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    真央りんか

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    真央りんか

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    神ミキ 名前を呼ぶ

    「カナエ」
     三木カナエは、玄関先で靴を履いて振り返ったところで、神在月シンジに呼ばれた。
    「なんだよ、いきなり」
     いきなり、なのだ。
     神在月からは、いつもはミッキーと呼ばれている。親しくなってからずっと、恋人になってからもずっと。今までふざけたノリの中で「カナエさん」や「カナエくん」はあったが、こんなに真面目な調子で名を呼ばれることなどなかった。
     今日は仕事をはしごするのに時間の接続がうまくいかず、三時間近く空いた。食事休憩にしても長い。一度帰っても良かったのだが、試しに神在月に連絡して了承をもらい、昼食を手土産にアパートを訪れた。
     食べて寛いでたわいない話で過ごすひととき。ときどき何か思いついたように、神在月がメモを取っていた。何度か途中でそわっとした雰囲気を感じることがあったのだか、スケベに持ち込もうにも時間がないので抑えてるのかと受け取って、三木は気付かぬふりをしておいた。
     仕事の邪魔をしないか気がかりだったが、たまにスカイプを繋いでネームに付き合うのと変わらない調子で済んだようだ。会えて嬉しいとストレートに告げられるのに対して、会いたくて来たとは言いそびれた。
     そして、時間が来て、玄関まで送りについてきたのを振り返ったら、意を決した顔が——
    「カナエ」
     二度目を呼ばれて、実感が強くなり三木の胸に動揺が走る。
    「いきなりといえばそうなんだけど、ずっと呼びたいとは思っていて」
     何でもないことのように処理したかったのに、神在月の真摯な表情を見たら、受け流すのは無理だった。
    「ミッキー、は、昔から、それにこれからも大事な存在で、それはずっと変わらないんだけど」
     神在月はそこでひとつ深呼吸を挟んでから続ける。
    「でも、ことあるごとにときめいたり、その、ムラッときたり、とにかくめちゃくちゃ好きだと思ったり、そういうのがちゃんとあるって、伝えたい」
     三木は冷静さを保つため、口調におどけた色を乗せて応じた。
    「元からお前を名前で呼んでる俺はどうする? なにか進化させた方がいいのか?」
     神在月は全く狼狽えず、喜びに輝かせた目を見開いた。
    「カナエも俺にときめいたりムラッときたりめちゃくちゃ好きでいてくれて、それを伝えたいって思ってくれてるってこと?」
    「……なんで今なんだよ」
     口から洩れ出た不平は、内容が唐突で神在月にはきちんと届かなかったようだ。神在月はきょととして、何度かまばたきをする。
     三木は、神在月の弛んだ襟元を少々乱暴に掴んで引き寄せた。後ろで結った髪ごとうなじを支えて、あわあわとしている顔にキスをする。ぽかんと開いた唇から侵入すれば、おどついていた舌は、何が起こっているのか理解したようで三木に応えはじめた。浮いていた神在月の両手が、そっと三木の体に添えられる。
     ずっとだ、昔からずっと。
     恋と呼ぶのだろう胸の疼きも、対象が限定された性欲の衝動も、持て余しそうな妄執も、こうなるずっと前から、神在月に向いていた。友情も何もかも引っくるめて、神在月に向けていた。だから、全てを込めて今も呼ぶ。
    「シ、ン、ジ」
     表面をかすめる近さで、神在月の唇がわなないた。
    「カ、カナエ…!」
     感極まった声と共に添えられた腕に力が籠もる。抱き竦められる前に、三木はスルリと身を引いて逃げた。
    「カナエぇ…」
    「こんな帰り際に話持ち出したのは、お前だからな」
     時間の余裕は見ていたが、去りがたさにズルズルと居ついていたら、あっという間に過ぎてしまう。突き放すくらいしないと遅刻しそうだ。
    「だからって、でも、ひどい」
     神在月が内股になって、やや身を屈めている。引き寄せた際に、神在月の足の間にわざと腿を割り込ませた。それだけの煽りで思った以上の効果が出たらしい。
     恨みがましいと言うには弱気な涙目が、三木に訴えかける。ただ突き放すなんて出来ない。
    「今日は仕事のあがりが日付越えるんだが」
    「い、いいよ、全然起きてるし、来て、泊まって」
    「…終わったら連絡入れる」
     食い気味の反応を笑えず、三木は頭の中で今夜の予定を書き換えて返事をした。神在月は落ち着きを取り戻したようで、体はもじもじとしているが、ほんのりと微笑んだ。
    「うん、じゃあ、いってらっしゃい」
    「ああ、いってきます」
     またここに帰ってくる前提のやりとりは、気恥ずかしさが漂う。嬉しそうな神在月を最後に一度チラッと見て、三木は外に出た。
     仕事場に向かって歩きながら、胸に抑えきらない分を再び不平の形で声に出す。
    「だから、なんで今なんだよ…」
     煽った分、三木とて無傷だったわけではない。ここからの労働時間の長さは、即ち悶々とする時間の長さだ。何事もなく帰るため、上の空にならないよう気合いを入れるのだった。
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