煩悩の犬は追えども去らず「オーエン、ヒースはそんなことじゃ喜ばないと思いますよ」
「どうして? 三回回ってわん、って言ってみてよ」
そんなことをしたって特に意味はないことはわかっているけれど、断る理由もなく、とりあえず言われた通りにその場で三回、くるりと回って元気よく「わん!」と言ってみた。
「……ふふ、馬鹿な賢者様」
すると、オーエンは言葉とは裏腹に頬を緩ませて、「わん!」と吠えたときに前に持ってきた手を片手で掴んで頭を撫でてくる。
正直、こんな顔が見られるなら「わん」でも「にゃん」でも好きなだけやってあげようという気持ちになる。
「首輪でも付けて飼ってあげようか。エサは骨でいい?」
「俺は人間なので、骨ガムにしてもらえると……」
「骨ガム? それって甘いの?」
どこからともなく出てきた首輪に付いた鎖をチャリチャリともてあそびながら、オーエンは素直に疑問を口にした。こちらの世界では、おそらくペットのおやつに元の世界ほどのバリエーションはないのだろう。かいつまんで骨ガムがどういうものかを説明すると、オーエンは思いついたように、シュガーの雨を降らせた。
「うわ、すごい数のシュガーだ……」
「よく見ろよ、ただのシュガーじゃない」
雨のように降り注いだシュガーを手で受け止めると、一つ一つが小さな骨の形をしていた。これはガムではなくてシュガーだけれど、口の中に入ってしまえば、元が骨の形だったというだけでじゅうぶんだろう。
「ほら、早く食べなよ」
「食べていいんですか?」
「うん、犬みたいに口だけで食べるんだよ」
普段、ケルベロスが懐いてくれないと言っているせいか、本物の犬を飼い始めたかのように嬉しそうに、オーエンは顎で食べるように促してくる。楽しそうにしているから気にはならないけれど、さすがにこれを犬のようにそのまま食べるのは抵抗がある。
「ちゃんと食べられたら、ご褒美あげる」
首輪を手に言われるとそれは本当にご褒美なのかと問いたくなる。けれど、それで話の腰を折ってしまったら、きっとどこかへ行ってしまうだろう。コミュニケーションの一環だと言い聞かせて、手のひらに集まったシュガーをエサを食べるみたいにして咀嚼していく。
「あはは。本当に犬みたい。賢者様、美味しい?」
尋ねながら首輪をつけて、食べ終わる頃に頭を撫でつけてくる。これでは本物の犬同然の扱いだ。
「味はいつもと同じ、オーエンのシュガーですね」
口の中が焼けるほど甘ったるいシュガーは、いままでにも何度か食べたことがある。というか、大半は無理やり口の中にねじ込まれてしまったものだけれど、こうして改めてゆっくり味わうとその甘さがより際立つ。
「ご主人様って呼べよ。今日は一日僕の犬なんだから」
オーエン、もといご主人様は首輪に付いた鎖を引いて強引に引き寄せる。これでは人間の尊厳を奪われてしまう。それなのに、楽しそうに「犬」と呼んでくるのを拒めない。拒む理由がない。いや、これはさすがに拒むべきか。けれど頭を撫でるオーエンはいつも以上に機嫌が良くて、目元もすっかり緩み切っている。こんな顔をされてしまっては、人間の尊厳などと言っている場合ではないと思えてくるのだから、恋は盲目とは昔の人はよく言ったものだ。
「わん……!」
あなたのためなら、たとえ火の中水の中、犬にだってなってみせましょう。なんて、言えもしない恋心を誤魔化すように吠えた声が中庭に響いた。