無言は、肯定「…じゃあ、コレは預かっておくな」
契約の儀式が無事に終わったとわかると、トラヴィスは受け取った乙女の指輪を、腰のバッグにしまおうとした。
「トラヴィス…なぜしまう?」
しかしアレインは、眉をしかめてそれを咎めた。
トラヴィスが不思議そうな顔をする。
「なぜ、って…大事なもんだろ」
神話の時代から伝わる、貴重な魔道具だ。
失くさないようにしないと。
アレインはやれやれといった風に、首を振った。諌めるように言う。
「きちんと装備しないと、だめだろう」
「…装備するものなのか」
「指輪なのだから、当然だ」
そういってアレインはトラヴィスの左手をとると、トラヴィスのグローブを外した。
あらわれた白い素手をなで、薬指に、指輪を通す。
指輪は、不思議とトラヴィスの指にしっくりとあった。
「…この指は、おかしくねぇか」
「なぜだ」
「結婚、指輪…みたいだろ」
指に通された紅い輝きを眺めながら、トラヴィスが躊躇いがちに言う。
アレインも自分の左手の薬指に、一角獣の指輪を通す。そして、涼しい顔で言った。
「まあ、そうだな」
「!?」
その言葉に、バッと、トラヴィスはアレインを見た。信じられないものを見るような顔をしている。
アレインは一角獣の指輪に触れながら、静かに目を伏せている。
「トラヴィス…俺はな、寂しかったんだぞ」
「な、何がだ…」
アレインが顔をあげて、トラヴィスを見つめた。心なしか、眉尻が下がって、縋るような目をしている。
「俺はお前を大事だと言ったのに…お前は、俺のことを大事だとは言ってくれなかった。忘れたか?」
「…!」
あの海辺でのことか。トラヴィスは狼狽える。
もちろん忘れてやしない。トラヴィスの心に深く残っている夜だ。
「俺は、契約の話を聞いたとき、その相手には是非トラヴィスを、と思った。だが…不安だった。俺にとっては大事な相手だが…トラヴィスは、俺のことは、」
「そ、それは違う!」
叱られた犬のように哀愁を漂わせるアレインに、トラヴィスは慌てて否定する。
アレインは目だけで、違うのか?と伺ってみせ、トラヴィスの言葉を待った。
「俺もお前のことは信じてるし…」
「信じてる、し?」
言葉尻を捉えて、その先を促してくるアレインに、トラヴィスはぐっと言葉を呑む。
なんだか恥ずかしいことをされている気がする。
「だっ…大事だ」
言わされた。言わざるを得なかった。
「そうか。それを聞けて良かった」
若干、屈辱的な気持ちになっているトラヴィスに、アレインは微笑んでみせた。
「まあ、それはわかっていたんだがな」
「はあ!?」
涼しい顔でそう言うアレインに、トラヴィスは憤る。じゃあ何故言わせた。こっちは恥ずかしい思いをしたんだぞ。
アレインは、手でまあまあと宥めるような仕草をし、笑って言った。
「契約出来たということは、俺とお前には、純粋に互いを想う絆があるということだ。そうでなければ、そもそも契約が成立しない」
「…ま、まあ、そうだな」
「俺はお前を信じてると言っただろう。お前も俺を大事に思ってくれていると、きっと契約は成立すると、信じてたさ」
「……」
言いくるめられている気がする。
甘い言葉で騙されそうだが、どう考えても先ほどの辱めは必要なかったのではないだろうか。
釈然としないトラヴィスをよそに、アレインは続ける。
「それで、だ。一角獣と乙女が、俺たちのことを認めたんだ。これ以上の繋がりが、他にあるか?」
「…?」
「俺たちは、対の存在になった。いわば、伴侶だ」
「えっ!?は、伴侶…?」
「違うのか?」
違うのでは?トラヴィスは思った。
が、アレインの勢いが凄くて、否定するタイミングを失った。
「だからこの指輪は、結婚指輪も同然だ」
なるほど。ここに繋がるか。
「…お前はそれでいいのかよ」
「構わない。お前の言葉を借りるなら…お前と切っても切れない関係に、俺はなりたかったからな」
「……」
トラヴィスはもう一度、自らの指に嵌まる乙女の指輪を見た。
アレインと、伴侶?
突飛すぎて、まだ呑み込めないその言葉を口の中で転がしてみる。
伴侶…に、もうなったというのか。俺が。
大きな決断だとは思ったが、まさか伴侶とまで話がいくとは予想していなかった。
アレインはそこまで覚悟が決まっていたのか。
そう思うと、なんだか自分の覚悟が足りていなかった気がして、ぎゅっと気が引き締まる思いがした。
「アレイン、わかった。認めよう」
トラヴィスは真剣な瞳でアレインを見て、至って真面目に向き合った。
一角獣が最大の力を出すため、そのために求める乙女が、自分だというのなら、それに応えよう。
そういう意味での伴侶というのなら、納得できる。
「わかってくれたか?トラヴィス。じゃあ、もう一度言ってくれ。俺は、お前の何で、お前は、俺の何だ?」
「……」
いや、なんか面白がってないか?こいつ。
目の前のアレインは真剣な瞳をしている。言動が合っていない。
トラヴィスは突っ込むべきか迷った。
その間にも、アレインは強い眼差しで、トラヴィスに言葉を促している。
逃げられなさそうな雰囲気に、トラヴィスは腹をくくり、口を開いた。
「だ…大事な…」
「大事な?」
「………友人…」
アレインの眉が、寄る。違うだろ、と言っている。
トラヴィスは「う…」と呻いて、「…は、伴侶」と、小さく言った。
またもや言わされた、なんなんだこれは。
アレインは悪戯が成功した子供のような顔をして、口角を上げた。満足そうに、無駄に爽やかに。
トラヴィスはその顔を見て、ハッとした。
「お前っ…やっぱり俺をからかったのか!」
2度目の屈辱だ。こんな恥ずかしい思いを2度もさせられるなんて。
「いいや?」
アレインはトラヴィスの手をとった。
その指に嵌まる乙女の指輪を撫で、ふふ、と笑う。
「すまない、安心したかったんだ。これで実感できたよ。改めて…ありがとう、トラヴィス」
「アレイン…」
トラヴィスは、先ほど、不安だったとこぼしたアレインを思い出した。こいつにとってもこんな儀式は初めてのことで、やり直しがきかないとくれば、不安にもなるだろう。
そう絆されたトラヴィスは、アレインを見つめる。アレインも、柔らかく微笑んで、トラヴィスを見つめた。
そして、そっと、トラヴィスの肩に手をあて、ゆっくりと、距離が近くなり…。
「ぅおおい!」
トラヴィスは思いっきり飛び退いた。
心臓がバクバクと音をたてている。
「な、なに、アレイン、いま何を…」
「何って…口付けを」
トラヴィスに逃げられたアレインは、心外な顔をしている。
「く、……はあ!?」
「そういう空気じゃなかったか?」
首に手を当てるアレインは、少しも悪びれる様子がない。その態度が、本気で口付けをしようとしていたのだと物語っている。
口付け?なんで?伴侶だから?伴侶って、一角獣と乙女的な、魂の伴侶とかいう意味じゃなくて?俺とアレインが?口付け?
トラヴィスは混乱する。
間近まで迫ってきていた、アレインの整った顔が、脳裏に焼き付いていて。
トラヴィスは顔が熱くなるのがわかった。
じり、とアレインが一步近付く。
トラヴィスはビクッとして、三歩、更に距離を取った。
アレインは苦笑する。
「そんなに警戒しないでくれ」
「何しようとしたかわかって言ってんのか、それ」
トラヴィスはアレインを睨むが、アレインは子猫が威嚇していて可愛いなくらいにしか捉えていないようだ。
「まだ口付けは早かったんだな…すまない。そうだな、通じ合えたばかりだ。性急すぎた」
「そうじゃねえよ!」
今度は突っ込めた。
もうやだ、こいつ。トラヴィスはよくわからないが情けない気持ちになった。
「乙女じゃねえって、さっきお前が言ったんだぞ」
「ああ。だが伴侶だ。お前も認めた」
強気に言い返し、攻めの姿勢を続けようとしたアレインだが、ふっと言葉を止めて、視線を落とし、言った。
「…俺と口付けするような関係は、嫌か」
「……い」
トラヴィスは、ギリっと奥歯を噛み締める。ああもう。
「嫌じゃねえから、困ってんだろ!」
もうヤケクソだ、とトラヴィスは大きな声を出した。感情が昂ってしまい、鼻の奥がじんとする。
ここで泣くのは違うだろ。冷静な自分が言う。
「俺は、お前のこと、友人だと思うことすら、諦めて抑えてきたんだぞ!それなのに、なんなんだよお前!ずかずかと入ってきやがって!あげく伴侶だと!?唐突すぎんだよ!」
アレインは静かだ。
ず、と鼻を啜る音が聞かれてしまう。情けない。
「…大事だよ…ずっと。お前のこと」
とうとう、胸の奥にしまっていたその言葉を開けてしまった。
だって、言えなかったのだ。
アレインの「大事」と、トラヴィスの「大事」は、意味合いが違ってしまうと思って。
とうとう、涙が溢れてきた。顔を見られたくなくて、うつ向いたトラヴィスから、雫が落ちる。
泣き虫な自分は捨てたはずなのに。
必死に涙を抑えようとしていて、トラヴィスは気がつくのに遅れた。
アレインが何も言わない。
流石にリアクションがなさすぎて、トラヴィスはおそるおそる、顔を上げて、アレインを見た。
「………」
「………」
アレインは顔を真っ赤にして、手で口元をおさえていた。
わずかに震えている気もする。
「…アレイン?」
「……待ってくれ」
手でおさえたままのアレインの口から、くぐもった声がもれた。
大きく、深呼吸している。
さっき、無理矢理言わせたときとは、だいぶ反応が違うな。
涙が引っ込んだトラヴィスは、訝しむようにアレインを見る。
その視線に気付いたアレインは、軽く頭を振って、言った。
「…俺だって、緊張してるんだよ……あっ」
アレインの口調が崩れた。
トラヴィスの目が丸くなる。そんな話し方、初めて聞いた。
アレインが額を抑えて、しくじった、という顔でため息をついた。
「ああ…決まらないな」
「…どういうことだ」
追求するトラヴィスに、アレインはもう一度、ため息をつく。降参、と手を挙げた。ネタばらしの時間だ。
「どうもこうもないさ。お前を口説くために、也ふり構っていられない、情けない男なだけだ」
「くど……ずいぶん強引だったが」
「…お前と俺は絶対両思いだから、押せばイケるとアドバイスを受けた」
トラヴィスは頭を押さえた。
誰にアドバイスされたのかは、聞きたくはないが、この際いい。
それよりも。
「両思い…」
「…ああ。俺は、そういう意味で、お前が大事だよ」
アレインはその場で跪いて、まっすぐトラヴィスを見た。
「…愛を囁いても?」
トラヴィスはドキッとした。実は、こういうストレートなシチュエーションには弱い。本の中での話だが。
でも、恥ずかしさが勝った。
「……いや、いい」
トラヴィスは、アレインの紅い瞳から目を逸らすと、言った。
「言っただろ…嫌じゃないんだ。察しろよ」
「トラヴィス…」
アレインはトラヴィスに近寄った。トラヴィスはもう、距離を離すことをしなかった。
「抱き締めても、いいだろうか」
トラヴィスは何も言わない。無言は、肯定だ。
そっと、アレインはその身を胸に引き寄せる。互いの体温と、早い鼓動が伝わった。
アレインの腕の中で、トラヴィスは、おずおずと、アレインを見上げて言う。
「口付け…するのか?」
「…俺はしたいと思っているが」
トラヴィスは唇をむず、と引いて、黙り込んだ。