「父さま!母さま!」
「テッド ほらおいで 転ぶといけない 手を繋いで」
ウルダハのクイックサンドへ上がる階段を元気に駆け上がる幼い少年
外に跳ねた金髪とふっくらとした唇が愛らしい
両親と思われる二人に手を引かれクイックサンドへと入っていく
身なりからすると裕福な商家のようだ
「この前ね、にいさまがね、」
「テッドはすぐににいさま、にいさまと、本当に仲がいいわね」
エメラルドの瞳をした母がくすくすと笑いかける
幸せそうな家族はクイックサンドの奥からマーケットへ向かう
薄暗いパールレーンを避けるように一本目の角を曲がろうとした瞬間、テッドはすれ違いざまに道行く男に脚を払われる
「テッド!」
どてりと転びあわや階段を転げ落ちるところだった
男はチッと舌打ちをすると
「金持ちがこんな所近付くんじゃねえよ目障りだ」
と吐き捨てパールレーンへと消えた
「テッド 起きなさい 」
父が厳しく言うとテッドは涙をぐっと堪え立ち上がる
「はい、とうさま…」
「偉いぞ 泣かなかったな」
父は厳しい表情を崩すと、一変して複雑に顔を曇らせる
「いいかい テッド もうこの国は駄目だ 先王が退去した今、この国の人間は自分の身を守るのが精一杯なんだ …それは我々とて同じだ」
母が顔を背ける
幼いテッドには父の言うことも、悲しむ母のこともわからなかった
─その後テッドが父の言葉を理解したのは12歳になった時だった
お世辞にも裕福で幸せそうな家族とは言えぬほど状況が逼迫したリドア家に、ある日見知らぬ男達がやってきた
男達は真っ直ぐにテッドを抑え込むと父にずっしりとした麻袋を手渡した
母は虚を見詰めている
訳もわからず抵抗し叫ぶテッドに昔のように厳しく父が言い放った
「やめなさいテッド 今日からお前は一人で生きていくんだ 我々にはこうするしかないんだ」
昔のように母が顔を背ける
「…はい 父様」
テッドは全てを悟った
「…母様…父様…どうかお元気で 兄さんにも…会いたかったけど、どうか、生きて 兄さんなら、きっと立て直せる」
今のリドア家には子供を養っていく力がないことは子供ながらにテッドは感じていた
長男である兄は18歳になり、凡庸な自分とは違い家を支える力があった
家のため日夜働きに出ている兄へ全てを託しテッドは男達に引かれて家を出た
──────
冷たいものが頬を伝いテッドは目を覚ます
(…夢、か…懐かしい夢だ)
幼いあの日、父はマーケットでジュースを買ってくれた
転んだ痛みなんて忘れるくらい美味しかった
家を出たあの日、星のない夜空が酷く孤独を感じさせた
男達に値踏みされより一層諦めが濃くなった
誰も悪くない
悪いとするならば、幼く力がない己が悪かったのだろう
その後リドア家がどうなったかは調べたことは無い
知るのが怖かった
泥水を啜り理不尽に蹂躙されここまで生きてきた事は家の為だったと思いたかった
もしも家が無事でなければ、自分の全てが無になってしまうと思った
自分は未だ弱い
”もしも”に向き合って立っていられる強さはまだない
頬を伝う涙がそっと拭われる
「テッド 泣いてるのか」
テッドがゆっくりと瞼を開くと海のように真っ青に煌めく瞳が自分を見つめている
「ウェド…ごめん、寝ちゃってた」
「構わないさ」
「…夢を、見てたんだ」
「……そうか」
ベッドサイドに腰掛けたウェドはそれ以上何も言わずそっとテッドの頭を撫でた
─大丈夫 俺は今ここにいる 過去が無駄になったとしても、きっともう独りじゃない