雑談「んでな、俺は言ってやったわけ。『いや、それは唐揚げへの解像度低すぎるだろ!』って」
通常ならここでひと笑い起こるはずだったが、凪。まさに凪。俺はゆっくりと斜め後ろを振り返る。神妙な顔をした影山と目があった。話を聞いていなかったわけではないらしいな、と頷く。
影山との会話は度々こうなる。例えば昼食を食べたあと「あーもう腹パンパンだわ、パンだけに」と言おうものなら、笑うでもなく、冷たい目を向けてくるでもなく、まじめな顔で「今の、どういう意味ですか?」とか言ってくる。俺が駄洒落を言うときなんて8割何も考えずに口にしてるだけだから、本当はくだらない、と一笑に付してくれるくらいがありがたいのだが、真面目に尋ねられてしまっては俺も誠意をもって「今ランチでパン食ってたじゃん?だからお腹いっぱいなことを『お腹パンパン』って言葉に言い換えてパンと掛けてんだよね」と説明することになる。ギャグは鮮度が命であり、説明なんてしようものなら笑いの神様は死ぬ。解説を聞き、影山は「なるほど」と納得した様子で頷く。その目は「やっぱ菅原さんはすげえ」とでも言いたげに輝いている。影山は感動はしてるが別に笑いはしない。なぜなら笑いの神様はもう死んだからだ。
ギャグだけではない。バレーに一身を捧げてきた影山は、知識の偏りが半端じゃなかった。少しでもバレーにかかわることであれば、こちらが舌を巻くレベルの知識を持っているが、それ以外は皆無といっても過言ではない。例えば子どものころに流行っていたアニメやゲームをはじめ、芸能人の名前や時事ネタ、新発売された美味いグミのこと、近くの動物園で誕生したホッキョクグマの赤ちゃん、天ぷらにしたら食べられる野草の話。生きていくうえでまったく必要のない無駄な知識──でも俺たちがいつのまにか何となく得ている情報を、影山は持たない。ただそれだけで会話は予想通りにいかなくなるのだった。
少し前、部活帰りに「昔『いいとも』で見たんだけどさ、」と口にした際、「『いいとも』ってなんですか?」と言われてさすがに驚愕し、俺が知る限りの「笑っていいとも」の話をして(なんと影山はタモリさんの存在すら知らなかった)、目的地についてしまったことがあった。じゃあまた明日な、と手をふる俺を、影山が「あの」といって呼び止めた。
「すみません。……俺が何にも知らねえせいで、いつも菅原さんがしたい話できなくて」
俺は、「いいともを知らない」と言われたときよりも驚愕した。
「おいおい馬鹿、何言ってんだよ、いいんだよ俺が話そうとしてたことなんてくだんねー話なんだから。くだらなすぎて何話そうとしてたのか忘れちまったレベルだよ、気にすんなってそんなこと。影山が素直に聞いてくれるから俺も話し甲斐があるし、これからも分かんないことなんでも聞きな!」
最初影山は無表情だったが、俺が背中を叩きながら一気に捲し立てると一瞬だけ、悲しそうに顔を歪ませた気がした。
「これからもたくさんくだらねーこと話すから、聞いてよ」
影山はコクリ、と頷いた。顔をあげたときには、もう元の仏頂面に戻っていた。
まさかそういった類の負担を与えていたとは思いもせず、猛省した。しばらくは部活かバレー、学校にまつわる話にテーマを縛り、流行りの言い回しや身内ノリの悪ふざけは封じた。そうするとある程度会話のキャッチボールもスムーズになるのだが、部活では全く同じ空間、同じ時間を過ごしているため雑談というよりも反省会になりがちだったし、影山に授業の様子を尋ねると途端に貝になるのだった。挙句、「……やっぱり気使ってますか」などと言われるものだから頭を抱えた。現在様子を見ながら少しずつ、雑談のペースを増やし現在に至る。
今日の話はすでに数人に試していてそれなりにウケることが証明されていたはずなのだが、どうやらダメだったらしい。話のオチがよくなかったのか、唐揚げあるあるが共感されにくかったのか。登場人物に俺のクラスメイトを出したのがわかりにくかったのか、そもそも笑いのツボが根本的に違うのか。
「なんか、今の話で気になることあった?」
「解像度って何すか?」
「あーなるほど。そこね、オッケー」
俺は解像度のそもそもの説明と、解像度が低くなると「画像や映像などが粗くて細かい部分まで鮮明に見えない」ということ、転じて「あんまり分かってない」という比喩で使われることを話した。が、案の定「画像等データを構成する密度」というあたりで影山の口がぽかんと開き始めた。
「荒い画像…………あんまわかんないっす」
「うーん、『まんみ』って店あるべ?」
「マーボー焼きそばのとこですよね?一回連れてってもらった」
「そうそう、モールに入ってる……あそこの店舗一覧の看板がやたらガビガビしてる。あれ解像度低い」
「……こ、今度気にして見てみます」
「いい、いいって……ごめんな、上手い例が急に浮かんでこなくて……」
打つ手なし。会話が途切れて流れた気まずい空気を破るように、影山が口を開く。
「昨日、坂ノ下行ったんすけど」
「……おお!」
突如訪れた影山のターンにテンションがあがる。影山は俺の勢いに怖気づき、「そんな大層な話ではない」とでも言いたげな目でこちらを見たため、「おう、」と相槌を打ち直した。
「菅原さんが好きなグミの新しい味出てました。エナジードリンク味?みたいな」
「えーマジで?知らなかったわ。今度買おう」
「はい」と頷く影山は、少しほっとした様子を見せ、そのあと嬉しさを誤魔化すようにむに、と唇を食んだ。
「影山、菓子コーナー見ないのによく気付いたなぁ」
「菅原さんから聞いたものって、急に見えてくるようになります」
「ん?どゆこと?」
「え、なんつーか……そこだけ色がついて見えるっていうか……なんか、急に目に飛び込んでくる感じします」
影山はそれだけ言うと、「お疲れっした。また月曜に」と言った。いつのまにか駅の改札口に着いていた。俺は手を振り返し、影山の後ろ姿を見送る。途中、一度だけ振り返って会釈をしたので、大きく手を振る。姿が見えなくなって手を降ろした後、長虫行きの電車に乗った。
他の人から聞いた話をきっかけに、急に物事がよく見えるようになる感覚は、確かに俺にもあった。そう言われればわんさかと生い茂る雑草の中を指差し「カラスノエンドウあります」と報告してきたときも、急に動物園の開園40周年の話を振ってきたときも、説明がつく。
世界がモノトーンでできているわけでもあるまいし、と思う。でも、バレーしか目に入らなかった影山の世界が、俺との会話で少しずつ色付き広がっていくのだとしたら。それはちょっとなんかではなく、かなり心が浮立ってしまうかもしれない。明日は何の話をしようか。俺はくだらない雑談ストックの中をあれでもないこれでもないと探しながら帰路に着いた。
翌日、部室で顔を合わせた影山は俺を見るなり興奮した様子で近寄ってきた。
「週末、家族と飯食いにモール行ってきたんすけど、まんみの看板、見てきました」
「お、おう……」
俺は笑いを堪えきれず、頬の内側をゆっくりと噛みながら影山の顔を見た。影山も俺と同じ顔をしながら「すげえ、ガビガビだった……モールの看板なのに……」と言い、肩を震わせた。
「なぁ!すげえ気になるよなあれ!?看板なのにさ……」
「なんで……あんな……ふっ、」
影山が口に手の甲を当てて噴き出したのをきっかけに、俺たちはゲラゲラとその場に笑い崩れた。これがはじめて雑談で影山の笑いを掻っ攫った時の話である。
おわり