不穏シリーズ_〜主役は監督生さん?〜三味の話
「なあ!監督生!なんか怖い話してくれよ!」
シトシト雨が降る自習時間、スカラビア生のクラスメイトが監督生に声を掛けた。
課題を解くのに忙しい生徒達はどうせ断られるだろうと静観していた。
監督生はこの手の話を決してしない。曖昧に微笑んで黙殺するのだ。
だが、この日は少し違った。
「……ふぅん……そう、ね。こんな話は如何?」
甘やかに蕩ける声がクラス中に響いた瞬間、誰もが手を止め心を奪われた。
——昔々、という程昔ではない時代の話。
大きな変革があったの。貴族の位が金で売り買いされるようになった。貴族といえどそれまでの様に安穏としていれば生活出来る、そんな時代が終わったの。
ある貴族の娘もそんな時代の激流に飲まれた一人だった。
彼女の家は古い名家だったけれど、資金繰りに失敗して貴族で無くなった。
しかもそれだけじゃなくて親が酷い所に借金をしたの。
彼女は身を売るしか無かった。
許嫁はいたけれど、その負債の多さに尻尾を巻いて逃げたの。
ええ、最低だわ。でも、彼の家も同じく負債を抱えていたから彼女は責めなかったわ。
彼女は強かった。元々芸事が得意な子だったから、色を売らず芸だけで借金を返してやる!そんな風に自分を買った置き屋の主人に啖呵を切ったの。
事実、あの子の芸は素晴らしかった。
特に良いのが三味線でね、ああ、三味線っていうのは楽器の事。
真っ白な皮がピンっと貼ってあって良い音が鳴った。
あの子は芸一本で少しづつ借金を返していった。その気高さや器量の良さ、芸の見事さで座敷に引っ張りだこだった。
ああ、でもそんな風に評判になった時だった。
例の許嫁がよりを戻したい、そんな巫山戯た事を言い出した。
ああ、全くだ。男として最低だ。一度見捨てたのならスッパリ諦めるべきだろう。
だが元々は自分のモノになる筈だった女がより一層美しく凛と咲くのを見て口惜しく執念を燃やしたのだ。
座敷の行き帰りを付け回したり、しつこく手紙を書いたり見習い芸者を恫喝したり、ああ、ストーカーというのか?そうだな。まさにそれだった。
あの子はそれでも頑として男を拒絶した。自分はもう芸に人生を捧げた。連れ合いが欲しいなら他を当たれ、とね。
それを公然の面前でキッパリと言われたものだから男は顔を蒼白にして立ち去った。
ああ、みんな拍手喝采。よく言ったモノだ!と褒め称えた。
でもね、矜持ばかりが高い男の鼻っ柱を折るってのがどれほど危ないのか、あの子には分かっていなかった。
あの子には可愛がっている虎猫がいた。若い雌の子で可愛らしい子だった。
シャミ、シャミと可愛がって大切にしていた。
そんなシャミが居なくなった。
あの子は半狂乱になって置き屋の周りを探した。
シャミは生まれついて脚が悪くて外を出歩くことはしなかったから攫われたんだ。と言ってね。
次の日の朝の事。置き屋に投げ文が放り込まれた。
そこには、猫を助けたければ誰にも言わず一人で指定の場所まで来い。とあった。
罠。その通り。あの子だって分かっていた。それでも行かずには居られなかった。
唯一残った家族だったから。
そこは場末の連れ込み宿だった。
部屋まで行くと憎い元許嫁がニタニタ嫌な笑い方をして待っていた。
小さな箱の中からはシャミのか細い声が漏れていた。
男は自分のモノになれと、あの子に言った。
あの子は決して声を上げなかった。身じろぎもせず、只々静かに男を睨み付けていた。
そんな女を気に入らない男は、あの子の首を絞めた。
苦しめたかったのか、哀願させたかったのか、それは誰も知らない。
男は事が済む途端に恐ろしくなって逃げ出した。
遺されたのは、事切れた芸者と動けぬ猫が一匹。
ああ、そんな風に泣くのではないよ。ほら、涙を拭いて。
それから三十年経った。
男はあの一件から海外に逃げてがむしゃらに働いて一端の商人になっていた。
男は自分のした事がバレるのが恐ろしかった。人殺しと罵られるのが嫌だった。
だから、バレないように必死で逃げ続けた。
混乱期だったせいかね?金で戸籍を誤魔化し、手術で顔も変えて男は全てを捨てた。
だが、天網恢々、因果応報。いつだって罪ってものはヒトに取り憑くものだ。
誰も高々芸者一人が死んだ事なんて覚えていない。そんな風に思った男は国に戻って来た。
男の読み通り、誰も彼もあの女の事なんて覚えていなかった。
商売も順調そのもの。結婚こそしなかったが女には不自由していない。
ああ、なんて幸福なんだろう。男は満ち足りていた。
あの女も大人しくいう事を聞いていれば今頃社長夫人だったのに。そんな風に考えてすらいた。
そんな時だった。大事なお得意様から三味線を買わないか?と誘われた。
男は三味線なんて大嫌いだった。あの女を思い出すから。
だが。女の為に三味線でも飾ってやれば供養になるかと傲慢にも考えた。
本当にな。最低な考えだし、理解も出来ん。
そうして手に入れた三味線を女の写真の前に飾ってやり、男は満足した。
一杯の酒を飲み男は床に着いた。
音がする。
ジィィィ……ぎぃぃぃ……
ああ、これは、
男の脳裏に昔の記憶が蘇った。
美しい許嫁。
手元には三味線がある。
ジィィィ……ぎぃぃぃ……
調律の音だ。
べ ン
べ ん
べ ん
男は飛び起きた。
全身から汗が吹き出し、身体をしどとに濡らしている。
荒い息で肩を揺らし男は枕元を見た。
果たしてそこには、あの三味線があった。
全身がぞぅっとして男は三味線を手に取り庭に投げ捨てた。
ありえない。そうだ。酒に酔っていたんだ。そうに違いない。そう男は自分に言い聞かせた。
その日からだった。
男の屋敷に猫が出る。そんな噂がたった。
若い綺麗な虎猫で、脚を引き摺り、ぴょこんと跳ねるように歩くのだという。
そして、遠い何処かから三味線の音色が聴こえるのだ。
男は恐怖した。
シャミだ!あの猫が生きていたんだ!
男は屋敷中にネズミ殺しをばら撒いた。シャミを殺す為だ。
だが、一向に猫の目撃は止まない。
男は段々におかしくなっていった。
近所の者に「可愛い虎猫ですね。女の子ですか?」そう訊かれてその場で叫び出して逃げ惑った。
夜中に屋敷から飛び出して、許してくれ!と叫んだり。
あれ程上手く行っていた会社もあっという間に傾いていった。
男は焦燥して三味線を売り付けて来たお得意様に詰め寄った。
お前のせいだ。あの三味線のせいだ!そう血走った目を見開いて口の周りには泡を噴いて絶叫した。
だから言ってやったんだ。
「ああ、そうか。シャミはお前にキチンと取り憑いたようだな」と。
男の耳元で「にゃあ」とシャミが鳴いた。それと同時に男の手元でべんっと三味線の良い音が鳴った。
男は意味のないことを叫びながら、三味線の撥で自らの首を掻き切って死に果てた。
ああ、喉が渇いた。久しぶりに生身で喋ると疲れるものだ。
うん?シャミはどうなったか?
……三味線はね、猫の皮で拵えるのさ。特に良いと言われるのは、出産した事のない若い虎猫と言われているな。
ひと昔前はよく猫攫いが出たものだ。
おや、失神している子がいるな?
虎の獣人?可哀想な事をしてしまったな。
後で謝っておいてくれ。
だが、この子に怖い話なんぞ強請るから怖い目に遭うのだぞ?
今後は気を付けるようにな。
うん?私か?ふふ、この子の曾祖母だとも。
では、ごきげんよう。遭わない事を祈ると良いな?