暇だなと燐音は考えていた。理由は至極単純で、せっかくの二人きりの時間だというのに恋人を放っておいてHiMERUが読書に勤しんでいるからである。
何やら今度事務所対抗のクイズ番組に茨の指名で出演することになったらしく、その勉強をしているというわけだ。邪魔をするなとしっかり釘を刺されているため燐音は素直に大人しくしていた。暇であっても仕事の邪魔をしたいわけではないのだ。
でも、別に隣にいなければいけない理由なんてない。むしろ離れた方がHiMERUも勉強に集中出来るだろうことは分かっていた。それでもこの場所にいるのはわざわざ隣を離れるレベルの理由を見つけられないからに他ない。構ってくれないHiMERUを置いてどこかに行くより、無言の空間だろうと隣にいた方が心地良いということに燐音本人はまだ気付いていないのだが。
……手伝えって言ってくれたら番組で出題されそうな意地悪なタイプの問題でも考えてやるのに。そう考えながらも燐音はそれを言葉にすることはせず、天井を見上げることにした。HiMERUの綺麗な横顔を眺めていたら途中で視線がうるさいなどと言われるのがオチだろう。
ああ、でも、もう少ししたら休憩と称して無理矢理食事に連れ出すのも有りかもしれない。放置プレイは趣味じゃないのだ。恋人としてそのくらい言う権利はあると思っている。そんなことを考えていると隣から盛大なため息が聞こえた。
「……天城、邪魔をしないでくださいと言いましたよね」
「ン? メルメルの言う通り邪魔してねェじゃん」
「え?」
「は?」
HiMERUが何を言っているんだコイツという目で燐音を見てくる。いや、邪魔なんてしていない。視線すらHiMERUに向けていない状況で何を邪魔出来るのだ。本当に分からない。
「まさかとは思いますが、あなた無意識なんですか?」
「……なにが」
燐音の表情から嘘やごまかしではなく単純に理解出来ていないということに気付いたのだろう。HiMERUが燐音に教えるようにそっと燐音の右手に触れた。
そこで初めて燐音は自身の右手が自覚していない間にHiMERUの髪を触っていたことに気付いた。しかも髪を指に巻き付けたりして完全に遊んでいたことが分かる。燐音としては無自覚なのだから遊んでいたとは思っていないのだが、HiMERUからすると邪魔をされたと感じてもおかしくない。だから邪魔をするなと言われたのだ。
HiMERUの言葉の意味を理解した瞬間に燐音はパッと髪の毛から手を離した。髪が散らばって左耳が完全に隠れてしまう。
「えっとォ……」
何を言えばいいんだ。「いじらしい燐音くんに免じてここは許してほしいっしょ!」なのか? ……いや、これは違うだろ。無意識だと気付いてからのHiMERUは別に怒っているようには見えないし、この内容なら言うタイミングは逃してしまっている。一度でも言葉に詰まった時点でこのノリを持ち出すのは難しい。スルーされるならまだしも、照れ隠しとして処理される方が恥ずかしい。
構ってくれなかったメルメルが悪い? 本当はどれくらいでメルメルが気付くか賭けてた? 髪の手入れどれくらい時間かけたらこうなンの? 考えれば考えるほど、どれもが違う気がしてきた。
「ふふ」
「……ンだよ」
そんな悩んでいる燐音を見てHiMERUは笑ってしまう。燐音にはHiMERUが笑った理由にすぐ察しがついたからどうにも居たたまれなくなった。返答を悩むほど先程までの燐音の行為は無意識からの行動だと言ってしまったようなものだからだ。
「天城、この本は後少しで読み終わります」
HiMERUが指を挟んだ状態で燐音に見せてきた本の厚みからして残りのページはせいぜい二十にも満たないくらいだということが分かる。HiMERUの読む速度ならばそれほど待たずに読み終わることは想像に難くない。
「だから、それまでは集中しますので好きに触ってくれて構いませんよ」
その言葉を最後にHiMERUは再び本に視線を落とした。
……好きに、って完全に意識しているこの状態で触れって言ってンの!? HiMERUが好きに髪を触っていいなんて言う機会は滅多にない。普段であれば燐音が触れば髪が乱れますなどと言って拒否をしてくるというのに。
あれほど暇だと思いながら聞いていたHiMERUのページをめくる音を今はゆっくり読んでくれと願いながら、燐音は自らの右手とHiMERUの髪を見比べて悩み始めることになった。