潮騒:前編ここの所、リムサ・ロミンサの冒険者の間ではひとつの噂話が持ち上がっていた。
冒険者同士の噂話など大して珍しいものではないが、その噂はイエロージャケットの司令がギルドを通じて「腕利きの冒険者」を探しているというものだった。
ギルドに集う冒険者は皆それなりに腕の立つ者も多い。噂が本当ならば大きな仕事になるだろと皆、我こそはと思い思いに武勇伝を語り噂が噂を呼んでいた。
噂によると近頃エールポートからほど近い幻影諸島周辺で不審船の目撃が相次ぎ、イエロージャケットが慌ただしく調査していた件が関係あるという。
つい先日、俺もウェドと彼の友人たちと海賊崩れのならず者が麻薬の密売をしている所を暴いた事件があった。
件の不審船もこの密売船だったのだろう。密売の手引きをした主犯であろう男はイエロージャケット内部の者だった。
それではいくらイエロージャケットが調査したところで内情は筒抜け。尻尾を掴めないわけだ。
あの日、俺は奴らは西ラノシアの海賊団「海蛇の舌」の一員なんじゃないかと踏んで詰め寄った。
…でも、でもあの男は「あんな奴らと一緒にしてくれるな」と言葉を残し異形の姿となって俺たちの目の前から消えた─
思い出すだけでも吐き気がする。その男からは何日も残された潮だまりのような生臭さが立ち込め、みるみるうちに肌はめくれ上がり爛れ、まるで魚の鱗のようにボロボロと剥がれ落ちていった。
"その男だったモノ"はそのまま跡形もなく消え、死んだのか…それとも逃げられたのか…それすらわからなかった。
あんなものを見たのは初めてだった。
思わずぶるりと体が震える。
そんな一件があった後だからこそ、俺はこの噂が引っかかっていた。内部から無頼漢が出たこともあり、イエロージャケットは慎重になっている。
腕利きの冒険者を探している、という噂話はあっても、一体どんな依頼内容なのかは一切情報が入ってこない。
嫌な予感がする。あの日見たものは、きっとただの妖異や怨霊の類いでは無い、そんな気がして止まないのだ。
…何より、ウェド。彼の様子が気になった。見たものをそのままウェドに話聞かせた時の彼の妙な冷静さ…人がドロドロに解けて消えてしまうなんて、普通なら信じられないような話だ。
それなのにウェドは「謎は残るが」の一言で片付けてしまった。
もしかしたらあの日、ウェドもやつの仲間が同じように解けるところを見たのかもしれない。
そうなると、もしあの男が死んでいたとしても、異形の者はあの男だけでは無いということになる。
そんな恐ろしい事がもしこのラノシアで起こっているとしたら─
そこまで考えた所で気味の悪さでもう一度体が震えた。ギュッと自分の肩を抱くように背を丸める。
ファンファン…ファンファン…
不意にリンクパールが鳴り心臓が跳ねる。
「は、はい!もしもし」
『ああ良かった出てくれたか テッド』
発信相手はギルドの顔役のバデロンさんだった。
『ウェドは一緒かい?』
「い、いえ…ウェドは今日用事で東方へ…」
『ふむ、そうか仕方ねぇ…ひとまず先にお前さんだけでも話しておきたい事があるんだが…海豚亭まで来てもらえるか』
「わかりました、すぐ向かいます」
このタイミングで顔役からウェドの名前が出たという事は、十中八九噂になっている件についてだろう。
だってウェドは誰がどうみたってリムサ・ロミンサ屈指の腕利きの冒険者なのだから。
***
驚いたことに、バデロンさんの話は俺宛でもあった。内容は予想通りだ。
先日の密売検挙が評価され、ウェドと俺で行動して欲しいそうだ。一年前の俺ならウェドのオマケだ引き立て役だとむくれていたかもしれないが、今はただ純粋にウェドの隣に立てていることが嬉しい。今の俺はウェドのオマケなんかじゃなく、相棒なんだって胸を張れる気がするから。
ウェドを待たずして早急に俺に告げられた依頼内容は
"サスタシャ浸食洞の調査"
調査とは言ったものの名ばかりで、確実に中で何かが起こっているのだろう。受けなくても構わない、ウェドと良く相談してくれと念を押された。
話には「海蛇の舌」の名前も挙がった。不審な海賊らしき人物が出入りしている、海蛇の舌ならば放置できないということらしい。
俺はあの異形となった男の言葉を思い出す。
中でなにかが起こっているとして…海蛇の舌では無いと俺の勘が警鐘を鳴らす。
サスタシャ浸食洞─
西ラノシアのスカルバレー沿岸、エールポートよりすぐ北の丘に入口がある天然の浸食洞。
提示された情報によると、海水が深い部分も多くあるが、最深部まで渡り歩くだけの足場はある。一度イエロージャケットが調査に入った場所だ、最低限の経路は確保されている。
俺はリンクパールにエーテルを込め、交感先からウェドのエーテルを選び出す。
以前はこのリンクパールの仕組みもピンと来なかったのだが、巴術を学び始めてからエーテルというものが少しわかった気がする。お陰で長距離テレポも少しづつ出来るようになってきた。
何度か通信を飛ばしてもウェドからの応答は無かった。この所ウェドはよくカナの所へ通っている。先日の密売の事件で受けた傷の具合を診てもらってるとか。
…それに、多分何を調べている。気にならない訳では無いが、ウェドならば時が来たら話してくれるだろう。
しかしどんなときも直ぐに応答してくれていたウェドと繋がらない事が拍車をかけ、何だか無性に焦燥感に襲われる。
「うーん、どうしよう……行ってみるかっ!」
都市内エーテライト以外も使えるようになり俺の行動範囲はぐんと広がった。
それ故にこの時はとりあえず入口を見るだけ見に行ってみよう、と軽率に思ってしまったのだった。
エーテルを纏った俺の体は宙に浮き、眩く光った次の瞬間港町のエールポートへ着地した。
距離のあるテレポは未だほんの少しエーテル酔いの気持ち悪さが付きまとう。
この街は名前の通りエールの流通が有名で、夕暮れ時ということもありどの酒場も煌々と灯りがついていた。街の人は皆お気に入りの酒場に籠っているのか、中の熱気とは裏腹に外はがらんと人気は少ない。
仕事終わりのイエロージャケットが一杯引っ掛けて乾いた喉を潤している。
門を守っているイエロージャケットもエール片手に赤ら顔だ。
街のシンボルでもある船乗りの安全を祈るセイレーン像を見上げ、美しさに見惚れてしまう。今度ウェドとゆっくり遊びに来てもいいかも。あ、でもウェドはエールよりワインが良いかな。
(って違う、下見は下見でもそういうんじゃないんだった!)
酒場から漏れ聞こえる笑い声と弦楽器の軽快な音楽につい観光気分になってしまった。頭をぶんぶんと振り気持ちを切り替える。
エールポートの東の門から出ると石畳はすぐに途絶え、乾いた原に真っ直ぐ道が伸び高知ラノシアへ抜ける山道が見える。その脇にサスタシャ浸食洞の入口はあった。枯れ草が風に舞い、街の活気が嘘のように物悲しい殺風景な野原だ。
暗くなってきた辺りに警戒しながら乾いた土を踏み締めて進むと、チラリと人影が見えた気がした。見回りのイエロージャケットならいいけど…
さっと岩陰に隠れ、もう一度覗き込む。闇に溶ける人影を一瞬捉え、衝撃が走る。
「…なっ…!?まさか…!?なんで…っ!」
その人影は暗がりでもハッキリと目立つ、見覚えのある真っ赤なシャツを着ていた。
人違いかもしれない。でも、俺が奴を見間違うなんてこと…
もう幾分か前になる、俺が奴を、アルダシアを銃弾で撃ったのは。
海へと落ちていったアルダシアの生死はわからなかった。ただ、蛇のような男だ、あれくらいで死んだとは思えなかった。だとしても─
決別できたと思った過去の邪悪が舞い戻ってきた、そう思うとその場に崩れそうになる。
なぜ?なぜ未だラノシアに留まっている?それなのになぜ俺やウェドに手を出してこない?アルダシアの目的は?サスタシャ浸食洞にはアルダシアが?先日の密売された麻薬も俺が使われた薬と関係が?
確か奴が再来した時、俺が必要だと言っていた。勿論商品としてか駒としてかのどちらかなのは明白だった。
ウェドを欲しがっていたのも恐らく即戦力としてだ。もしやあの時から何か大きな事を企み、駒を増やしていた…?
全ての点と点がアルダシアという男で繋がったようにすら思える。恐ろしい悪事に手を染めている男だ、一連の全ての裏に奴がいたとしても何らおかしくはない。
「ウェド…ウェドに知らせなきゃ…」
震える手でリンクパールを取り出しコールする、しかしはたと手を止め思い止まった。
(待て、考えろ俺……ウェドとあの男がもう一度対峙するなんて事……絶対あっちゃいけない…っ次は絶対に無事では済まない。アルダシアは二の轍を踏むような男ではない…)
ウェドごめん、少しでも危ない事にひとりで首を突っ込まないって、約束したのに。
俺はコール先を変え、遠く離れた東方の彼へ向けてコールした。
ファンファン…ファンファン…
『もしもしテッドくん?どうしたの』
「カナ、ウェドまだそっちにいる?」
『ああ、ウェドか。いや、ついさっき出ていったところだよ。入れ違いになったかな?』
「そっか……カナ、あのさ、突然ごめん。もし今から一刻過ぎても俺から連絡がなかったら、バデロンさんを訪ねてってウェドに伝えて。絶対、それまでは伝えちゃだめだから!」
『テッドくん?ちょ、君、今から何を─』
慌てた声色だったカナの言葉尻が強くなるのを感じて急いで通信を切る。
カナ、怒ってるよね。嫌な役回り任せてごめん。でも俺確かめなきゃ…ウェドに話すのは、本当にあの人影がアルダシアだったのか、それを確かめてからでも遅くないはずだ。
辺りを警戒しながら進み暗がりになったサスタシャ浸食洞の入口へ差し掛かる。申し訳程度に松明が揺らめいているが、エールポートの門番ですら酔っ払っていたところをみると、この火の寿命はあまり長くないのだろう。
「特別危険地域」と書かれた進入禁止の札を跨ぎ、俺は岩壁にぽっかりあいた洞窟へゆっくりと進んで行った。
中は真っ暗かと思われたが、発光する珊瑚やコケの光が水面に反射して揺らめき鮮やかな色彩で彩られていた。これだけ美しいのも、人の手があまり入らないからなのかもしれない。
自然が生み出した美しい景色に圧倒されながらも、辺りには危険なモンスターが闊歩している。モンスターだけでなく、足を滑らせて深水に落ちれば泳げない俺は終わりだ、気を付けなければ。
程なくして最深部と思われる行き止まりが見えてきた。そこで目にしたのは不審な人影…ではなく大きなクァールだ。
「なんでこんなところに…」
クァールはラノシアではよく見かける獣だが、西ラノシアには居なかったはずだ。高知から降りてきたのか…?そうだとしても、肉食であるクァールが浸食洞を根城にするなんて…
違和感を感じて足を止めると、鈍い地響きのような音を立ててクァールの後ろの壁が崩れた。
…いや、崩れたのではない、開いたのだ。
壁に模した岩の扉が開き、その先には通路が見えた。
奥はランプの光が岩肌を照らし、人工的に空間が作られているのがわかる。
光の具合から察するに奥はおそらく広い…それならばこのクァールは番犬という事か…ここが最深部と思われていたが奥は拡張され、ならず者の根城となっているようだ。
さながら天然要害とでも言えるだろう。
緊張で滴る汗を無視し開いた扉を注視していると、のそりと男が出てきた。しかし知らないルガディン族の男だ、アルダシアではない。
やはり人違いだったのか…それとも奴は奥に…?
現れた男は暫くすると奥へ戻り、隠し扉も重々しく閉じられた。
(一度引き返そう…)
男が消えた壁から目を離さずゆっくりと立ち上がろうとした瞬間、背後から「パシャ」っと水溜りを踏む水音が耳に響いた。
しまっ─
振り向いた時には既に遅く、頭部へ重い衝撃が加わり濡れた地面へどしゃりと倒れ込む感触を最後に俺は意識を手放した。