雑記奈良さんは過去の繰り返しを知っている、と言うより(恐らく部分的にではあろうが)記憶の再構成と言う形で見たことがあるのだろう。
時間の定義、記憶の仕組みは未だに曖昧だ。そして記憶と言うものは、この世に存在するあらゆる物質の時間的経過そのものだと言う説がある。空間に於ける物質が質量と言う形で認識されるのと同様、動物や植物や土地は時間的な質量もまた持っており、それが記憶の原型となっていると言う説だ。そのモノが生じてから滅するまでそれを撮り続けるカメラとでも思えば良いのだろうか。
山や川や土地だけだった時には、記憶の原型も同様にただ存在するだけだった。しかしこれは受容器官を持つ生物の誕生、そしてこの話に於いては山や川や土地そのものが受容器官を持つ(或いは受容器官を持つ生物として化身する)に至って意味を持たされる。映される場のなかった筈のフィルムに銀幕が与えられたとでも言うべきか。
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