8月の聖域汗が額に伝う感覚で目が覚めた。ぼやけた視界に映るのは古めかしい天井と、それによく似合う照明。実家の和室にも同じようなんあったな、ああいう四角い形の、と寝起きのまだ不明瞭な頭で思い出す。照明は豆電球のオレンジ色の光が小さく灯いたまま。
薄いカーテン越しに、この季節特有の容赦ない日差しが透けて見えた。窓の外からは蝉の鳴き声が聞こえる。朝っぱらから元気やなあとその喧しい声にげんなりする。
タイマーにしていたエアコンはとっくに切れていて、じっとりとした暑さが四畳半の室内に籠っていた。裸で眠っていたせいで汗は肌に残り、自分の肌と肌がぺたりとはりつく。止めどなく吹き出す汗は肌の上を流れていった。
サウナ入っとるみたいやな、と思う。一晩分の汗を吸い込んだ布団はしっとりと湿っている。シーツ洗って布団も干そか。この天気ならあっちゅうまに乾くやろな。額から流れる汗を手のひらで拭いながら考える。
あまり気持ちのいい目覚めとは言えないが仕方ない。この部屋にいるならなおのこと。寝苦しさを差し引いてもお釣りが来る。快適な場所なら金をだせばどこでも、いくらでも選べる。それでも、金をいくら積んだとしてもここがいい。懐かしく慎ましやかで、必要最低限のものが置いてある可愛らしい小さな四畳半の世界。部屋は住む人間を表す、と聞いたことがあるが案外本当かもしれない。
そう思いながら腕の中の、この部屋の持ち主のまだ幼い寝顔を眺める。伏せられた睫毛が僅かに震えて、一度ぎゅ、と強く目を瞑ってからゆっくりと瞼を開けた。
薄い、茶色の瞳と目が合う。その透明な目を見るたびについ見惚れてしまう。
「聡実くんおはよ」
「…おはよ…、ございます…」
寝起きの掠れた声が続けて「あつ…」と呟く。それから両腕が伸ばされると、首に絡まり、胸に頬をくっつけてきた。顎に少し癖のある髪の毛がさわさわ触れる。洗髪料と汗の合わさった蒸れた匂いを肺に吸い込む。汗の纏わる肌がぺたりと張り付き重なると一瞬、その部分だけひんやりと冷えて感じたが、それもすぐに熱い体温がかき消した。肌の上を汗の玉がいくつも伝い流れおちる。汗でぴったりと貼り付く他人の肌が不快どころか、もっとくっついていたい、とか、このままこうしていたいと思うのは、この世のどこを探してもこの子しかおらへんのやろな、と思う。
「ほんま、暑いなあ」
しっとりと濡れた身体を抱きしめながら枕元に置いてあったリモコンに手を伸ばし、エアコンのスイッチを入れる。低い動作音と共にぬるい風が勢いよく吹き出した。
「クーラーがんばっとる…」
その音を聞きながらぼうっとした声で聡実は呟く。寝ぼけているのか、そんな素っ頓狂で可愛いことを言うからついおかしくなる。
「せやんな。クーラーさんがんばって部屋冷やそしてくれてるわ」
聡実の額にはりついた前髪を手の平でかきあげた。
「聡実くん汗だくやな」
「狂児さんもやん。桜が水浸しやわ」
そう言ってまた胸元の刺青に頬をぴったりとつけた。それから確かめるように背中に腕を回しぺちぺちと叩く。
「鶴もびしゃびしゃや」
「暑いもん。そら鶴もかなわんわ。水浴びせんと」
聡実は目を何度かしばたかせてからこちらを見上げた。
「狂児さんて、ようこの時期に長袖着てられますね」
それから「隠さなあかんのはわかるけど」と続けた。
「そら暑いんは暑いけど、慣れかなあ。日焼けはせえへんからええよ」
「狂児さんそんなん気にしてはるの。意外」
「日焼けすると老化早まんねんて、店の嬢がよう言いよってな。老けるのなん絶対いやや〜言うてみーんな長袖着て日傘さして武装してんのよ。聡実くんとお付き合いさしてもろてるから俺も老けたないやん」
「べつに、そんなん僕気にしいへんけど」
「おじさんでもええのん」
「狂児さんおじさんなってもかっこええやろし、べつに」
俯き、胸に額をくっつけた聡実の首筋を汗の玉が伝い、綺麗に浮き出た鎖骨にたまっていく。そこをぺろりと舐めた。
「しょっぱ」
「え、ちょ、なに?舐めんで」
「ん〜?塩分補給しとこ思て」
「そんなん僕でせんで。ご飯からとって」
「聡実くんうまそやな〜」
「人んこと食べもん扱いすな。あ、もう、言うてるそばから、このひと、」
かぷ、と鎖骨に甘く歯を立てわざとちゅうちゅう音をたててすすった。肌と汗の匂い、それから塩辛い味が口の中に広がる。
「あー、いただきます言わなあかんかったな。お行儀悪かったわ」
「そういう問題ちゃうねんて、ん、あ」
続けて鎖骨から胸に舌を這わせ、乳首をべろりとねぶる。色付いた小さな可愛らしい突起を舌の上で転がすと髪に指を差し込まれ、甘い息遣いが頭の上から降ってくる。
カーテンに遮られた朝の明かりの中で昨晩のあとをひとつひとつ確認する。首筋に歯型つけてもうた。これは内緒にしとこ。
乳首をまんべんなくねぶり終えるととろりと溶けた目と目が合う。ああ、やっぱり綺麗やな。頬を両手て包み込むとちゅ、と口づけた。
「聡実くんあとで一緒に水浴びしよ」
「水浴びて」
「水浴びしてー、飯食お。外食いに行く?何食べたい〜」
「…おいしいもん」
「ざっくりしとるね。和洋中どれがええん」
「中」
「はーい」
ぎゅうと抱きつく。
「うん?」
「ご飯、まだもっとあとでええ。水浴びんのも、」
腹に硬く立ちあがった聡実のものが当たる。丸い尻を両手で掴み、撫でた。
「せやな」
緩く笑うと聡実は眉間に皺を寄せ睨みつけた。
「昨日あんなにしたんに、あかん。こんなん狂児のせいや」
「せやね」
「狂児すぐ舐めよるし」
「聡実くんおいしそうやもん。我慢できひんのよ」
くに、と尖った乳首を指先でこねると聡実は「ふ、」とまた息を吐く。
「聡実くん乳首敏感なったなあ。最初くすぐったがってるだけやったのに」
「狂児がしつこくいじりよるから、」
「聡実くん食べたなんねんもん」
「やから、食べ物扱いせんで」
小さな口を真一文字に引き、むすと不機嫌な顔をした。
「やっぱり、今日は出かけへんでええ。狂児ご飯作って。外出たない。暑いし」
「ほなずっとお家いよな」
部屋の温度が下がっていくと同時に湿っていた肌がさらさらと乾き始めた。隙間のないほど密着していた肌がゆっくりと離れていくと、快適さとは裏腹に離れ難くて名残惜しい気持ちになる。
抱きしめると細い腕がまた首に絡まった。
冷蔵庫んなか、なにがあったかな、冷やし中華の麺買っといたはずやけど、とかシーツ洗うんも布団干すんも明日でええな、なんて考えながら熱を帯びた細い体を組み敷くと、赤く染まった耳たぶをねぶった。
※ ※ ※
クーラーですっかり冷えた部屋だけど、絡まりあって、何度か繋がれば結局また二人で汗だくになる。喉も乾いた。朝っぱらから何やっとんのやろ、とは思わないでもないけど、朝っぱらからこういうことが出来る日は結構貴重だからしょうがない。
深く息を吸い込むと背中から抱きしめていた手のひらが胸を何度か上下にさすった。首を動かし後ろを振り返る。
「きょうじ、」
「うん?」
「アイス食べたい」
「はーい、ちょい待っとってな」
心得た、という感じで狂児は体を離し軽やかに立ち上がると冷蔵庫に向かった。
ばん、と音を立ててあけると「あ〜涼し〜」と狂児は冷凍庫に顔を突っ込む。
「聡実くんスイカバーとチューペットどっちがええのん。あ、スーパーカップもあるわ」
「チューペット。半分こしよ」
「はあい」
機嫌よく返事すると狂児はピンク色の棒アイスを一本手にとった。
昔から夏になると実家の冷凍庫に常備されていて、よく食べてたやつ。今でもスーパーで見かけるとつい買ってしまう。安いし。
布団に戻ってきた狂児が手にしたアイスを折る。めき、と軋んだ音がして半分になるけどビニールが千切れずにつながったまま。左右に引っ張るとすぐに二本に分かれた。僕がやると捻ったり引いたりしないとなかなか千切れない。
「力技やな」
「ほい聡実くん」
そういって綺麗な断面の方を僕によこした。そういうことを狂児は当たり前みたいにする。
「ありがと」
体を起こし座って狂児の肩にもたれた。掴んだ手のひらが冷たくなる。切り口を咥えると舌の先にひんやりした感触が気持ちいい。揉みながら前歯でしごくとシャーベット状のアイスが口の中で溶けた。
「おいし」
「久しぶりに食うたわ。20年ぶりくらい」
「そんなに?」
「子どもん頃はよう食うてたけどなあ」
並んでちゅうちゅう吸ってると、ふたりとも子どもになったみたいでちょっと変な感じがする。
しばらく黙って食べていると、肩にもたれている方の片手で頭をさわさわと撫でられる。狂児を見るともう殆ど食べ終わってて底の方に残っていたアイスをちゅぱ、と音を立てて吸い上げた。ぺたんこになったビニールを口に咥えたままの、すっかり赤くなった狂児の唇を眺めていたらせっかく冷えてきた体がまたすこし、熱くなる気がした。
「狂児」
「うん?」
「これ、食べたらもっかいしたい」
そう言うと狂児の頬がゆるーっとわかりやすく緩む。そして口に咥えていた袋を掴み、ぽい、とごみ箱にほかった。
「聡実くん元気でええねえ。嬉し」
「狂児さんはもう無理なん。無理ならええけど。おじさんやし」
「おじさんも元気ですぅ」
「狂児さん元気でええね。嬉し」
「あ、聡実くん真似っこやん〜」
ひんやり冷えた狂児の赤い唇が頬にあたる。
「口冷た」
「えー?気持ちええやろ」
ちゅ、ちゅ、とそのまま首筋にも唇が当たる。
「あ、もう、まだ僕食べとるやろ。あとで言うたやん。せっかち」
「聡実くんの口うまそな色してるの見てたらムラムラしてきてん」
「正直すぎやろ、ん」
唇を重ねる。冷た、と思うのは一瞬で同じ味の舌が重なる。何味かよくわからない、甘い味。
「聡実くん昼冷やし中華でええ?材料揃っとったわ」
「ん、ええよ」
昼っていうかおやつくらいになってまうんやないかな、まあええか。
食べ終わり、透明になった細いビニールの袋を狂児が片手で掴みとると、きれいな線を描いてごみ箱に消えていくのが視界の端に見えた。