ゼクノヴァでエグザべくんが入れ替わる話アルテイシアが即位して数年、シャリア一行はズムシティを離れ宇宙での探索任務に当たっていた。任務の目的はゼクノヴァでこちら側にやってきたオーパーツの回収である。
「今回探索するポイントはサイド5、通称ルウムの10バンチから27バンチ付近です。かつて、その、ルウム戦役にて激しい戦闘が行われたためか、ゼクノヴァの発生が数回確認されています。なのでオーパーツがデブリに混じっている可能性は非常に高いと思われます」
モニターを指さしながら説明をするコモリは、エグザべの方を見る。ほかのサイドより多くのデブリが漂う故郷を前にエグザべの様子は変わらない。いつものように資料を読み込み真剣に説明を受けている。むしろエグザべ以外の人達が気を使っている節がある程だった。
「今回の任務ではデブリ回収用ザクを使用してもらいます。エグザべ少尉には3号機。アーム型サイコミュを搭載したカスタム仕様のザクを割り当てます。通常よりやや骨格が大型化しており、機動力より操作精度を優先しています。多少取り回しに癖がありますが……少尉なら問題ないでしょう」
「了解しました」
エグザべは手短に答える。いつもの無駄のない返答だった。
「残り2名のパイロットには1号機、2号機を。こちらはノーマル仕様の回収用ザクです。フロントアームのマニピュレータは試験運用の改修型、あまり荒く扱わないように」
「はっ!」
残りのパイロットたちが簡潔に応える。
「宙域はルウムの10バンチから徐々に北へ向けて展開します。現地の座標データはこのあと随時転送されます。回収対象は金属密度、空間ゆがみ、ミノフスキー粒子の反応値を基準にAIスキャンでマーキングされます。判断が難しいものはコモリ少尉と通信で確認を取りながら慎重に運んでください」
シャリアはコモリに軽く目を向ける。コモリは頷きながら、手元の端末に映るマップを指で拡大した。
「……あと、追加で。現在13バンチ付近には小規模ジャンクギルドが常駐しているとの情報があります。民間登録の外れた機体が周囲を漂っている可能性がありますが、原則交戦は避けてください。こちらからの警告信号に反応しない場合のみ、判断を現場指揮のシャリア中佐に一任します。またミノフスキー粒子による通信妨害があった場合には、パイロットによるで構いません」
「無用な刺激は避けますが、こちらの安全が第一です。全員、慎重に」
再びシャリアの声が室内を引き締める。
「では、十分後に発進準備を完了してください。作戦宙域での実動は一時間後を予定。各自、出撃点検を」
シャリアが簡単にまとめると、各々が任務のための準備を始める。シャリアはエグザべが更衣室に入る前に引き止めた。
「エグザべくん。大丈夫ですか」
「はい。たしかに思うところはありますが、もう五年以上前のことですし。むしろ皆に気を使わせてしまって申し訳ないくらいです」
エグザべは袖の端をつまみながら目線を下げる。シャリアはエグザべの 指先を、そっと自分の手で包んだ。廊下には誰もおらず、微かな蛍光灯の明かりだけが二人の影を床に落としている。シャリアは一歩近づいた。エグザべの背に手を回し、引き寄せる。その動きはごく自然で、日常の一部のように馴染んでいた。エグザべも抵抗せず、むしろ軽く額をシャリアの肩に預ける。
「ほんとに大丈夫ですよ?中佐にはわかるでしょう」
シャリアが指先でエグザべの顎をそっと持ち上げる。
「それでも心配したくなるのが恋人でしょ」
そのまま、シャリアはエグザべの唇にごく柔らかく口づけた。軽く、けれど確かに。彼の息が少し揺れるのを感じながら、唇を離すと、ふっと微笑む。
「無理しないでくださいね」
「はい」
シャリアは名残惜しく手を離すと、彼を見送りながら静かに息をついた。背を向けて更衣室に入っていくエグザべの背中は、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも凛としている。
扉が閉まり、シャリアも踵を返す。中佐としての顔に戻りながらも、胸の内では恋人としての想いがまだ柔らかく燃えていた。
※※※
「こちら管制。全システムグリーン。出撃、どうぞ」
「エグザべ少尉 ザク3号機 出撃します」
推進ブースターが点火し、機体は光とともに宙へ。
開かれた射出口の先、サイド5の濃密なデブリ帯へと、エグザべの機体が滑り込んでいった。
デブリ帯に突入して間もなく、索敵センサーが発する青白いラインが次々と破損した船体や金属片を照らし出す。かつての激戦の名残は、静かな墓標のように宇宙に漂っていた。
その中に――不自然な軌道で移動する機影。
「未登録機、接近中。距離、4000、いや、3200……速い!」
管制室に緊張が走った。
大型モニターには、エグザべのザク3号機と、その周囲に密集するルウム宙域特有の大小様々なデブリ群、そして――高速で接近する不明機のシグナルが赤く表示されていた。
「警告信号を送信済み、反応なし。こちらのID認証にも応じません」
「識別は?」
「民間登録なし。形状は旧ジオン系のカスタムザクに類似。だが、背部ユニットが大幅に改造されていて、推進力、通常の倍以上です!」
「ミノフスキー粒子反応あり。敵艦から散布された模様。1号機から3号機まで通信途絶」
モニターの上に浮かび上がる各種データが赤く染まり、異常な波形を記録した。
「……これは……っ」
管制オペレーターが息を呑んだ。
「ミノフスキー粒子の総反転現象を確認!」
その瞬間だった。
格納庫に響くような重低音の共鳴が、艦の構造体全体をわずかに震わせる。
管制室の照明が一瞬だけ明滅し、メインスクリーンの中央に、キラキラと強い輝きが映し出される。
「ゼクノヴァ反応、確定!発生地点、ザク3号機!」
オペレーターの一人が震える声で報告した。
「ゼクノヴァの拡張範囲、急激に広がっています。中心軸は依然としてエグザべ機からの反応。臨界点に到達!空間移転現象、発生します!」
白と黒の円形がエグザべ周辺を包み、数秒後に爆発が起る。しばらくするとミノフスキー粒子から煌めきが失せ元の光景に戻る。
「ゼクノヴァ、収束しました。発生地点にモビルアーマー1機確認。アーカイブと照合した結果、機体ナンバーMAN-00X-2 サイコミュ訓練用のブラレロです」
オペレーターの声が震えた。
ラシットはすぐさま管制席のマイクに手を伸ばし、ハンガーチームに指示を下す。
「こちらラシット。即時、回収班を出せ。座標は今送る。対象機はゼクノヴァ発生地点に出現した訓練機のモビルアーマー。慎重に扱え、損傷を最小限にとどめて、コックピットを確認しろ」
「了解!回収班、発進準備!」
※※※
数十分後、ブラレロは回収され格納庫ではハッチの開放作業が行われていた。
「ハッチ、開きます!」
整備士が手動でコックピットハッチをこじ開けた瞬間、中からゆっくりと身を起こした人影が見えた。
「……っ、いる! パイロット、確認!」
数人が急いで手を伸ばし、ゆっくりとその人物を機体から引き出す。
「生存確認、脈あり。意識は、朦朧状態です!」
「容姿確認……っ、これ……中佐……!」
通信の声に、シャリアが動く。
まるで身体が勝手に反応したかのように、急ぎ格納庫へと向かった。
コクピットの内部。
酸素マスクもない、薄汚れたボロのような布を着た青年が、操縦席に力なく座っていた。
全身から汗と冷気に濡れたような肌、痩せた体つき、呼吸は浅く。
だが、何よりもその顔。
シャリアは静かに、しかし確信を持ってその名を口にした。
「エグザべ少尉」
青年の瞳が、ふらりとこちらを向いた。
焦点の合わない目が、シャリアの姿を捉えようとする。
それはどこか夢の中にいるような、現実感のない視線だった。
「...僕の家が」
そう呟くとエグザべは意識を失った。慌ただしく動く医療班の横でコモリ少尉はその場に立ち尽くし、目を見開く。彼女の意識は、反射のようにエグザべの思考を感じ取った。
まるで脳裏に直接映像が焼き付けられるように。
宙を落ちていく巨大な構造物。
崩壊するシリンダーの湾曲。
そして、地球の重力へと呑まれていく、自分の“故郷”。
「そんな、ジオンがコロニーを」
思わず口元を押さえる。
胸が苦しい。息が詰まる。
この光景は、ただの記憶ではない。絶望の体験そのものだった。
医務室は薄暗く、機械の静かな作動音とわずかな振動だけが、眠るような時間の中に漂っていた。
シャリアはそのベッドの脇に、椅子を引いて座っていた。書類もタブレットも置かれているが、彼の視線はずっと一点だけを見つめていた。
生気の戻りきらない顔色。薄く開いた唇。骨ばった両手。
見慣れた顔のはずなのに、そこにはまるで別の人間のような雰囲気があった。
――違う。
いや、似ているからこそ違和感があるのだ。
彼は確かにエグザべ・オリベだった。だが、シャリアの知っている彼ではなかった。
かすかにまぶたが震えた。
シャリアはそのわずかな変化を見逃さなかった。
呼吸が一つ、浅く整い、まるで水面を割るように、ゆっくりとエグザべの目が開いた。
シャリアは、ベッドの脇でかすかに身を乗り出す。
「目が覚めましたか」
その声に、青年の視線がわずかに揺れた。けれど、焦点はまだ合っていない。目の奥には混濁した霧のようなものがあり、現実と記憶、夢と時間がまだ分かれていないのがわかる。
「ここは...」
ひどく掠れた声だった。乾いた喉が震え、言葉を途中で失う。シャリアは手早くコップを手に取り、ストローを添えて、彼の唇へとそっとあてがった。
「水です。ゆっくり、飲んで」
エグザべはほんの少しだけ顔をそむけかけたが、それはほんの一瞬で、すぐに力なく唇を開き、ストローを咥えた。静かに、何度か喉が鳴る。
「……ありがとうございます」
それだけを言って、彼は再び目を閉じた。
シャリアは眉をわずかに寄せながら、その顔を見つめる。無防備で、しかしどこか緊張感をはらんでいる。まるで、眠りながらも敵の気配を探っているような。
「安心してください。あなたはもう安全です。ここは軍の医務室ですが、拘束などはされていません。あなたは保護されています」
あくまで“保護”その一点だけを強調する。だがエグザべは、はっきりと聞き取っていた。
「軍…」
その言葉に、微かだが反応があった。彼のまぶたがほんの少し持ち上がり、視線が今度はまっすぐシャリアの顔に向けられる。焦点が合う。だがその目には、警戒と、混乱が浮かんでいた。
「ここ……どこですか。どこの軍……ですか」
シャリアは一瞬だけ言葉を詰まらせた。ハッチが開いたあと、彼の思考から流れてきた映像は、数多のモビルスーツを巻き込み落ちていくコロニー。それに向かって敬礼をするジオン軍。シャリアは静かに椅子から身を乗り出しすぎない距離を保ったまま、目線を合わせて言った。
「サイド3より派遣されたデブリの回収部隊です。作業中、偶然あなたを発見しました」
「そう、ですか」
(サイド3ってやっぱりジオンじゃないか。デブリの回収...ってことは連邦政府は、サイド5から手を引いたってことか そりゃ、そうか…。そっか、もうなくなったんだ...)
シャリアは読み取った。彼の心の奥にある、焼け焦げたような怒りと、同時にある、戸惑いと疑問。
怒りが先に出ないのは、彼がまだ混乱しているからだ。自分の置かれている状況を、本当の意味では理解していない。
「いくつか質問させてください。あなたの名を、教えてくれますか」
「エグザべ・オリベ。18歳。サイド5、第11バンチ出身。民間船団整備局付属、工業学校機械科……」
途切れ途切れだが、正確に名乗る。その語り口には、まるで記憶の断片をなぞるような慎重さがあった。だが、同時にシャリアの胸に冷たいものが走る。
(18歳ということは5年前。サイド5。11バンチ、ワトホート、ルウム戦役真っ只中か、いや、おかしい)
「あの、まだなにか」
「……いえ。結構です。こちらの状況などは改めて説明します。今は、まず休んでください」
シャリアは静かに椅子を引き、立ち上がると、手元のブランケットを整えるようにエグザべの胸元にかけ直した。ふと、目が合った気がした。だがそれはほんの刹那で、すぐにまぶたが閉じられる。
シャリアは静かに医務室を出た。自動扉が閉じるまでのあいだ、ほんの一瞬、名残のように振り返ることはなかった。
※※※
艦内会議室。モニターにはゼクノヴァ発生直前のデータが投影され、電子ノイズのような光の記録が静かに明滅していた。空調の音がやけに耳につくほど、空気は重く静かだった。
シャリアは席の背もたれに体を預け、前に組んだ指の上に顎を置いて黙っていた。椅子の並びにはラシットとコワル、コモリが座っていた。
「今回のゼクノヴァ、エグザべ少尉の消失、そして向こう側から来たエグザべ・オリベについて各自報告をお願いします」
最初に口を開いたのは、コモリだった。
「はい。まず今回のゼクノヴァについてですが、発生地点はサイド5、ルウム宙域。シャロンの薔薇が消失して以来、初の観測です。数値的な異常は見られません。しかし過去のゼクノヴァとは違いエネルギーは一方通行ではなく双方向から流れ出ているようでした」
ラシットが続く。
「次にエグザべ少尉、及びザク3号機について。周囲を捜索したが発見できず。発生地点から直径3キロメートルの物質は向こう側のものと入れ替わっていることが判明している。回収は済んでいるがどれもコロニーやモビルスーツの残骸ばかりだそうだ」
コワルが手元の端末をスクロールさせながら報告を引き継ぐ。
「回収されたモビルアーマー、型式番号MAN-00X-2、通称“ブラレロ”についてですが、製造年は0081年と記録されています。フラナガンスクールにて訓練用として使用されていた機体で間違いありません。解体を試みた形跡がありますが内部はほとんどいじられていませんでした。また、長期間放置されていたのか、メンテナンスはされていませんでした」
一同の視線が自然とシャリアへと向いた。
シャリアは一拍の沈黙の後、ゆっくりと言葉を選びながら報告を続ける。
「最後に、向こう側のエグザべ・オリベについてですが、本人の申告では18歳。軍歴はなく、民間の工業学校に所属していた学生とのことです。彼との精神感応でサイド5 11バンチ 通称ワトホートがジオンによるコロニー落としが実行されていることが確認できています」
「つまり、向こう側のエグザべ少尉は0079年から来たということか」
応じるように、コモリが眉をひそめながら首をかしげた。
「でも……記録上、ルウム戦役でのコロニー落としは、連邦によって阻止されたはずです」
「ええ。しかし……」
シャリアは一呼吸置き、言葉を選ぶように言った。
「彼の世界では、それが阻止されなかった」
室内の空気が一段、重たくなる。
コワルが腕を組み、渋い表情で呟いた。
「それにしても、腑に落ちません。なぜ彼がブラレロに乗っていたのか…… 開発年を考えれば、彼の時代に存在しているはずがない機体です」
会議室に沈黙が戻る。
シャリアは視線を伏せたまま、静かに思考をまとめていた。
現時点で確認されている事実は三つ。
まず一つ――
こちら側のエグザベ・オリベはモビルスーツごと行方不明であり、そのまわりのデブリはこちら側のものではないということ。
二つ――
彼が乗っていたブラレロは、こちらの世界では0081年製、フラナガンスクールで使用されていた訓練用機体。ルウム戦役当時には存在していないはずの機体であり、軍属でもない民間の少年が搭乗していたことに整合性はない。
三つ――
保護したエグザべ・オリベは、0079年の人物であり、ルウム戦役のさなかからやって来た18歳の青年であること。そして向こうの世界では二回目のコロニー落としが成功していることが判明している。
シャリアは深く息を吐き、背もたれから身を起こした。全員の視線が自然と彼へ向く。
「……今、私たちが把握しているのはここまでです」
彼の声は低く、けれど確かな響きを持って会議室を満たした。
「当初の目的であるオーパーツの回収は中止とし、エグザべ少尉の捜索と、その関連事象の調査を最優先とします。そして、今いるエグザべくんにはあまり干渉しない方がいいでしょう」
※※※
「あまり干渉しないようにって話じゃなかったでしたっけ」
ジト目のコモリがモニターを睨む。その先には、格納庫でクルーと肩を並べ、モビルスーツの整備作業に加わるエグザべの姿が映っていた。
頬には無造作にオイルの汚れ。けれどその顔は真剣で、時おり子供のような表情を浮かべながら、手元の作業に没頭している。
最初に絆されたのはコワルだった。コワルは機械科の学生と話していくうちに、技術士としての心がくすぐられた。実際にモビルスーツを見せて解説していると、パイロット兼整備士がエグザべに工具を渡して筋の良さに唸り始める。
「未来ある若者に教えたがるのは歳のせいでしょうかね。コワル中尉」
「申し訳ありません。しかし、お言葉ですが、シャリア中佐もゼクノヴァの誘発を理由にサイコミュの訓練を行ってらっしゃいますよね」
「未来ある若者に教えたがるのは歳のせいですね」
コモリが心底呆れたような顔で視線をそらし、傍のラシットが肩をすくめて苦笑する。かつてアマテのときも似たようなことがあった。
けれど、エグザべはまた違う。彼の言葉は純粋で、技術と知識への飢えが真っ直ぐだった。
艦内の一角にある、シャリア専用の簡素な個室。
その部屋に、今はもう一つ椅子が用意されていた。
正面に座るのは、エグザべ・オリベ。
制服ではなく、作業服のまま。袖に油染みがついたままだった。
「失礼します。あの、呼び出されるようなこと、しましたか」
そう口にする彼の声は、怯えても、萎縮してもいなかった。ただ、少しだけ緊張を含んでいる。ソドンの中で暮らすうちに、彼の中にあったジオンへの怒りやコロニー落としの混乱もうなりを潜めていた。
「違います。ただ、君と話をしておきたかった。正式な面談というわけではありませんよ。これは私的な会話です」
「私的、ですか?」
「ええ」
部屋に満ちるのは、空調音と二人の気配だけ。グラスを二つ用意しておいたが、彼はまだ未成年だった。光源は抑えられ、壁に当たる影が穏やかに揺れている。
「こちらの生活には慣れてきましたか?」
「はい。皆さん、優しくしてくれます。それに学校じゃ学ばないことも教えてくれるし、特にここに格納されているモビルスーツはルウムの中で見たザクの中でも、一歩進んでいるというか。モビルスーツ自体最近のものだと言うのに…。 それにブラレロという機体のサイコミュ、というシステムもすごい発明だと思います」
「ええ、ですがこのことはジオンの中でも最高機密ですから、他言は無用ですよ。...そういえばあのブラレロは確か拾ったと言ってましたね」
「はい。ある日墜落してきて。ジオンは、あいやジオン軍の方は『動きはするけど、使えない』と言ってジャンク山に捨ててったんです」
「へえ。墜落ですか。では、かなりの爆発があったのでは?」
「うーん。爆発だったり墜落っていうのはよくあることでしたから、なんとも」
エグザべは困ったように笑う。
「すみません。辛いことを思い出させてしまいましたね」
「いえ。あー、あっ、そういえばもう二週間も経つんですね」
「...ええ、早いものです」
ふと、エグザべが視線を落としたまま、ぽつりと漏らした。
「……最初は、ずっと夢だと思ってたんです」
机の縁を、指でなぞるようにしながら言葉を継ぐ。
「本当は、あのコロニー落としのあと、僕は死んでて。これはその後に見る夢なんじゃないかって。夢にしては知らない人達ばっかりだけど」
エグザべは苦笑するように言いながら、手元の机を軽く指先で叩いた。それは冗談めいた仕草だったが、そこに含まれた思いは薄くない。
しばらくの間、そのまま何も言わず、彼はゆっくりと呼吸を整えるようにして、再び口を開いた。
「でも、あのザクやブラレロをいじっていると、違うんだろうなって思うんです。なにせ僕の頭じゃサイコミュなんてものは考えつかないし」
言葉を切って、エグザべはそっとシャリアの顔を見た。その視線には期待でも希望でもなく、ただ本当のことを言っているという誠実な色があった。
「とにかく、今すごく楽しいんです」
エグザべの口調は軽やかだった。だが、それが無邪気ゆえのものではないことを、シャリアはすぐに察していた。生き延びた者にしか持たない、慎ましい感謝の形だった。
「それは良かった。この時間がいつか君の助けになれば幸いです」
シャリアは、目を伏せたまま小さく息をついた。目の前の青年は、自分の未来がどこに向かうのかなど知らず、今という時間をまっすぐに見ている。
けれど、シャリアは知っている。
この青年は、やがて難民となり、戦争の道具として使われる。たとえそれが別の世界線の未来であっても、その行く末を思えば、どうしようもなく胸が痛む。それがシャリアにとって「恋人」ではないかもしれないが、今目の前にいる18歳の青年もまた、紛れもなく彼なのだ。戦争や政治なんかとは無縁の生活を送って欲しい。
しかし、
(私が君と出会うためには、君がジオンに来てくれないと)
その思いは、自覚すればするほど矛盾を孕んでいた。戦争に巻き込まれないでいてほしいと願いながら、その片鱗に足を踏み入れたからこそ、彼と今を共有しているという事実。
「...これからは、サイコミュ訓練の時間を伸ばしましょう」
「はい。よろしくお願いします」
「とても有意義な時間でした。君が楽しそうで良かった」
「こ、光栄です。では、失礼します」
エグザべが扉に向かって歩き出す、その背を見送りながら、シャリアはそっと心の中で呟いた。
(まったくゼクノヴァというものは)
シャリアは静かにグラスを傾けた。
艦内の技術区画。モビルスーツ整備ベイの一角に、薄暗く囲われた検証スペースに士官たちが集まっていた。プロジェクターの投影が切り替わると、MAN-00X-2――通称ブラレロの3Dモデルがホログラムで浮かび上がる。
「では、報告を。回収した機体、ブラレロの解析結果がまとまりました」
コワルはデータパッドを手にしながら、淡々と続ける。
「この機体は0081年製造、フラナガンスクールでの実験訓練用に配備された試作機で間違いありません。にもかかわらず、それが0079年のルウム宙域に存在していた。これは時間的矛盾です」
コワルはデータパッドに目を移しニヤリと笑う。
「この機体についてフラナガンスクールに問い合わせたところ、0082年の訓練中に発生した小規模のゼクノヴァと思われる現象で消失したとのことでした」
「その機体が向こう側のルウムに漂着したと」
「はい。しかしブラレロはニュータイプでないと本領発揮できないため、ルウム戦役では使用されず、捨てられたのでしょう」
「そしてエグザべくんが乗ったことでサイコミュが起動。ブラレロはいわゆる特異点、シャロンの薔薇のような役割を果たし、ゼクノヴァが発生した」
「そういうことです。おそらくですが、シャロンの薔薇が引き起こしていたゼクノヴァとは違い、それぞれのエグザべ少尉の脳波が互いの機体のサイコミュに感応して発生したのが今回のゼクノヴァ。というのが、自分の仮説です」
「たしかに、今までのゼクノヴァはシャロンの薔薇から一方的にサイコミュシステムに感応していた。でも今回は双方のサイコミュに反応した。だからエネルギーの流出が一方通行ではなかった。可能性としては高いです」
コモリは頷く。
そしてシャリアは顎に手を添え、視線をわずかに落とす。
「つまり、もう一度それを起こせればエグザべ少尉は帰って来れるということですね」
シャリアの声には確信があった。
だが、同時にその言葉の先に横たわる不確実さを、誰よりも強く自覚していた。
「……理屈の上では、そうなります。ただし」
と、コワルが慎重に言葉を選び直す。
「そのためには向こう側に行ったとされるエグザべ少尉とこちら側のエグザべくんが同時にサイコミュを起動し、かつサイコミュ同士が共鳴してくれなければ、再発はないと思われます」
沈黙が落ちる。仕組みはわかったがこちらから干渉することはできない。自分たちができることといえば、こちら側の条件を整えることだけ。
「……わかりました。しかし、ルウム宙域に滞在できるのは、あと一週間ほどです。それまでに兆候がなければ、一度帰還します」
シャリアの言葉に、部屋の空気がわずかに揺れた。
誰もが分かっている。それはタイムリミットだ。
ゼクノヴァは意志では呼べない。運命に近い何かだ。
狙って起こすなど、もはや賭けにもならない無謀。
「中佐は、それで……いいんですか?」
コモリの声は、いつになく強かった。
静かな会議室に響いたその語調は、衝動に近かった。言ってはいけないと分かっていながら、どうしても止められなかった。コモリ自身も、それが軍人として不適切な感情の発露だということはわかっていた。だが、それ以上に、シャリア自身がいま何を想っているのか。気づかないふりなどできなかった。
シャリアは、ほんの少しだけ目を細めて、コモリに穏やかな笑みを返した。その笑みは優しく、しかしどこか遠かった。
「むろん、諦めるつもりはありません」
言葉は静かだった。まるで、その言葉だけが彼の中で最初から決まっていたようにすら見えた。
「こちらのエグザべくんのこともあります。報告もしなければなりませんし、今後どう扱うかの判断も必要になる。焦って事を誤るより、整えてから動く方が確実です」
その笑みの奥にあるもの、ほんの一滴の、寂しさ。赤い彗星を探していた時とはまた違う笑みを浮かべてシャリアはまるで自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「なに。大佐だって見つけられたのだから、エグザべ少尉のことも見つけられるはずです」
シャリアの言葉に、コモリは何かを言いかけたが、その横でラシットがひとつ、静かに手を上げる。
「コモリ少尉。中佐の判断は妥当だ。今は、次に備えるべきだ」
その声音は穏やかだが、艦長としての重みがあった。ラシット自身も、この一週間が実質的な猶予であることは分かっていた。
「ミノフスキー粒子を散布する範囲を広げ、エグザべには可能な限りのサイコミュ訓練を行うように指示をだす。我々ができる最大限のことはしよう」
全員黙って頷いた。
「では、各員。引き続き持ち場に戻り、対応を」
ラシットが会議の終了を告げると、ゆっくりと椅子が引かれ、各々が立ち上がる。誰もがその背中に、責務と焦り、そしてほんのわずかな希望を背負っていた。
※※※
シャリアは、作業ベイの上階通路からその様子を見ていた。手すりに肘をかけ、下を見下ろしながら、ただじっと彼の姿を目で追っていた。
まるで、ここにずっといたかのようだ。
技術士やクルーたちも、今やエグザべを「客人」ではなく「仲間」として扱っていた。笑い合い、叱り、頼りにする。その中にいる彼は、ソドンのメンバーと言っても過言ではなかった。
「ずいぶん馴染んじゃいましたね」
隣に立ったコモリが、ぼそりと呟く。
シャリアは答えず、視線だけを落としたままだった。
「このままこっちの世界にいても、エグザべくんは、きっと困らないですよ」
「……ええ、たしかに」
少し間を置いてから、シャリアは静かに答えた。それは同意というより、諦念に近い響きを持っていた。
「でも、それでも……戻さなきゃいけないんですよね?」
コモリは、あえて視線を合わせようとはしなかった。問いかけではなく、確認。けれど、その言葉の奥にある気持ちは読み取れる。シャリアは微かに息を吸い、癖のように言葉を選び口を開いた。
「正しいことをしなければなりません。彼は元いた場所に戻って、自分の人生を生きるべきです。それが、本来あるべき形ですから」
コモリはそれを聞きながら、ふん、と短く鼻で笑った。
「へえ。じゃあ、中佐は正しいことをして、彼を宇宙に放り出すんですね」
彼女のジト目に少したじろぐ。コモリは本音を言えと言っているのだ。それが彼女なりの気遣いであることもわかっている。
「……正直に言えば、どちらの彼も、手元に置いてしまいたいと思っているんです」
「そうでしょうね」
「...しかし向こう側の私がエグザべくんと出会えないのは可哀想でしょう?」
コモリはすぐに返事の代わりにため息を吐いた。満足というほどではないが、それでも十分だった。シャリアの口から、ほんの一滴でも本音がこぼれたことに意味がある。
「……そうですね。じゃあ、あとは訓練と祈り、ですか」
「ええ。できることは、すべて」
シャリアはそう言って、下で笑っているエグザべの姿に再び目をやる。
その目はどこか切なく、どこか温かかった。
「中佐」
背を向けかけたコモリが、ふいに足を止めて言う。
「私だったらその態度、浮気判定しますから」
「おや、ではエグザべくんに誤解されないようにしなければいけませんね」
シャリアは手すりから体を離すと、静かに背を向け、通路を去っていった。
静寂と濃密な粒子が満ちるルウム宙域。
何十回と行われたシャリアとのサイコミュ訓練でエグザべは目を閉じていた。ノイズのない集中。サイコミュが、彼の脳波に呼応し始める。
そのときだった。
「これは、あの時のキラキラ!」
ミノフスキー粒子の可視化反応で宇宙が色付く。上下も、距離も、境界も曖昧なその世界で、エグザべはひとり、宙に浮かんでいた。
(戻るときが来たんだ)
そう思った瞬間、背後に気配があった。
「……シャリアさん?」
振り返ると、そこに彼がいた。軍服のまま、けれど風のない空間に髪がやわらかく揺れている。
「もう、お別れですか?」
「ええ」
「あ、その、今までありがとうございました。ソドンの方々にも、その、ように」
気が緩んだのか、エグザべの目に、にじむものがあった。堪えようとしたが、こらえきれず、次の瞬間には彼はシャリアに縋りついていた。
「...っシャリアさん。僕、もうずっと、ここに居たい!あっちには...何もないんです。家族も、友達も、全部なくなった」
シャリアは何も言わず、その肩をしっかりと抱きとめた。エグザべの身体は細くて軽くて、でもその抱擁のなかに、彼のぜんぶが詰まっていた。
「君の気持ちは、よくわかっています」
低く、優しい声だった。
「でも、君が歩むべき道は、ここではない。たとえあちらが壊れていても何もなくても、君がそこにいるだけで、きっと誰かの救いになる。私は、そう信じているんです」
きっとシャリアの本音はエグザべに伝わってしまっているだろう。それでも彼は、シャリアの腕の中で小さく頷いた。
シャリアは、そっと指先を伸ばした。
生きろと言った彼の声が、今も耳に残っている。
その時届かなかった手を、今ようやく彼の涙に伸ばす。同じ言葉を、違う形で伝えるために。
「生きてください、エグザべ・オリベ。何があっても、前を向いて」
抱擁がほどける。シャリアは一歩、彼から離れた。
その手は、迷わず彼の背へと回された。
「そちらでも、私と会ってくださいね」
エグザべはシャリアにそっと背を押されると、その光の向こうへ、静かに歩き出した。粒子が揺らめき、世界がたわむ。歩を進めるごとに境界は崩れ、身体がふわりと空気に溶けていくようだった。
一歩、また一歩。
やがて彼の足元が光の渦に溶け、腕が、肩が、顔が吸い込まれるように消えてゆく。
その彼方からふいに手が伸びた。
粒子の壁を破って、向こう側から這い出してくる。
シャリアは一瞬、息を飲み、すぐに、踏み出した。
ためらいなく、迷いもなく。
その手に、自らの手を重ねる。
「エグザべくん...」
「ただいま帰還しました」
粒子の光が静かに収まり、そこには、帰ってきた者と、迎えた者がいた。
再会の証として重ねられたその手のひらだけが、宇宙の喧騒のなかで、確かに温もりを持っていた。
ルウム宙域の戦線を離れたソドンの艦は予定通りの帰投ルートを辿っていた。
エグザべは報告書を書きながら、ソドンのメンバーから入れ替わっていた自分について聞いたことを思い出していた。今の自分とあまり相違点はなく、ここでモビルスーツのメンテナンスをしてたというので、少し羨ましかった。コモリはこっそり「浮気はしてなかったよ」と教えてくれた。
しかしシャリアは「君に浮気をしてしまいました」と告白してきた。どちらにせよ自分なのだから浮気では無いと思っていたが、少し不機嫌な振りをしてあげた。
ゼクノヴァの中で、シャリアの心情を知ってしまったから。
「君もそういう気遣いができるようになったんですね」
隣で書類の山をまとめながら、シャリアが小さくこぼす。
「僕が成長したところを見せないと。十八歳のままだと思われたら心外ですから」
「そうですね。もういろいろと経験してきたエグザべくんですからね」
シャリアは、書類に目を通しながらも、時折視線を横に滑らせていた。隣で黙々と報告書をまとめているエグザべの横顔、彼の目元には以前よりわずかに深い影が宿っていたが、それは決して暗いものではなく、何かを経て戻ってきた者にだけ許される、静けさだった。
「……地球に、行きませんか?」
エグザべはペンを置きぽつりと言った。
「地球?」
「ええ。向こう側に行った時、ずっとテキサスコロニーにいたんです。そこで牧場の人に馬の乗り方を教えてもらいました。モビルスーツと同じで最初は上手くないから全然動いてくれないんです。柵に僕の足を擦り付けたりするんですよ。でもだんだん言うことを聞いてくれるようになって、コロニーの内壁を一周したんです。」
エグザべの言葉に、シャリアはそっと目を伏せた。声に滲んでいたのは、どこか懐かしさを含んでいた。
「次は……シャリア中佐と一緒に、って思ったんです」
不意に名前を呼ばれて、シャリアはゆっくりと顔を上げる。エグザべはまっすぐに彼を見ていた。その視線は、どこか照れくさそうで、けれど一切の迷いはなかった。
「でも、もうテキサスコロニーはないから。だから、なら地球に行こうって思いました。あのときの続きを、あなたと一緒に」
シャリアは一瞬だけ言葉を失い、それから微笑んだ。
「...君は約束が上手ですね」
シャリアはそっとペンを置き、エグザべの手元に目をやる。
「では、しっかり休みが取れるように、急いで書類を仕上げましょう」
エグザべは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐにくすりと笑って頷いた。
「はい、そうしましょう」
二人の手が再び書類に向かう。ペンの走る音だけが、静かな艦内に心地よく響いた。
窓の外、ゆるやかに流れる星々の光。
その向こうに広がる地球を、ふたりはまだ見ぬ景色として思い描く。
あの日、交差したふたつの世界。
その断絶を越えて、彼らはまたひとつ、新しい約束へと歩き出していた。