飛来キラキラと陽の光を反射する真っ白な世界。
ここ数日の吹雪が嘘のようにクルザス中央高地は穏やかな姿を見せてくれた。雪の結晶が宝石のように瞬くダイヤモンドダストが舞い、全ての音が消えてしまったような静けさに思わず窓の外を覗き込む。
すぅ、と息を吸い、静けさを案じながら控えめに呟く。
「すごい、やっと晴れたね」
窓を開けようとした手は触れた窓ガラスの冷たさに引っ込められる。
「ああ、綺麗だね テッド、君の調子はどう?」
「うん、もう大丈夫!ウェドのお陰だよ」
「良かった おいで、窓際は冷える」
迎え入れるように差し出された手を取るとするりと腰を引き寄せられ、翠色の瞳を隠す長く伸びた前髪の間から額に口付けられた。
「うん、もう熱は無さそうだ」
「俺のせいで立ち往生しちゃったね」
「例え君が元気だったとしても、俺はあの吹雪の中行くのはごめんだぜ」
「ふふ、そっか」
慣れない土地を歩いてきた巡礼の旅の疲れが出たのか、寒冷地のクルザスに着いた途端テッドは熱を出した。その日も酷く荒れていて、この灰銀の大地に歓迎されていないと思わずにはいられなかった。
事実他国との関係を閉ざしたイシュガルドへと続くこのクルザス中央高地では他所者はあまり歓迎されていない。全てが冷えついたこの土地では隣にいる人の存在だけが暖かに思える程だ。
アドネール占星台は黒衣森からキャンプ・ドラゴンヘッドへ向かう途中にあり、商隊も出入りしている為小さいながらも宿屋がある。
商人ではない他所者の旅人ウェドらがその宿を借りられたのは運が良かった……のではなく、ウェドが有無を言わせず麻袋をカウンターに叩き付けたからだったが、熱でぐったりとしていたテッドは気付いていない。
「支度して早めに出ようか」
「うん!」
まずはメネフィナの秘石を目指し、ぐるりと迂回し聖ダナフェンの旅程を通りハルオーネの秘石を目指す。舗装された道があるとはいえ吹雪の後で酷く積雪し、ましてや雪狼やドラゴン族が現れる道中だ。徒歩では行くだけで半日掛かってしまうだろう。
チョコボキャリッジでキャンプ・ドラゴンヘッドまで行き、そこから歩くのが一番だ。
しっかりと防寒着を着込んでいるとは言え、年中積雪するクルザスはリムサの冬なんて比べ物にならないくらいの寒さだ。チョコボキャリッジの荷台に居ても寒風が頬を刺す。
お互い身を寄せ、一時間程耐え忍んでキャンプ・ドラゴンヘッドへと到着した。この先は谷間や崖が多くチョコボキャリッジでは進めない。
ウェドが使役する風の大鳥に乗り空路を行く手もあるが、上空でこの寒風を浴び続けるのは得策とは言えなかった。
キャリッジから降りるとザクと雪に足が埋まる。テッドは思わずぶるりと肩を震わせた。
「ここから歩くのかぁ…」
「やめとく?」
「んなっ!な訳ないじゃん!」
「ウィッチドロップの底にはドラゴンのミイラがあるらしいぜ」
「なんで今それいうの!もう!」
「その元気があれば大丈夫そうだ」
ふざけてニヤリと笑うウェドの胸を拳で突き、尖らせた唇でむぅっと鼻に皺を寄せて見せるテッドから不安の色は消えていた。
「よし!行こう!」
キャンプ・ドラゴンヘッドの北東の門から出て歩き出す。すぐに左右に山と谷がある細い道を慎重に抜け、傾斜の厳しい坂を登っていく。
(神様に祈るのも楽じゃないな……ウェドと一緒じゃなきゃこんな所来れないや)
はあ、と大きく息をつき眼前に広がる遺跡群を見上げた。大きく損傷した壁がいくつか残っている。もう少し進めば入口の門があるようだが、目当てとする道はそちらではない。
辺りを見渡し、雪に足跡が無いことを確認してもこの壁の裏にドラゴン族が潜んでいるのでは無いか……ここまでの景色がひらけた物だったせいか、そんな妄想がテッドの脳裏を過ぎる。
「ふぅ、少し休憩しようか ここなら休めそうだ」
ウェドがにこりと微笑む。
当然ウェドの言う通りで、遺跡は風避けには最適だしここで一度休んでおくべきである。だが……いや、何となくまとわりつく嫌な気持ちを仕舞い込み、ウェドに微笑み返し頷いた。
「薪を集めてくる 君は休んでいるといい」
「あ……ウェド、待って……!」
やっぱり、嫌な予感がする―
二人の間に少し距離ができた瞬間、真っ白な雪面に突如穴が出現したかと錯覚するほど黒く大きな影が二人を覆う。気付き見上げた時には遅く、眩い太陽の光を背に何かが落ちて来た。
"それ"はどしゃりと雪を巻き上げウェドの近くへ着地すると状況に遅れを取ったウェドをいとも簡単に地面へとねじ伏せる。
「ぐあ…っ」
「ウェドっ!!」
無彩色の雪景色には似つかわしくない、よく見知った"赤"がテッドの目に映る。
「よお、そんなに怯えて遭難でもしたか?テッド」
「な……んであんた……!」
「くっ……お前……アルダシア……ッ!」
ドラゴン族の方が余っ程マシだった。全く予想もしなかった悪意の飛来にテッドは奥歯を鳴らす。
「なんなんだよ!あんた、どこまで俺たちに付き纏うんだ!」
「こっちだって本望じゃないんだぜ?まぁ腐れ縁と行こうや」
アルダシアは押さえ付けたウェドの背中に膝で体重をかけ乱暴に髪を掴むと泥土の混ざる雪面へウェドの顔を擦り付けた。
「やめ……!」
「勿論、大人しく話を聞くならやめてやるよご両人」
「テッド……!いいから逃げろ……ぐ、ぁ」
「ウェド!」
「今回はお前にとっても悪い話じゃあない 感謝されてもいいくらいだ テッド いいか、大人しくしろよ」
「……ッ」
人の心を掌握するような柑子色の瞳に射抜かれる。以前もウェドを拘束されこの瞳と対峙した事はあった。だがあの時とは違う。見計らった奇襲に全てが不利、適う訳が無い。
「……わ、かった……大人しくする」
「テッド!!」
「良い子だ それでこそ俺のテッドよ だがな、なにも殺そうってんじゃない、そう怖がるな…なぁ?」
アルダシアが問うように視線をテッドの背後へと向ける。ザク、と雪を踏みしめる気配にテッドはゆっくりと振り返った。
そこには見知らぬ男が真っ直ぐテッドを見詰め立っていた。いや、この男どこかで―
「感動の再会だな タージ」
アルダシアが呼んだ名にテッドは目を見開いた。目の前にいるこの男は―
「まさか……タージ…兄さん、なの?」
「ああ、兄さんだ、テッド……ずっと、ずっと探していたよ」
幼い頃の兄の記憶が溢れ出す。確かに兄さんだ。随分と逞しく、そして少しくたびれてはいるが面影がある。自身と同じく母譲りの翠色の瞳、きゅっと結ばれた父に似た薄い口元、少し角張った頬……
兄が生きていた事実、再会した喜び、反して会いに行かなかった自責、空白を埋める恐怖、様々な感情が涙となってテッドの頬を伝う。
「テッド、随分大きくなったな……辛かっただろう、大丈夫だ、心配することは何もない、兄さんが護ってやるから一緒に帰ろう」
テッドは俯き頭を振る。
「タージ兄さん……出来ないよ……なんで……なんでアルダシアといるんだ」
「アルはお前にとっても大事な人だろう?」
「違うっ!こんな奴!!はやく…ウェドを離せ!」
「おいおい傷付くだろうが」
「家族でゆっくり話が出来るよう、アルが計らってくれているのがわからないのか?」
「なに…それ……」
「そんな汚い海賊風情、お前の側に置いておけないだろう」
「くっく、何も言えないなぁディアスくん」
「……っ」
「兄さん、誤解してる!どうして、なんで……」
「お前こそ昔は兄さんの言う事にはいつも応えてくれたじゃないか なあ、テッド、帰って話をしよう…あの日からの全てを」
「……」
「大人しく来れば色男は離してやるさ」
「……わかった、一緒に…行く」
「ああ!テッド、わかってくれたか」
ウェドの安全を思う気持ちは本当だ。それと同時に向き合わなくてはいけないと、このまま逃げても仕方がない、兄に何があったか知らなくてはならないと思った。
タージが大股でザクザクと雪を踏みしめ近付きテッドの頭を撫でた。その手は昔と変わらず暖かく優しく、テッドの瞳からまた大粒の涙が零れる。
こんな形でこの温もりを思い出すなんて。
「ウェドを離して」
「あ、ああ、忘れていた アル、もういい」
「はいはい、俺もいい加減凍えてきたぜ」
ゆっくりとウェドに掛けていた重みを緩め捻じあげた腕の拘束を解くとアルダシアは去り際に耳元で囁いた。
「小犬は返してもらうぜ、ディアスくん」
ウェドは血が滲むほどきつく拳を握りしめる。
アルダシアだけなら何としてでも渡さない。テッドと二人ならどんな相手にも立ち向かえる、そう思っていた。
だが、あろう事か相手はテッドの肉親だ。状況もあまりに不鮮明であり、アルダシアの魂胆も見えない。
兄に肩を抱かれたテッドが振り返り目が合う。テッドの悔しそうな泣き顔。胸を引き裂かれるような思いだ。待っててくれ、必ず迎えに行くから。俺はもう君を諦めたりしない。
遠ざかっていく小型の飛行船を悔恨の思いで見詰めるしか今のウェドには出来なかった。