「丸めて捨てられない恋、 過ちの後始末」 ユウは結局元の世界には帰れなかった。知識は問題なかったからトレイン先生が身元保証人になってくれたお陰で大学に進級した。
学費は驚く事に学園長が出してくれた。
「流石に未成年を天涯孤独の身にした挙句にそのまま放り出すとかそこまで外道じゃないですよ!!」
あまりの高待遇に胡乱な視線を向けるユウに学園長は憐れっぽく叫んだ。
その横では優しい顔のトレイン先生が養子縁組をしようと言ってくれた。
最初は断った。けれども厳しくて面倒見の良い担任教師が「bad girl!! 大人にちゃんと頼れ!」と真っ直ぐな視線と言葉をくれた。
ユウは迷いながらたくさんトレインと姉となる二人とルチウスと話し合った。頼っても良いのだろうか?失ってしまった家族になれるのだろうか?とおずおずと言うとトレインは優しい父親の顔でユウの頭を撫でてくれた。
ずっと誰かに甘えて頼るのを我慢していたユウはダムが決壊するように感情を溢れされて、たくさん泣いて、ルチウスの毛皮にもトレインのジレも濡らして赤く目を腫らして養子になると頷いたのだ。
大学進学に向けて他の四年生が研修に行く中、ユウは学園に残り学園長の補佐を行いながら受験勉強に励んだ。
そして見事に合格し、大学へ進学することが決まった。
グリムも同級生達も既に卒業してしていた先輩達も教師陣もみんな喜んで祝福と心尽しの贈り物をくれた。
クルーウェルはこれからは一人前のレディになるのだから、と美しい赤いヒール靴をくれた。歩き易く慣れていないユウにも履きやすいデザインのものだった。
あの瞬間、クルーウェルの穏やかな笑顔を見た瞬間、淡い初恋はどうしようもないくらいに変化を始めた。
大学へはトレイン先生の自宅から通った。二人の娘さんはユウを年の離れた妹として受け入れてくれて可愛がってくれた。
高校時代は着れなかった可愛い服やアクセサリーをプレゼントされてユウは花開くように愛らしく美しく育っていった。
そしてそれは男達を惹きつけることとなったのだ。
大学の飲み会で先輩が矢鱈と絡んできて酒を勧めるのにユウはすっかり辟易していた。
先程からそろそろ帰りたいと言っているのに、みんな笑って聞いてくれない。
お父さんに連絡して迎えに来て貰おうとしたが、荷物を置いた鞄は壁際にあって今は遠い。
舌打ちしたくなる状況と酒の香りにユウは暴れてやろうかと不穏なことを考え始めていた。
「ね! だからさ! 俺と付き合おうよ!」
「は?」
帰ることばかり考えていたせいで話の前後が全く分からないが、囃し立てる周囲を見る限りどうもこの男が告白めいた事をしたらしい。
だが、何がだから、なのだ?このじゃがいも未満め、まずは礼儀作法と常識を学び直してこい。とユウは内心激しく罵りつつ、割と顔立ちの整った方の先輩びにユウは本音を綺麗に隠したとびきりの笑顔を向けた。
その笑顔に周りも男も盛り上がって歓声を上げた。ユウはオレンジグロスを塗った唇をそっと開いた。
「いやです」
スッパリと切り込むようなユウの言葉が場を支配する。
ユウは呆然とする周囲を押し退けて荷物を取るとさっさと店を出た。
高らかにハイヒールを鳴らしてユウが人通りの少ない道を早足で歩く。
早く家に帰ってルチウスとグリムのブラッシングをしよう。ああ、グリムは今日は遠出しているからいないのだ。
ならルチウスに時間を掛けてあげようと考えると足取りは早くなる。
だが後ろから乱雑で品のない足音が追って来た。
「待てよ!!」
駅までの道を早足で歩いていたユウの腕を後ろから追ってきた男が乱暴な仕草で掴む。
「離して!!」
「なんでだよ! 優しくしてやったのに!!」
下心ありきで優しくされても嬉しくない。それなりに整った顔立ちだが、NRCの友人や先輩、教師と比べればじゃがいも未満も良いところである。見掛けが、じゃない中身が、である。
自分を何処かに連れて行こうとする男に激しく抵抗する。通行人に助けを求められないか、と見渡すが誰の姿も見えない。
ユウはこんな見掛けだけ繕ったような男に好き勝手にされるなんてごめんだった。
どうにか逃げなくては、と身を捻った瞬間、クルーウェルから贈られたヒールが石畳にハマって呆気なく折れる。
「いやっ」
あの人の柔らかな笑顔。好きだと思った。憧れからはっきりとした恋に変わった。
大好きな人からの大切な贈り物が壊れてしまった。
「いいからこっちにこい!」
よろけて倒れたユウを男が強引に引きずって行こうと手を伸ばした、その手に懐かしい鞭が走った。
「おい。そこの躾のなっていない駄犬め。俺の可愛い子犬に何をするつもりだ?」
「な……」
「クルーウェルせんせい!!」
嘘だと思った。目の前にはいつもと違うラフな格好の彼がいた。
アイボリーのVネックニットに黒のスラックス。ただそれだけだ。彼のシンボルであるコートはない。
息を切らして本気の怒りを浮かべたクルーウェルは指示棒をしならせて狼藉者を威嚇した。
「嫌がる相手を連れて行くのは誘拐罪だな? 犯罪を見掛けた場合は魔法士は魔法の行使が許される。さあ、どうする?」
「う、……ちくしょう!」
魔力を帯びた瞳に射抜かれて男は転がるように駆けて逃げて行った。
「……先生、どうして……?」
足首を痛めたユウを腕に抱き上げて、スタスタと歩き始めたクルーウェルに慌てて問い掛けるが彼は答えずに歩き続ける。
気まずい沈黙と片想いの相手のぬくもりの板挟みになったユウは唇を噛み締めた。
ふぅ……っと色香を含んだ溜息と共にそっと唇を触れる感触があった。
「せん……」
「噛み癖があるとは悪い子犬だな?」
「う」
意地の悪い表情で笑われたのに、いつもの先生だとホッとしてしまうあたりユウはすっかりこの男に調教されてしまっていてどうしようもない。
気付くとそこは見知らぬ公園だった。何故公園?と疑問に感じるユウを置いて行きぼりにしてクルーウェルが魔法石の飾られた指示棒を一振りにする。
すると目の前に鈍く金色に輝くアンティークな鏡が現れた。
「わ!」
「くっ、くく……」
ユウの反応がお気に召したらしいクルーウェルの笑い声が耳元を揺らす。
ちょっと悔しくてクルーウェルの髪を掴む。
「sit! 悪い子犬め!」
「きゃ! ごめんなさい!」
がうっと噛み付かれる仕草でユウは堪らずはしゃいだ声を上げた。
「全く……緊急事態だからな」
「これは?」
「移動用の鏡だ。その脚で帰すわけにはいかんからな」
言外にトレイン先生を心配させたくないだろう?と含んでいて思わずユウは俯いた。
トレインも二人の義姉もとても良くしてくれる。勉強でわからないところや常識外れなところも笑って教えてくれる。
だから心配させたくなかった。
黙って俯くユウを抱えたままクルーウェルは鏡を潜った。
◇◇◇
鏡を潜ると軽い浮遊感があり、見慣れた玄関先に出る。お気に入りの靴のコレクションと飾り棚を見て腕の中のユウは目を輝かせた。
「先生のお家?」
「good! 正解だ」
軽く笑うクルーウェルはトントンっと踵を鳴らしてから室内を進んだ。
クルーウェルの遊びのような仕草と共にパチパチとカラフルな光が溢れてユウの目を楽しませたようだった。
表情を輝かせて光を追う様子は幼くて可愛らしい。
室内に土埃を入れたくないから玄関先で洗浄魔法を掛けるのだが、可愛い子犬が一緒だから今日は特別な演出だった。
クルーウェルは彼女を赤い革張りのソファに下ろしてからメディカルボックスを取り出して足元に膝着いた。
「先生!?」
「ふん。足を出せ」
「あ、治療……ありがとうございます」
「ん」
顔を赤く染めて悲鳴を上げたユウに短く答えると目を瞬かせて遠慮がちに足を差し出した。
小さく頼りのない足だった。
黙々と治療を行いながら、幸い軽い捻挫だけだなと安堵した。
「ハイヒール」
「はい?」
「あのハイヒールに魔法を掛けてあった。折れたら俺に伝わるように」
「!」
小さなユウの足を見ながら淡々と答える。元担任教師に監視されているようで嫌だろうか。その表情に嫌悪感があったら、と思うとちょっと、いや、かなり死にたくなった。
そろりと顔を上げるとユウはオンナの顔をしていた。
ぞくりと背筋に甘い痺れが走る。
赤く蒸気した頬も、潤んだ瞳も、クルーウェルを求めているようで。
良いのだろうか。想っていても許されるのだろうか。
「子犬……ユウ」
彼女を怖がらせない為にゆっくりと身を起こしたクルーウェルは可愛らしいレディの肩をそっと抱き寄せた。
「先生……」
「もう先生じゃない」
震える声で、潤んだ瞳で、想いを告げる。歳下の未成年の少女に恋をしたなんて、過ち以外の何物でもない。だからそんな想いは封をして心の奥に仕舞い込んだ。
そんな恋の後始末として想いを込めてハイヒールを贈った。
好きだったと、愛していると伝えるように。
だけど、彼女を放って置くことも不可能で。結局この恋は捨てる事なんて出来やしないのだと思い知らされた。
「俺ではダメか?」
赤い顔のままユウが首を振る。肩を越えた艶やかな亜麻色の髪から甘い香りがして胸が高鳴った。
「ユウ……」
「あ、」
そっと二人の唇が重なる……と思った時だった。
「オッッッ」
「ぶふっ!?」
「ルチウス!」
クルーウェルとユウはふわふわモフモフのルチウスにキスをしていた。
不機嫌そうに尻尾を激しく振るルチウスを見てクルーウェルは血の気が失せた。
「デイビス・クルーウェル。私の娘に何をしようというのだね」
背筋を凍らせる声がした方を見るとそこには静かに怒りを湛えたトレインが立っていた。
背後にはアンティークな鏡が浮かんでおり、彼も魔法で移動して来たのだと分かった。
思わず学生時代に戻った心境を味わうクルーウェルには構わずトレインは自身に駆け寄ったユウに優しく声を掛けた。
「お義父さん!」
「ああ、ユウ可哀想に。足を痛めたのか?」
「あ、大丈夫。先生が治療してくれて……」
「そうか。クルーウェルくん」
「ハイ」
「娘が世話になった……このお礼は明日ゆっくりと話し合おう」
「お義父さん……先生は……」
「ユウ。危なくなったら私を呼びなさい。いいな?」
「はい……あ、デイビス、さん。ありがとうございました」
花も恥じらう微笑みにクルーウェルの心はあっという間に浮き足立つ。
それを見たトレインは眉を上げると愛猫を呼び寄せた。
「……ルチウスおいで」
「オア」
「ぶわ!?」
浮かれてくれるクルーウェルの顔面をルチウスのふわふわの尻尾が往復で叩いた。
思わず文句を言おうとしたクルーウェルが見たのはルチウスを従えてユウの肩を抱くトレイン姿だった。
「ユウ。ルチウスと先に戻っておきなさい。お義父さんは少し先生とレポートについて話さないといけない」
「はい。お仕事頑張ってね」
「ああ」
ユウはクルーウェルに向かって可愛らしく微笑んでパタパタと手を振ってルチウスと共に鏡の中に姿を消した。
そしてトレインはクルーウェルを見上げて、淡々と冷酷に告げた。
「デイビス・クルーウェル。娘と交際したければ思いの丈を綴ったレポートを原稿用紙に15ページ以上提出すること。……全く……教師が生徒に手を出すなど過ち以外の何物ではない」
「はあ!?」
「以上だ」
「ちょ……!」
あんまりな捨て台詞に問い返そうとするクルーウェルを黙殺してトレインは去っていった。
「あんの……糞爺! 絶対! 過ちなんかにしてやるか!!」
洒落た一室に30代理系教師の叫びが響き渡った。
デイビス・クルーウェルがこの後可愛い恋人を妻にするまで数多くの義理の姉達と義父とルチウスからの試練を耐えることとなる。
頑張れ!デイビス!きっと未来は明るいぞ!
今日日のシンデレラは赤いハイヒールを履く。