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    真央りんか

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    真央りんか

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    ミキクラ。ミキクラ未満。一人で夜の町に消える三ッ木ー

     その夜の三木の姿に気が付いたのは、クラージィだけだったろう。
     勤め先の猫カフェのシフトを終えたクラージィが外へ出れば、町は吸血鬼の時間だった。人間との比率が昼と逆転している。この国の都会の夜はかなり眩しいものだと映像などで見知っているが、新横浜の夜もなかなかに明るい。ただし歓楽街のギラギラした眩しさは限られている。生活の灯りだ。
     主に活動するのは吸血鬼なのだから、そんなに灯さなくてもよいものだが、時間帯が同じ人間がおり、また享楽的な者たちには、この眩しさも良いらしい。
     深夜でも人通りの絶えない中を歩けば、クラージィは一介のモブとなる。
     かつて教会を追われ、慣れぬ土地を転々とし、寄る辺のない身は異物であった。行く先々の村で、代り映えのない生活にその晩の話題を与える者であった。
     それが新横浜にやってきて、周囲の大多数と異なる国と異なる時代の身となったのだが、以前に増して異物である存在をここでは誰も特別視しない。不可思議なこの町でも、クラージィの存在は自分の想像以上に特殊らしい。それでもクラージィの出自を知った人々は、大変でしたねとただ労うだけで、この町に根付く手助けをしてくれた。
    『ここはポンチを引き起こさなければ平穏に暮らせます』
    『ポンチを引き起こしても反省したら戻って来られます』
     ポンチの意味もわからぬ頃に、誰かに教えてもらった。似たようなことは皆言っていた。
     平穏は言い過ぎ、という言葉も思い出した。確かに時折巻き込まれる身としては、平穏とは言い難いが、なぜか今のクラージィにとっては、これが平和な日々なのだ。

    「おれ達は、いわばモブですよ」
     その言葉を出したのは知り合って間もない頃の三木だった。
     この町は一線級の退治人とポンチ吸血鬼のための舞台。自分たちのような名もなき一般市民が日常を送ることで、彼らの活躍が輝くのだと。
     周囲に対して名もなき者である暮らしは、以前と変わらない。クラージィはそう思っていたのだが、後に三木と共通の隣人である吉田に、「それはNPCですね」と言われた。モブとは近いようで異なるものらしい。三木の言うモブの意味をその時は理解しきれていなかった。
     買い物などにようやく慣れてきたある日のこと、スーパーで用事を済ませて店を出てからふと気付いた。
     先ほど商品棚の前で、品出しの店員が安全の声掛けをしながら背後を通過した。あれは三木ではなかったか。
     マンションで顔を合わせた際、あのスーパーで働いているのかと尋ねたら、三木は軽く笑顔で頷いた。
    「この間、買い物してましたね。すみません、欲しいものがちゃんと見つかるか、気になってつい見ちゃいました」
     顔には出さなかったが、唖然としたのを覚えている。この地で数少ない知り合いだ。それが声まで聞いたのに、その場限りでしか合わないだろう人物と判断していた。
     ずっと眠りっぱなしの間に、悪魔祓いとして身につけた鋭敏さを失ってしまったのか。転化など関係なく、単なる堕落ではないか。密かに落ち込んだクラージィの様子を、三木は目敏く見つけて、あれこれ気遣ってくれた。クラージィが正直に打ち明けると、三木はちょっと考えるように宙を見て、再び目を合わせると笑って言った。
    「だって、俺、モブですから」
     仕事中は、顔見知りに会ってもなかなか気付かれないのだという。
    「モジャさん、後ででも、俺に気付いてくれたんですね」
     ちょっと仲良くなれましたか、と笑った顔は、いつもと違ってはにかんでいた。

     今ではもう、クラージィは三木がどれだけ紛れてようと、見過ごすことはない。
     吉田も交え、同じマンションの並びの部屋で近所付き合いするうちに、三人は顔と名と人格を持つ親しき友となった。

     三木と過ごす時間を重ねて気付いたことだが、三木は気配を消せる。以前に本人が説明した、知人に気付かれないというのとは違うが、モブとしての存在とどこか繋がっているのかもしれない。それは退治人の仕事などで発揮される能力だった。
     隣人三人組で共にいる時に、下等吸血鬼に出くわしたことがある。襲いかかるそれらの背後をとった三木は、全く気付かれることなく討ち果たした。
     吉田と共に絶賛してクラージィが気配のことを指摘すると、三木はなんでもないように、高等吸血鬼には効かないんですけどねと、肩を竦めていた。

     そしてこの夜の帰り道、クラージィだけが三木を見つけた。
     クラージィですら見逃しそうなほど、三木は影のように通りを歩いていた。
     クラージィの見ている先で、三木は人通りの少ない方へ歩いて行く。角を曲がったところで後を追うのを二度。三度目で、三木はビルの隙間でしかないような細い路地裏に入った。
     クラージィは一瞬躊躇ってから後を追う。気配を消しているということは、退治人の仕事の可能性が高い。そして三木が単独で仕事していることは聞いているし、本人は言わないが時折手こずる案件を受けているのを感じている。あまりに慎重な道行きに、クラージィは気がかりだった。
     路地の入口に立つと、奥は闇に沈んでいた。クラージィには見えるが、三木はこの中で見えているのだろうか。
     慎重に歩を進めると小さな赤い光が見えた。ゆっくりと輝きを増し、また弱まる。三木なのか?
     両側を高い壁に囲まれて、路地の中間を塞ぐフェンスの前で、煙だけがたゆたったいるように見えた。もう一歩進むと煙は緩く人型にも見えた。その瞬間、煙ではなく三木だとわかった。煙草を咥え、片目を閉じて煙を吐き出している。 
     不意に両目が明くと、三木は入口側、クラージィのいる方へ煙草を持った手を伸ばし、鋭い視線を投げてきた。虚を突かれように目を見開く。
    「…クラさん?」
     後ろから微かに差し込む街明かりが、癖毛のクラージィの特徴的なシルエットを浮かび上がらせたようだ。後を尾けたところに先に声をかけられて、クラージィは気まずさを覚える。
    「ハイ、ミキサン」
     仕事の邪魔をするつもりはなかったと、言い訳のために一歩踏み出すと、上から何か降ってきた。
     下等吸血鬼だ、と気付くより先に踏み込むと、跳んで三木の頭上のそれに拳を見舞っていた。勢いあまって、一度フェンスに掴まり着地する。壁でひしゃげた音がしたあたりに、白い光がさす。三木がスマホで照らしていた。何かぶよぶよとした塊が落ちている。
    「ヤツメヒルの幼体かな。クラさん、怪我してませんか」
     三木はまぶしくないよう足元に向けてクラージィを照らし、全身を見ている。クラージィはハンカチを取り出して、粘液のついた拳を拭った。
    「ケガ、ナイデス。私、ミキサンノエモノ、ウバウシタ…?」
    「いえ、あれは今日の仕事と関係ないやつです、助かりました。それより、どうしてこんなところに?」
     クラージィはできるだけ重々しい表情を作った。
    「ミキサン、カクレルシマシタ。アブナイコトスル、思イマシタ」
    「すみませんでした…」
     三木はたじろぐように弱気な表情を見せた。
    「ええと、危なくないです。説明しますので、すみません、一本分の時間付き合ってもらえますか?」
     取りだした煙草の箱を軽く持ち上げ、訊ねてくる。先程まで吸っていたものは、襲撃の回避で消してしまったようで、潰れた形を指に挟んでいた。
     三木にしては珍しいお願いに、クラージィは頷く。すると三木は、携帯灰皿に吸えなくなった分を入れてポケットにしまい、箱から片手で器用に新しい一本出して口に咥えると、明かり代わりにしていたスマホを消した。クラージィの目でも明るさの変化に追いつけず、一瞬暗闇になる。
     ボ、と音と共にライターが灯った。煙草の先端を炎に当てて、三木が息を吸い込むと、移った火が赤々と燃える。
     ライターが消えて、ぽつんと赤い火だけが残る。三木は長く煙を吐き出した。
    「すみません、匂い強めのやつなんで、何歩か下がってもらえますか」
     先程跳躍した勢いで三木のすぐ傍に立っていたのを、下るように促され、クラージィは素直に従った。見つめる先で三木は最初に見かけたときと同じく、片目を閉じて煙を吐き出している。奇妙な方法は、煙草の火に目が慣れないようにしているのだと気付いた。片目なのは、眩しさにも対処するためかもしれない。
     やはり危ないのではないかとクラージィは怪しんでしまう。
     浅めに口の中に煙を溜めては吐き出して何度目か、煙草を口から離した合間に、ぽつりと三木が話しだした。
    「今夜はこれが仕事なんです」
    「コレガ?」
     夜中の路地裏で煙草を吸うことが?
     口に出すと思った以上に失礼な響きになり、言葉に詰まると、気配だけで悟ったのか三木が薄く笑う。
    「ここね、吸血鬼かどうかはわからないんですけど、なんか湧くんですよ。それをどうにかしてほしいというのが、元々の依頼です」
     ふっと、隅に向けて煙を吐く。
    「出てきたのを直接叩いても、あまり手応えがない。すぐまた湧く。俺も一度だけ直接やりましたが、その通りでした」
     それでいくつか考え、ものは試しとやってみたのが煙草の煙だった。直接出てきたところに吹きかけたら、苦しむように消え失せたのだと。
    「日本の妖怪…魔物と妖精を合わせたようなやつですね。煙草のヤニがきらいなやつもいるそうです」
    「オキヨメ、デスカ?」
    「そうなんでしょうね、使ってるのはヤニですけど。それに、ただここに煙草置いて煙を出しておくだけでは効かないです。息と混ぜないとダメで」
     理屈はわからないんですけどね、とそこで三木は一度長めに吸って、深々と煙を吐いた。
    「そんなわけで、近頃は喫煙者もなかなかいないし、出そうなところを叩くのが効き目高いのでこんな時間だし、ということで、俺が定期的に受けてます。おいしいです」
     危なくないですよ、とニコッとしてからスっと表情を消し、それからまた黙ってただ煙を吐き出す。
     目の前で見ているクラージィにすら、三木の気配は薄い。一つ吐くごとに、当人も煙となって薄く漂うようだった。こんな細い路地で襲われたらひとたまりもない。下等吸血鬼をやりすごせる三木だからできる仕事なのだろう。
     今更ながら思い当たった。先程の下等吸血鬼は、クラージィが呼び寄せてしまったのだ。
    「ミキサン、ゴメンナサイ」
    「えっ、俺何しました」
     謝ったのはクラージィなのに、三木は自分の言動を振り返っている。
    「サッキ、ヤツメヒル? 私ノセイ」
    「いや狙うのは人間の俺が先ですから、クラさんのせいじゃないですって」
     だからだ。あの時クラージィが三木の存在を戻したから、気付かれた。
     うまく日本語で説明できないのと、ここで言い争うとまた何か呼び込んでしまいそうで、クラージィは一度黙った。三木は気遣わしげに、どこかおどおどとした微笑みを向けてくる。煙草の先の小さな火だけでは、きっとクラージィの様子は見えてない。
    「クラさん…?」
    「ハイ、大丈夫デス」
     それだけでほっとした様子が、クラージィからは丸見えだった。だが存在の行き来が自由なようで、残りの短い煙草をくわえ直すと、いとも簡単に三木の気配が薄れる。三木の有能さと安全を保証するその能力に、心細さを感じたのはなぜだろう。
    「私ガ、ミキサントイルト、ミキサンニ ヤツメヒル来ル」
     三木はきょとんとした顔をクラージィのいる方に向けた。
    「クラさんといると、ですか? でも一人の時でも来るときは来ますし、俺に来るだけなら、一人よりクラさんと一緒にいるのがいいですねえ」
     さっきみたいに退治を押しつけたいとかではないです、と慌てて付け加える様子は、やはりクラージィの言いたいことが伝わっているようには見えない。これはクラージィの日本語能力の問題なのだろうか。
     今しばらくは伝わらないなら、どうしたらいいか。クラージィは考える。自分が三木といることと、いないことの差し引き。そして心を決めた。
     指が火傷しそうなほどぎりぎりまで短くなったたばこを、三木は携帯灰皿に押しつぶして消す。そして小さな火すら消えた闇の中で、器用に蓋を閉じて、ポケットにしまった。匂いだけがその場に残り、煙も既に薄れているのに、三木が人型の煙としてそこにいるようだった。
     三木は右手でスマホを取りだして、ライトを点灯し足元に向ける。
    「お待たせしました」
     呼びかけに対してクラージィは三木に近づき、軽く背を向けると、三木の左手を取って、自分の右肘にかけさせる。
    「えっと、クラさん?」
    「ミキサン見エナイ。私、エスコート」
    「え、いや足元照らしてますし、すぐですから」
     クラージィは肘に置かせた手から自分の手を離さずに、そっと重ねたままでいる。言葉で遠慮しようと、それだけで三木は振り払えない。
     左から軽く振り返って後ろを伺うと、三木の後ろ、フェンスの向こうで数匹の小さなヤツメヒルがヨタヨタしていた。
     右を見て
    「帰リマショウ」
     と微笑むと、足元への明かりの照り返しで、横顔の表情が見えたのだろう。三木は戸惑いながらも受け入れたようで、曖昧な笑みを浮かべた。
    「はい。…ではお願いします」

     無言で危なげなく路地を出たところで、三木はスマホをしまう。
    「クラさんにも匂い、ついちゃってますよね」
     右の袖口を嗅いで煙草の匂いを気にしていた。
    「私、ヤニ効カナイ。大丈夫」
    「ごめんなさい、そういう意味ではなくて」
    「問題ナイデス」
     クラージィは、やや後ろにいる三木をしっかり見つめて告げた。三木はまだ戸惑っているが、反射のような微笑みはない。重ねていた手を外してみても、三木の手は逃げずにクラージィの肘に添えられたままだった。
     行く手を振り返り、「行キマショウ」と促す。
     また無言となってしばらくそのまま歩き、少し広めの通りの手前まで来る。この先はまだ活動している人も吸血鬼も多い。三木が尋ねた。
    「誰かに見られますけど、このままで、いいですか?」
    「ハイ、ダッテ私タチ、モブデスカラ」
     通り過ぎるだけの、ただそこにあるそのままの存在。
     物語は自分たちの中にある。
     触れるだけのように肘に添えられていた手に力が籠る。引き寄せるというより、三木は自分から寄り添ってクラージィに近づいた。
     隣に立った三木と、互いに軽く横目で見交わして小さく笑む。
     そして深夜の新横浜を、一組のシルエットとなって家路につくのだった。
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