朝 いつもより早く目が覚めてしまった。夜明け前の今の時間はまだちょっと寒いけど、2度寝するにはもったいない気持ちのいい朝になりそうなので、庭でヴァイオリン鳴らすのもいいかもしれない。そう思って階下へ降りていくと、ラウンジに明かりが灯っているのに気がついた。
もう誰か起きてきてるのかな?
ひょこっと顔だけ出して覗き込むと、隅っこのソファにこんもりした山が見えた。見覚えのありすぎる色と形……。近づいて小さく声をかけてみる。
「……おはようございます?」
「おやすみ…。…ん? ああ…もう、おはようか…」
なんだかぼーっとしてる笹塚さん珍しいな。いま寝てましたよね?
「いつの間にか朝か…。ああ眠……」
くわぁと開いた盛大な欠伸を見てしまった。背が高くて体型もがっしりしてるし、手も大きいけど口も大きいので、一瞬クマに見えて、食べられるんじゃないかとの錯覚を覚えてしまう。
ちょっとドキドキする気持ちを鎮めていると、とろんとした眼で私を見る笹塚さんと目が合った。
「いま、なんじ?」
「……ごじ、です」
「あさ、だよな」
こくっと頷くと、笹塚さんがトントンっとソファを指で叩く仕草をする。隣に座れってことかな。
「となり、座ってもいいですか?」
「ん」
たぶん、昨日からずっとここで作業してたんだよね。何か曲できたの聴かせてもらえるのかな。くらいに思ってたら、急にズシッと右半身が重くなった。
「わ!! さ、さづか…さん」
「ん」
そのままぎゅうっと抱きしめられてしまった。油断した。寝ぼけた笹塚さんの近くは危ないんだった。これは、逃げられないやつだ。
「あんた、ぬくいな」
「湯たんぽじゃないですよ?」
「同じようなもんだろ」
笹塚さんがすりすりと胸元に頭を寄せてくるのに気づいた時にはもう遅かった。横から抱きついた姿勢のまま、すぅすぅと寝息をたてはじめている。
「ああもう、重いんですけど。ねえ、笹塚さんてば」
体を揺すったり髪をちょっと引っ張ったくらいではビクともしない。まだ早朝だからいいようなものの、このままでは誰かに目撃されてしまうのも時間の問題だよ。早く何とかしなきゃ。
「こんなとこで寝ないで下さい。ほら、部屋に戻りますよ。……はじめさん」
「んん…」
普段呼び慣れてない下の名前を使ってみると、もぞもぞと首だけ回して眠そうな顔を向けてくる。
「……あんたも、へや、くる?」
「それはちょっと……」
「…じゃあこのままねる」
だめだめ、いま寝かせたら今度こそ起きなくなっちゃう。そうなると重くて抜け出せなくなるのが一番困るんだから!
「あーあー、寝ちゃダメです。一緒に部屋まで行きますから、起きて」
焦ってそう言ってしまったのが運の尽き。徐に起き上がった笹塚さんの顔はニヤニヤと嫌な笑い方をしている。やられた。さっきまで寝ぼけてた人とは思えないですよ。
「なんで?」
「なにが? あんたが隣に来た時にはもう完全に起きてたけど」
要するにまんまと引っかかって言質を取られたってことらしい。でもそんな寝起きがいいなんて聞いてないよ。
「朝、日光を浴びることで、メラトニンの分泌が止まり体内リズムが補正される、か…なるほど。確かにすっきり覚醒したよな、あんたのおかげで」
「?? ……どゆこと? 日光って…だって、まだ暗いですよ?」
何となく空が白んできた感じはあるけど、確かにまだ夜明け前なのに。
笹塚さんが突然難しい話をし始めて、何のことを言っているのか理解できなくて悔しいのはよくあるけど、今のはちょっと違うよね。意味はわかるのに何だか変に頭がぐるぐるするなと思ってると、笹塚さんが顔を覗き込んでくるのに気づいた。あれ、ちょっと近すぎ……。
ちゅ、と音を立てておでこにキスが降ってきた。
「俺にとっては、あんたが太陽だってことだよ、唯」