releaseウェドの声が聞こえる。
『─ッド…目を…さま……』
ウェド、ごめん、俺またあいつに抗えなかった、ごめん…
『…行っ…くる。』
ウェド?待って、ウェド行かないで!
駄目だ、追い掛けちゃ駄目だ…!
俺は大丈夫だから、ウェド!
ウェド!!
会いたかった愛しい人の気配がするというのに閉じたままの瞼は錆び付いてしまったかのように重い。
体も泥の中に沈んでしまったように動かない。
それでも、彼を引き留めなくては、という強い一心で必死に何とか瞼をこじ開けた。
目をぐるりと回すと部屋には誰もいない、しかし綺麗に身なりが整えられていることに気が付いた。
(やっぱり…ウェドは居たんだ。そして行ってしまった…)
鉛のように重く軋む体を何とか起こし、立ち上がろうとするがバランスを崩しベッドから転げ落ちてしまった。
どしゃりと冷たい床の感触。
幸い、痛くはない。
気を失う前、アルに痛みを快楽に変える催淫剤を飲まされていた。
あちこち殴られ暴行されたがその痛みもない。
皮肉なことに薬のお陰でなんとか体は動かせそうだった。
バザバサと羽音がして何処からかアンバーが舞い込んできた。
アンバーは真っ直ぐこちらを見つめてくる。その目からは自分と同じ気持ちだという事が伝わってきた。
「だい、じょうぶ、アンバー…お願い、ウェドの所へ、連れて行って…!」
力を振り絞りもう一度体を起こす。
壁に掴まりながら何とか立ち上がる。
アンバーはじっとテッドを見つめた後ピィーとひと鳴きすると先行するように飛び立った。
アンバーを追いかけ、壁を伝いながらも出来るだけはやく、と一歩づつ歩みを進める。
じわりと額が汗ばむ。少しでも気を抜くと意識を手放してしまいそうだ…
眠い 瞼が閉じる…
ピィー!と大きなアンバーの声。
「アンバー…ありがとう、大丈夫、行こう。」
─リムサ・ロミンサの上層甲板。
アルの事だ…ここまでくれば、何処にいるのか察しは着く。
重い自分の足を拳で強く叩く。
意識さえあれば大丈夫、体は動く。
むしろ痛みがあるほど覚醒していく気すらした。
薬の興奮作用だろうか…
歩みを進め、階段を登ったところで風にかき消されるように微かに銃声らしき音が聞こえた。
ハッと顔をあげ体に鞭打ち走る。
ウェド、無事でいて…─!
アンカーヤードへの屋根のある道を抜けると目の前には願ったのとは逆の光景があった。
ウェドがアルに拘束されている。先程の銃声はアルのものだった。
意識の限界の枷が外れたのか、急に体が軽くなる。周りの状況が視える。
道の先、すぐ側にウェドの銃が落ちている。
考える間もなく足は石畳を蹴り出していた。気が付かれないように銃に飛び付き、ウェドから意識を逸らす為にわざと声を上げる。
「ウェド!!」
二人の視線が集まる。
やけに冷静な自分がいた。
銃を扱う自信なんてなかったのに、この時ばかりは必ず当たると思った。
アルの瑣末な話は耳に入ってこない。
アル…あんたの事を、理解したかった。
あんたの本当の顔はそれじゃないと思いたかった。
でもそれは俺の甘い世迷言だった。全部過去だ。
今の俺は、あんたを止めなきゃならない。
時間が経てばウェドを盾にされてしまうだろう。
アルは俺が撃てないと思っている…今しかない。
神経が引き金に集中する。
何も考えずに感覚に従うまま引き金を引いた。
慣れない発砲の衝動で一瞬意識が混乱するが、次の瞬間にはウェドに抱きしめられていた。
ウェドのいつもの香り…
背に回された大きな手…
感覚全てがウェドを認識した途端、体の力が抜けてしまった。
─ウェド、会いたかった…
ここから先は記憶が無い。
アルがどうなったのか、自分の体がどうなっているのか、把握したのはこの日から2日後の事だった。
目を覚ますと喉が張り付いて声が出ない。
そばでベッドに突っ伏していたウェドが身じろいだ気配で顔を上げる。
「テッド…ッ!」
ウェドの顔がくしゃりと歪んだあと泣き出しそうな顔で微笑んだ。
「良かった、目が覚めたんだな…!」
答えたかったけど声が出ない…
口をパクパクとさせるとウェドがそっと頭を支えて水を飲ませてくれた。
こくこくと小さく喉が動き、水の甘さが全身に染み渡る。
ウェドがぽつりぽつりと話してくれる。
俺は丸二日間寝ていたこと、
飲まされた薬によって弱りきって昏睡していたこと、
カナさんが看てくれたこと、
俺の撃った弾は確かにアルを捉えたこと、
アルを取り逃したこと、
─そしてウェドの懺悔。
「俺のせいで君をこんな目に合わせてしまった。本当にすまない…俺は君を失うところだった…そばにいると言ったのに、俺は…」
ウェドは俺の手を強く握り手の甲にキスをする。
そのまま俯いて震えている。
ウェドの目からは涙が零れ、頬を伝う。
握られていた手をそっと解き、ウェドの涙を拭うとウェドがゆっくりと顔を上げ目が合った。
「うぇ、ど…それは違う、よ。元はと言えば俺が、巻き込んだ…ごめん。」
ウェドの目から更に大粒の涙が溢れる。
真っ青な瞳が潤み、本当の海のようだった。
この瞳が好きだ…彼が泣いているというのに、改めてそう思った。
「ウェドが無事でよか、た…ウェドはそばに、いてくれたよ…ウェド、だいすき。」
目覚めてから一番伝えたかった事がやっと言えた。
アルに何をされても、ウェドを思えば耐えられた。ウェドは間違いなくそばに居てくれた。
「…ッ俺も…!俺も愛している…テッド…無事で良かった……」
ウェドは堪えきれず嗚咽をもらしもう一度俯いた。
「俺…強くなるから、ウェドに心配かけないように、強くなるから。」
ウェドがこくりと頷く。
しばらくウェドの頭を撫でていたが不意に意識が遠のく感覚に襲われ、抗えずぱたりとテッドの手がベッドに落ちる。ウェドが慌てて顔を上げた。
すうすうと寝息を立てて眠るテッドをみてホッと胸を撫で下ろす。
カナが応急処置をし、二日間たっぷり眠っていたとはいえ、テッドの体のダメージは相当なものだ。もう少し寝た方がいいだろう。
テッドが昏睡している間、何度もしていたように頬を撫で、そっと額にキスをした。
小鳥が一度風切羽を切られたとしても、新しい羽でまた羽ばたけるように、足枷のなくなったテッドはきっと飛べる。きっと強くなるだろう。
そしてその日はきっとそう遠くない。
全身で自由を浴び、キラキラと輝く彼の魂を思ってウェドは微笑んだ。