爆誕⭐️マレルリハくんそれはある春先のことだった。
茨の谷の時期領主でもあるマレウスは執務で3日ほど茨の谷に戻らなくてはいけなくなってしまった。お目付け役であるリリアが同行することとなり、慌ただしく出立の準備を行っていた。
「うむ。マレウスよ。お姫に逢いに行ってこい」
「リリア……」
不機嫌な様子を隠そうともしないマレウスにリリアは変わったものだ、と嘆息しながら告げた。
少し前のマレウスであれば文句も言わず淡々と執務を熟していただろう。わがままになった?そうかもしれない。
欲求も熱情もない王などつまらない。それでは民草の為だけの道具と変わらない。
そうした王は得てしてある日突然壊れるのだ。ヒトでも妖精王でも。
リリアにとってマレウスは次期王というだけでなく大切な養い児だ。
若い身空で達観し、自分はこうであるしかないなどと諦めていたマレウスを歯がゆく感じていたリリアにとってその変化は好ましく映った。
案の定、マレウスは少年のように頬を緩めて、蛍火の魔法光を纏うとあっという間に転移していった。
「親父殿。マレウス様は?」
「!! 若様!?」
「くふふ!わかっておるじゃろ?」
モチロン愛しの乙女の元である。と老妖精は呵々大笑した。
夜の静寂に落ちたオンボロ寮の一室で、物憂げな乙女が一人甘い溜息を付いた。
透き通るような白いネグリジェ姿の彼女のその吐息だけで幾人を狂わしそうな色香を含んだ媚態を観る者はいなかった。
淡い月光の光と静けさの満ちる室内に淡い蛍火がふわりと零れ落ちた。
「優雨」
低い胎の奥を揺らすバリトンが彼女を呼んだ。それだけで儚い花を思わせた雰囲気は一気に華やいだ。
「マレウス!」
気付くと彼女は男の腕の中に囚われていた。
久しぶりの逢瀬にその身を委ねた。
「ふふ、明日出立でしょう?それなのに来てくれたのね……」
「ああ、逢いたくて仕方がなかった」
「しょうがない方ね」
口では男を咎めつつ、その手はしっかりと愛おしい男を掴んで離さない。
男も彼女の手の甲を愛しそうに撫でた。
「優雨、明日から三日茨の谷に戻らないといけない。その間お前を置いていくことになる。……お前に何かあれば僕は」
「マレウス。大丈夫よ。シルバー先輩やセベクくんも、エース達だっているわ。心配しないで」
男の声を彼女は遮ってその胸にしがみ付いた。
「——……それでも僕は……」
そう呟いて男は彼女をキツく抱き締め、そして何かを決意して彼女の目を見つめた。
そして。
「で、それがドラコニアが用意した魔導生物か?」
呆れと畏怖を含んだ担任教師の声に優雨は嬉しそうに頷いた。
「はい!わたくしが寂しくないようにって創ってくれましたの!可愛いでしょう?」
クルーウェルの、そしてクラスメイト達の視線が優雨の腕の中でまったりと寛いでいた、もっちりもふもふしたモノに釘付けになる。
丸みを帯びた身体。艶やかな羽根は春の若草の色。ぷりちーなお尻には少し色の濃い飾り羽根。キリッとした眉(?)と表情は凛々しく、黒曜石を思わせる一対のツノ。
『ぴゃっ』
自身を見つめる不遜な人々に抗議するように美声で鳴いた。
「………………そうか」
傲岸不遜、唯我独尊を地で行くクルーウェルが梅いた。
優雨が大切そうに抱き締める、それはディアソムニア寮長マレウス・ドラコニアが彼女の為に創り上げた使い魔だった。
見かけはデフォルメされたインコである。何故インコ。そこはドラゴンだろう。という周囲のツッコミを他所に優雨はインコな使い魔マレルリハくんを甘やかして可愛がっている。
そしてそれをジットリした目でグリムが見つめていた。
気付いて!監督生!完全に新入りのペットに嫉妬する先住猫状態だぞ!?
「ぶなぁ……可愛くないんだゾ……」
「ええ?可愛いでしょう?ふわふわで可愛いわ。ね?」
ニコニコと上機嫌な優雨と対照的にグリムはムスッと面白くない顔でそっぽを向いた。
「あー……優雨?その、つまり、ドラコニアがいない三日間それがお前の護衛をする、という事だな?」
「! はい、そうですわ。……先生?よろしいでしょう?」
潤んだ大粒の琥珀がクルーウェルを見つめる。彼は暫く頭痛を堪えるような表情をしていたが、学園の紅一点の安全を考え致し方なく頷いた。
「……出来るだけ一人にはなるな。安全第一!分かったな!?」
尖りまくったファッションセンスの男からこんな保守的な言葉が出る日が来るとは誰もが思いも拠らなかったが優雨は嬉しそうにしっかりと頷きマレルリハくんを優しく撫でて微笑んだ。
「よろしくね!マレルリハくん!」
『ぴゃ!ヒトノコ!守る!』
「……死人が出なきゃいいがな……」
花嫁を溺愛する次期妖精王の創り上げた魔導生物など、確実にヤバいに決まっているのだから。
ファッショナブルな理系教師の溜息が教室の中にゆっくりと消えていった。
一日目
マレルリハくんは一見すると可愛らしい愛玩系使い魔に見えた。飛ぶよりも転がった方が速いだろうと思われる丸っこい身体。
小さな嘴は人の肌すら傷付けられるか分からない程小さく可愛らしい。
何より優雨の肩に乗り頬を擦り寄せる様子に周りは緊張するのも馬鹿馬鹿しいと午後にはほのぼのとした気持ちすら抱いていた。
だが、彼らは気付くべきだった。
可愛いマレルリハくんを見つめる教師や寮長副寮長達の顔が強張っている事を。
何よりも。
あの、マレウス・ドラコニアが用意したモノが可愛いだけであるなどと甘過ぎる考えであると。
「遅くなっちゃったわ……」
パタパタと軽い足音を響かせて優雨が小走りにオンボロ寮への道を行く。
本来ならもっと早くに帰れる筈だったのだが、サイエンス部の部活に混ぜて貰い実験するのが楽しくてつい遅くなってしまった。
グリムはもう寮だろうか?お腹を空かせてないと良いが、と優雨は考えごとをしながら家路を急いだ。
それが隙になった。
木蔭から手が伸びて優雨の身体を抱き竦めたのだ。
突然の暴挙に優雨は瞬時に抵抗しようとして喉元にマジカルペンを突き付けられ、動きを止めた。
「っだれ!?」
「……ひっどいな。同級生だろ?」
優雨の耳元で囁く声が不愉快だった。
彼は1ーCの生徒だった。だが、優雨とこれといって接点もなく一方的に好意を寄せているだけであった。
彼はマレウスのいない今ならば自身の望みを遂げられるかもしれない、と身勝手な思い込みをしていた。
甘い少女の香りと肌の温かさに鼓動が速まり、理性が失われていく。
「……あの、さ、俺と……」
興奮の極致になった少年は気付かなかった。意中の少女が不愉快の極みに達していた事も怒れる使い魔が魔法を準備していたことも。
「いい加減にしてくださる?不愉快だわ」
優雨が少年の脇腹に肘を打ち込む。それは打撃というには浅いものであったが彼と彼女が離れる間隙が必要だった。
「まっ……」
少女を再び捕まえようとした少年は、それを成す事は出来なかった。
鼻先に丸っこいインコが飛び掛かった。咄嗟に振り払おうとした彼は驚愕する。
『ぴゃ——!!』
矢鱈と良い美声で間の抜けた鳴き声が響く。
小さな可愛らしい嘴から鮮やかなライムグリーンの光が迸った。
「はえ?」
次の瞬間、彼の自慢の金髪に見事な横剃りが出来た。
遠くの空で大きな閃光が疾り、一拍を置いて爆音が響き渡り暴風が彼を吹き飛ばす。
「んぎゃああああああああああっっ…………」
『けっぷいっぴゃ!ヒトノコ!ぶじ!?』
勇ましく胸、というか腹を張り少年を見送ったマレルリハくんは呆然と座り込む少女の元へ懸命に羽根を羽ばたかせた。
優雨の肩に留まっていたところ、バランスを崩してあの不遜な輩の暴挙を止める事が出来なかった。それがマレルリハくんにとって悔しくて仕方がなかった。
「っマレルリハくん!怪我はない?あんな無理をして!」
だが、優雨はマレルリハくんを叱るどころかひどく心配して彼を抱き締めた。
『ぴゃ!?』
「もう……心配したわ……」
ほろほろと涙を流す少女に頬を擦り寄せ、涙をふわふわの羽毛に吸い取る。
『ぴゃー……』
「助けてくれて、ありがとう」
『ぴゃ!』
暴風のせいで枯れ葉や砂埃を振り払って優雨とマレルリハくんはほっこりと笑い合った。
「前代未聞ですッッッッ、ドラゴンブレスを吐くインコなど!」
「学園長。インコではなく、魔導生物マレルリハくんです」
翌日の早朝、優雨は学園長室に拉致されていた。室内には担任教師も偏頭痛を堪える顔で同席していた。
荒ぶる学園長に優雨は眉根を寄せて訂正を入れる。
マレルリハくんは優雨のジャケットとベストの間でまったりと寛いでいた。
「ドラコニアくんは何を考えてこんな物騒な使い魔を!?」
「優雨の為でしょう。昨日勘違いした馬鹿が暴走したようですしね」
叫ぶ学園長に不機嫌極まりないクルーウェルの言葉が刺さる。
くだんの生徒は森の中で失神しているのをクルーウェルの使い魔が発見し、現在は寮の自室に監禁中だ。彼はハーツラビュル生であったのでリドルが怒り狂い、トレイも無表情になり、ケイトは無言で彼のマジカメアカウントを徹底的に浚った。
エースはどうにか先輩達を止めようとして、鉄バットを片手に静かに部屋を出ようとするデュースに気付き必死で止めた。
「ばっか、おま、それはシャレになんねーだろ!?」
「……優雨に、マブに、ヒデェ事しようとするヤツを、そのままに出来ねぇだろうがっっっ」
ハーツラビュル寮が修羅場であった。
「えー……おほん。ええ、優雨さんが無事で何よりですね。はい」
すんっと冷静になった学園長が着席し、お茶を用意する。
しばし三人がお茶を飲む音だけが学園長室に響いた。
「……まあ、馬鹿な行動をさせないのが一番でしょうね」
「あら、マレルリハくんは平和主義ですのよ?ねぇ?」
『ぴゃ!ヒトノコ!守る!』
きゃっきゃうふふと戯れるインコっぽい使い魔と優雨を見て思わず遠い目をする学園長とクルーウェル。
「学園長。あと二日、二日です。優雨にちょっかいを掛ける馬鹿が出ないように躾しなくては」
「……クルーウェル先生。貴方優雨さんの担任でしょう。しっかりと見張っててくださいよッ」
「貴方が責任者でしょう!……優雨は俺の可愛い子犬ですからしっかり守りますが」
「「…………」」
暫くお互いの顔を見つめ合う二人だったが、どちらともなく顔を逸らすと深々と溜息を付いた。
「死人、出なければいいですよねぇ……」
「何事も事故、というものはありますからね」
「「…………」」
「「はぁ——……っっ」」
マレウスが戻るまであと二日。犠牲者は出ないで済むのか!?
教師陣の頭痛と胃痛が加速する地獄の三日間はまだ始まったばかりだった。