幸村が越前を殴ったらしい。そんな噂が合宿所に蔓延っていた。噂と言うよりは真実味があるというか、実際目撃された人数もそこそこ多かったし、何より僕自身それを遠くから目撃した人間なので「幸村が越前の頬を叩いた」と言い切る方が正しいのかもしれない。
それでも一応話を聞いておいた方がいいかもしれないと思い、僕が「越前のことを引っ叩いたみたいだね」と揶揄うように言った。するといつもなら「そうなんだよ」と少し困ったようにしながらも朗らかに笑ってみせる幸村が、珍しく苦い顔をしながら「違うんだよ、不二」と言い淀んだのでおや、と思った。
「違うと言うか……いや不二も見てたと思うから正直に言うけどね、結果的にボウヤを引っ叩いたのは事実なんだ。でも加害するつもりはこれっぽっちもなかったし、俺もこんな大事になると思わなくて……」
「まあまあ、ひとまず落ち着き」
白石がお茶が入ったカップを2つ、僕たちの前に置く。
「わあ、ハーブティーだ」
「ありがとう白石」
白石は微笑みで応えてベッドに腰掛け、幸村に向き直る。
「幸村くんがそないなことする訳ないとは思うとるけど、実際越前くんがコルセットつける羽目になったしなぁ……何があったん?」
ハーブティーで一息ついた幸村が、白石のスマートな誘導によって口を開いた。曰く、こういったことだったらしい。
◆
ボウヤとは本当に、たわいの無い話をしてたんだ。ああ、そもそもはコーチから承った伝言を伝えるために探してたんだけど。どこを探しても見当たらなくて、人伝に聞いてようやくロビーのソファで昼寝しているのを見つけてね、こんなところでよく眠れるね、とかそんなことを言ったんだと思う。
伝言を聞いてる時のボウヤは起こされてぼんやりしてたけど、おねむでご機嫌斜めだったのかも、少しだけムッとした顔をしたんだ。そこで何かを言ってきた。多分、別にいいじゃんとか、アンタには関係ないでしょとか、そんなボウヤが言いそうなことを。でも俺は聞いてなかったんだよ、ちょうどそのタイミングでボウヤの頬に蚊が止まったから。
あ、蚊だなって思うだろ?ねえ、2人ならどうする?叩くよね?
俺もそう。と言うより、もうほぼ反射なんだよ。叩くぞ、と思うより先に手が出ちゃうもんじゃないか。そう、わかってもらえたと思うんだけど、その瞬間だよ、不二が見てたのは。
気付いたら、ボウヤが「信じらんない」って顔でこっち見てた。なんだっけ、あの宇宙の背景に合成されてる猫の写真。あんな感じで最初はボウヤもポカンとしてたけど、そのうち「手塚部長にもぶたれたことないのに」って感じで打たれた頬を抑えてさ。
実際に青学ってそういうことしない?そっか、昨今は厳しいしね。まあウチはあるんだけどさ。気合を入れ直すみたいな感じでね。いや俺じゃないよ、真田がね……。
そうだ、越前の話だったね。誤解を解くために手のひらを見せたんだ。
「ごめん、蚊がいたから」って言いながら。でもさ、運が悪いというか間が悪いというかそういうことって往々にしてあるだろ?潰れたはずの蚊がいなかったんだよ。叩いた時、そのまま地面に落ちたのかもしれない。逃げられたんじゃないかって?俺が蚊を取り逃すわけがないよ。反射神経だっていいし、叩いて被ってじゃんけんぽんだって無敗なんだから。でも今から地面に這いつくばって蚊の死骸を探すのも変だろ──
越前はただ何もない俺の手のひらを見せつけられて、やっぱり信じられないって顔してたな。あの子って、あんな瞬間まで勝ち気なんだね。アメリカ育ちだからかな?訴えてやるって感じで睨んできて。その瞬間までは俺も誤解はすぐに解けるって思ってたんだけど、すぐに青学の大石くんが飛んできてさ、「さっきのは確かに越前が生意気だったとは思うけど、別に叩くことないじゃないか」ってまるで子どもを守る母親みたいに、ボウヤの肩を抱くんだよ。
えぇ、って困惑しちゃったな。でもその時気付いたんだ。ロビーにいる人間がさっきまでの俺たちの会話を聞いていて、ちょうど何かボウヤが生意気を言ったタイミングで俺が彼の頬を引っ叩いちゃったんだって。
しかもちゃんと説明しようとしたら乾くんも「11月に蚊がいる確率、23%」とか言い出すし、うちの丸井やジャッカルまで、「他校の1年にそういうことするのはちょっと……」とか嗜めてくるんだよ?そういうことってどういうこと?俺はボウヤを不条理な蚊の襲撃から守っただけだったのに……冤罪に追い込まれた俺の気持ちがわかるかい?
その後、ボウヤが「なんか、首、変なんだけど……」って言い出してそれっきり。医務室に連れて行かれたボウヤが食堂に現れた時はにあの姿だったってワケ。2人も見た?エリザベスカラーつけた猫みたいで可愛かったよね。ちょっとブスくれてたし。だから俺、思わず笑っちゃったんだけど。わかってるよ、それが悪かったんだよね。みんな一斉にこっちを見てたよ。
俺もその場で謝った方がいいと思って立ち上がったんだけど、不特定の人間に見られるのは好ましくないから別の機会にした方がいいって蓮二が言うんだ。でも全くボウヤが捕まらない。避けられてるのかな。
◆
幸村は、ハァ、と深くため息をつくと、「ハーブティー、ご馳走様」と言って窓辺に置いている花の手入れをし始めた。
白石がカップをテーブルに置きながらこちらを見る。僕は肩をすくめてその苦笑に応えることしかできなかった。
「ねえ、僕が越前に話してみようか。(越前に限ってそんなことはないと思うけど)他校の先輩って所に萎縮してるだけかもしれない。彼も本当はなかなか可愛い奴でね、誤解が解けたらきっと打ち解けられるよ」
そう提案してみるも、幸村は少しだけ迷いを見せた後、ゆっくりとかぶりを振った。
「せっかくだけど、やっぱりボウヤを殴ったのは事実だから、自分の口から謝らないといけないと思う」
「うん、そっか」
「気を遣ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
「ところで2人はもう風呂入った?バタバタしてたから入りそびれちゃった。この時間だと混んでるのかな」
幸村が風呂の準備をし始めたので、僕も立ち上がる。目があった瞬間、白石がにっこり笑いながらサムズアップして見せたので、2本指で返した。
白石はもう入浴済みだったらしいので、僕と幸村は並んで大浴場へ向かった。ロッカーに荷物を突っ込んだ幸村が、ガラスのドアから覗き込み、「あ、不二ラッキーだよ。あんまり人いない」とはしゃぐ。
ちょうど風呂から上がった他校の2年生たちが、ドアに張り付く幸村に気付いて一瞬ギョッとした顔を浮かべた。挨拶を交わして着替えに向かった彼らの背中を見送りながら「ところで幸村」と口を開く。
「他の人たちはいいのかな。もしかするとあの場にいなかった子とか、噂を聞いて誤解してるかもしれないけど」
脱いだTシャツから顔を出した幸村は「ああ」と呟きながら、髪の乱れを直すために頭を振った。
「あの場にいた人達には、蓮二が説明してくれたみたいだから大丈夫。噂を間に受けてしまう人間のことは、どうでもいいかな」
「そっか」
「それより今なら誰もいないよ。ねぇこっそり泳いじゃおうか」
「ふふ、誰かに見られたらと思うと照れるなぁ」
一度洗い場で身体の汚れを流してから、湯に浸かった。湯船の奥へと移動する時、幸村が身体を伸ばして少しだけ足を揺らし、水中をゆっくり進むのを見た。幸村は目が合うとイタズラっぽく笑って見せるのだった。
並んで湯に浸かっていると、脱衣室に数人、誰かが入ってきたのが見える。
幸村もおそらくはそれをぼんやりと眺めながら「ボウヤはもう入ったのかな」と呟く。
「どうかな。越前は割と気まぐれだからね。首に怪我負ってるなら、今日は入らないかもしれないし」
「残念だな。風呂場なら逃げ場塞いでやれるのに」
本当に謝罪をする気があるのか、そんなことを言うものだから思わず笑ってしまう。
「今はどこで何してるんだろう。いつも一緒にいる人に聞けば分かりそうだけど」
「彼、一匹狼というか、猫みたいな気儘さがあるから。同室だし、裕太に聞いてみようか」
「うーん、まずは部屋を訪ねてみようかな。部屋番号、どこだっけ?」
「206号室だね」
それを聞いた幸村は「よし、善は急げだ」と立ちあがった。
頑張ってね、と送り出したものの、結局幸村は髪の毛が乾かないうちに僕たちの部屋へ戻ってきた。
部屋に備え付けられていたドライヤーをセットし、幸村を呼ぶ。大人しく椅子に腰掛けた幸村の髪を乾かすと、正面にいた白石が「なんて?」と首を傾げた。何も言ってないよ、と言いかけて、ドライヤーが起こす強風のなかで、幸村が何かを口にしたのだと気付く。ドライヤーを止めると、「ボウヤ、出掛けてるみたい。部屋にいなかったよ」と唇を尖らせる。
どうにもスッキリしない顔をしていたのはそういうことか、と合点した。
「明日、出直したらいいよ」
気になることは早く片付けたいタイプなのかもしれない。幸村はどこかしっくりこない様子でいながらも頷いた。
「あと髪乾かした方がいいんじゃないかって弟くんに言われた」
「そうだね」
再びドライヤーを再開する。
僕も白石も、今日はこのまま何事もない朝を迎えるのだと思っていた。
◆
幸村と越前が同衾していたらしい。センシティブな意味ではなく、文字通り同じ布団で寝ていたらしい。
らしい、というか、実際僕はそれを目撃した人間なので、正しく表現するならば「幸村が越前のベッドで寝てた」と言ったところだろうか。
朝、裕太の悲鳴が聞こえた(気がした)ので、慌てて206号室を訪ねた。時間を確認すると、まだ6時になったばかりだ。ノックをし、返事を待たずに扉を開ける。
裕太はすぐそばにいたらしく、僕が開けた扉に後ろ頭を打ちつけて驚いた様子で振り返った。
「……兄貴」
「裕太?何かあった?頭大丈夫?」
「いや、頭は今、兄貴が……ああ、それより……」
裕太が震える指を刺したその先には、元々部屋に備え付けられていた2段ベッドがあった。上には名古屋成徳の1年生が寝ている姿が見える。ちなみに反対側のベッドでは四天宝寺の遠山が気持ちよさそうにいびきをかいていた。下の空いたベッドは裕太のものだろう。
改めて件のベッドに向き直ると、中途半端に開いたカーテンの隙間を覗く。
「……どういうこと?」
振り返ると、裕太が高速で首を振る。
「お、俺にわかるワケないだろ……!」
まだ寝ている子たちに配慮してか、小声ではあるが困惑しきり、といった様子だった。
ベッドの傍らにしゃがみ込み、越前を抱き枕のようにして眠っている幸村の肩を揺する。
「幸村、ねえ幸村」
程なくして、長いまつ毛の先が微かに震え、瞼がゆっくりと開く。
「起きたかい」
「……不二?」
僕の声に身動ぎした幸村が、まだ眠た気な目を細めて振り返る。
「おはよう。いつからここに?いないの気付かなかったよ」
幸村はぼんやりとした表情を浮かべていたが、次第に記憶が戻ってきたらしい。自分の腕の中にいる越前をみて「ああ」と納得したような声を出す。
「寝る前なら部屋にいるかと思って訪ねたんだ」
僕への説明か、自分の記憶を整理するために呟いたのか、幸村はそう言うと越前を解放し、身体を起こそうとした。が、うまくいかなかった。よく見ると越前が、先ほどまで自分を抱きしめていた幸村の腕を、しっかりと抱き寄せるように掴んでいたのだ。
「ボウヤ、起きて」
今度は幸村が越前の身体を揺さぶる。わかりやすく顔をしかめた越前は、幸村の腕をあっさり離し、何かモニョモニョ(声のトーンや口調から察するに多分文句だ)と言いながら布団をかぶってしまう。自由になったにも関わらず、幸村は布団に入ったまま、隣で眠る越前を覗き込んだ。
「何を言ったんだろう」
「わからないけれど、日本語じゃないんじゃないかな。彼、バイリンガルらしいけど咄嗟に出るのは英語だって聞いたよ」
「ボウヤ、朝だよ」
何度か声をかけ、身体を揺すったもの効果がないとわかるや否や、幸村の手が素早く越前の服の中を(おそらくは脇や腰の辺りを)弄った。くすぐられた越前はやはり運動神経の良さに関係があるのか、漫画のように驚いて飛び起きて固まると、まず最初に僕と目が合い、隣で寝そべっている幸村を信じられないような眼差しで見つめ、最終的に僕の後ろで心配そうに立っていた裕太に助けを求めるかのようにゆっくりと視線を向けた。一挙一動がよその猫のようだ。
幸村は全く気にならない様子で「おはようボウヤ」と挨拶をした。その声はとても柔らかく、親しみに満ちている。僕も続いた方がいいかな、と思い「おはよう越前。いい朝だね」と返す。裕太は何も言わなかった。ただ強張った表情で成り行きを見守っている。
越前は、事態が飲み込めないなりにこの状況が好転することはないと気がついたのだろう、「……っス……」とだけ返した。寝起きで乾いた喉のせいだろうか、少しハスキーな声になっている。幸村が、あっちこっちに跳ねる越前の髪を指で直してやりながら「よく眠れたかい」と尋ねた。
壁に寄りかかったまま、越前はしばらく幸村を見つめていたが、ついに「なんで、幸村さんがいるんスか」と言った。意外と時間がかかったな、と思った。
「昨日のことを謝ろうと思って。急に引っ叩いてごめん。タイミングが悪かったこともあって勘違いさせたね。蚊なんてベタな嘘だと思われるのは俺も不服だから、ロビーの床から潰した蚊の死骸を回収しておいたよ。デスクに置いてあるけど見るかい?」
幸村は、そう言って窓際に設置されたテーブルの上にあるティッシュに目をやった。越前もゆっくりとその視線の先を追い、ゆっくりと戻してから首を横に振った。
「じゃあ……信じてくれる?君を蚊から守るために思いっきりひっ叩いてしまったってこと」
越前の顔を覗き込むように、幸村が首を傾げる。
越前は眉間に皺を寄せ、「っていうか」とようやく言葉を紡いだ。相変わらず掠れているが、先ほどよりはスラスラと声が出ている。
「別に、あのことは俺元々そんなに気にしてなかったんスけど」
「本当かい?君、結構怒ってたよ」
「そりゃ蚊だろうとなんだろうとあんな速さと強さで引っ叩かれれば、誰だってムカつきでもするでしょ。あんた少しは自分の力具合自覚した方がいいっすよ」
星でも飛びそうな勢いだったんだけど……と越前がブスくれる。
「次からは加減するよ」
「いや叩く前にひとこと言ってよ」
「その間に蚊が逃げないかな」
幸村はそう言って僕を振り向いたので、「逃げるね」と相槌を打った。
「逃げるって。やっぱりそこで仕留められなかったら他の人の迷惑になるから、」
「あのさ、そんなことは正直どうだっていいんだよね。俺が言ってるのはさ、なんで幸村さんが俺のベッドで寝てるのかってこと」
苛立たし気に問う越前に、幸村はキョトンとする。
「え、覚えてない?ボウヤが入れてくれたんだけど」
「は……?」
越前はいよいよ訳がわからない、と言った様子で幸村と僕と、裕太を見比べた。
「昨晩、君に謝ろうと思って、頼んでおいた蚊の死骸を真田から受け取ったあと、この部屋に来たんだよ。まだ12時前だったのにみんな寝てたから、ボウヤだけ起こそうと思って声をかけたんだけど」
覚えてない?と尋ねる幸村に対し、「アレ、真田さんに探させたんだ……」と心底憐れむような表情を浮かべてデスク上のティッシュに目をやる越前。幸村は気にした様子もなく、そのまま続けた。
「でも君全然起きなくて、何回か布団の上からトントンって叩いたら、ゴソゴソ動いてスペース作って、腕で布団開けてくれただろ。布団の中で話を聞いてくれるのかなと思って。だからお邪魔したんだけど」
越前は完全にポカンとした顔で幸村を見ている。なんなんだこの人、とでも言いたげな表情だ。
「そんなことしてない」
「したよ。誘われてないのに勝手に人のベッドに潜り込む奴なんて怖いじゃないか」
「怖いよ、ずっと怖いんだけど」
僕は2人の噛み合わない会話を聞きながら、ふと、乾が前に話していたことを思い出した。
「ねえ、もしかして猫じゃない?」
「何が?」
2人が同時に僕を振り向く。
「越前、確か猫飼ってるんじゃなかったっけ。乾の家の猫が夜、布団に入れてもらおうとしてちょんちょんってつついてアピールするんだって。乾はそうされると眠くても腕で布団を持ちあげて、猫を中に入れてあげるって言ってたんだけど。越前も、自分でも無意識のうちにそういうことをしてるんじゃないかな」
越前はしばらく僕の顔を見ていたが、思い当たる節があるのか小さく「ああ、」と呟いた。
幸村がおかしそうにクスリと笑う。
「ボウヤ、俺のこと猫だと思ったの?」
「思ってないし……って言うか用が済んだならもう帰ってよ」
「昨日のこと、許してくれるなら帰るけど」
「許すから!!」
少し顔が赤くなった越前は、幸村を押してベッドから追い出そうとした。
「じゃあ目的も果たしたし、部屋に帰ろうか」
越前の力など関係なしとばかりに涼し気な顔をして、幸村はそう言った。
「そうだね」
「じゃあボウヤ、また朝食でね。首早く治して」
「……もう治った」
「そう?早いね、よかった。じゃあ行こうか不二」
幸村が立ち上がるのを見守ると、来た時と変わらない表情で立っている裕太に「また後でね」と挨拶をする。裕太は「?」がたくさん浮かんでいるような顔のまま「あ、ああ」と言ってくれた。
「あ、そうだ。そこの蚊、もういらないから好きに捨てて」
扉を閉める直前、幸村がそう言った。
◆
そういえば、と端末を取り出して幸村に見せる。
「面白い画だったからつい写真撮っちゃったよ」
画面上、カーテンが半分引かれたベッドの上で、幸村と越前が仲良く寄り添って寝ている。幸村は越前を抱き枕のようにして、そして越前は幸村の背中に手を回し、抱き寄せるようにして眠っていた。
「あ、よく撮れてるね。俺にも送ってよ。ボウヤが何か文句言ってきた時のカードにしてやろう」
「ふふ、ほどほどにしてやって」
写真を送ると、すぐ隣で電子音が鳴る。受け取った写真を改めて見た幸村の肩が、小刻みに揺れる。
「そういえば、同じベッドで寝たからかな、ボウヤの夢を見たような気がする」
「どんな夢?」
「……忘れちゃった。でもここに来てから寝つきがあまりよくなかったんだけど、久しぶりにぐっすり眠れたよ。子ども体温がいいリラックス効果になったのかな」
「意外といい抱き枕なのかもしれないね」
「また眠れなくなったら一緒に寝てもらうことにするよ」
「そうだね。猫に成りすますと、いいかもしれない」
左右の部屋から、みんなが起き出す気配を感じた。時刻は間も無く7時になろうとしていた。僕らの部屋へと歩き出した。
白石はもうすでに起きていた。何も知らない白石が「仲直りできたん?よかったなぁ」と笑うので僕たちも顔を見合わせて笑った。
◆
目撃者が少なかったから今回は、と思っていたが、僕たちが食堂に入った時、すでに会場にいた人たちが一斉にこちらを見た。白石は「?なんやろな」と首を傾げたが、幸村は僕と目を見合わせて困ったように笑いながら首をすくめた。ビュッフェ式の皿を取りながら、背後で「え、幸村と越前が?」「だって昨日は……」と言った会話が途切れ途切れに聞こえた。
「噂ってすごいね」
「合宿所っていう狭いコミュニティだからね。学校よりもいろんなことが素早く伝わるな」
そう言いながら特に困った様子もなく、幸村は味噌汁を丁寧に注いだ。その時、後ろを通りかかった柳が、「精市、後で話がある」とだけ言い、幸村が振り返るのも待たずに席についた。乾と何かを話している。
「ううん、面倒だなぁ……」
「大丈夫?」
「俺はね。ボウヤには悪いことしたかな」
メインの焼き魚をどれにしようか迷う幸村の横顔は、全く「悪いことをした」とは思ってなさそうだった。
席について食べ始めてしばらく、ようやく越前が姿を見せた。裕太も遠山も別々のタイミングで来て、それぞれの別の席で朝食を摂っているあたり個人主義が見てとれる。
ちょうど人混みがピークの時間帯だったので、席取れるかな、と子どものお使いを見守る親のような心配をしてしまったが、越前は席を見つけるより先にこちらへつかつかと歩み寄り、幸村の横に立った。
気のせいでもなんでもなく、場が一瞬静かになった。声量は次第に戻っていったが、朧げな会話の中で、みんなが耳をすませているのを感じる。
越前はそんな空気を解っていないのか、わかっていて無視をしているのか、青みがかったグレーのカーディガンを幸村に差し出した。
「ベッドにこれ忘れてたよ」
「ああ、ないなと思ってたんだ。ボウヤの所にあったんだね、ありがとう」
この後、場の空気が一変したことや、柳の盛大なため息が聞こえてきたことは、言うまでもない。
終わり