちていた。
「きみ、寝相悪いな」
ベッドの上から覗き込んだら睨まれた。
「寝相悪いのはあんたの方だよ……」
「え?」
「あんたに押し出されたんスよ。寝てる時は力強ぇのな」
「だって、しょうがないだろ」
何と言ってもベッドが狭いんだから。