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    煉獄の弟と兄

    列車後の千寿郎くんと、兄の話しです。

    #煉獄杏寿郎
    Kyojuro Rengoku
    #煉獄千寿郎
    purgatoryChijuro.

    兄が殉職した。その職責を果たさんとする、立派な最期だと聞いた。
     兄の傍に仕えていた鎹鴉が訃報の知らせを届けに来たのは、太陽が真上に上る清々しく晴れた日だった。鴉が何と言ったのか、私は何と答えたのかは記憶から抜け落ちているが、よく乾いた地に、私の落とす雫が染み入っていく光景をはっきりと覚えている。
     元より炎柱として激務を熟していた兄は留守が多かった。それでも、休暇があれば父と私の様子を見に立ち寄ってくれ、長期の任務の際は鴉を介して文を届けてくれた。我が家は父子三人の家族なのだと、その絆を固く結んでくれた兄が亡くなって、本当に父と二人だけになった。二人きりになった屋敷は、訃報の知らせを合図に慌ただしく、様々な人が出入りした。唯一の兄弟を亡くし、暗澹とした心地に浸る暇も、ひとりさめざめと泣く間もないほどに。まるで、濁流に飲まれ息をするのもままならないように、息が詰まるような苦しさのまま、気が付いたら葬儀が厳かに執り行われ、そして兄の体は炎へと還っていった。

      恙無く葬儀が終わり、私の預かり知らない事務的なやり取りは全て父が請け負ってくれた。母を亡くしてから憔悴しきった父が、兄の訃報を受け止められるか一抹の不安があったものの、私の想像する不安など何の事でもないように、大人同士で難しい話しを交わし、そして再び屋敷から誰もいなくなった。
     流るるまま身を任せた葬儀も終わり、母の写真の隣に、真新しい写真立てを並べる。二人分の水を供えて、呼吸を整え、手を合わせる。幼いころ、毎朝仏壇に手を合わせては、母上が帰ってこないと泣く私に、母上は炎に還ったのだと、心の炎を絶やさなければ何時でもそこに母は居るのだ、と優しく慰めてくれた兄の姿が今も目の前にあるように思い出される。今の私は当時の兄よりも歳を重ねているが、同じように出来る自信はない。本当に心からやさしく、強いひとだった。その兄もまた、母と同じ炎へと還ったのだ。

    「昼間だというのに、父上が居ない。どうしてだろう?」
    「父上は夜半に鬼殺へ出掛けられるんだ。だから、昼間は俺に稽古を付けてくれる約束なのに。」
    「母上も居なかった。お医者の所へいったのだろうか。」
    「ねえ、何か知っている?ねえ、ねえ。」
     ──兄は死んだのだ。だから、私の袖を引く"この子"は、兄ではない。

    *

     この子が私の前に現われたのは、葬儀を終えたばかりの晩のことだった。風の音が聞こえるほどに静寂が漂う、静かな夜だ。線香の匂いが染みついてしまった喪服を漸く脱いで、湯浴みを済ませる。夜月を見上げる時、いつも兄の身を案じていたが、もう思いを馳せる先がないのだと気が付いて煌々と浮かぶ月が滲んで揺れた。急に心細くなって、月明りから逃げるように襖を開くと、私の文机の前にただぽつんと子どもが立っていた。
     煉獄家に伝わる観篝の儀によって継承される、大篝火を映したような特徴的な髪色は、一族の他に見たことはない。突然現れた子どもの姿に、不思議と怖ろしさはなく、名前を訊ねると煉獄杏寿郎、と返ってきた。

     煉獄杏寿郎、そう名乗る子どもは齢にして五歳ほど。立ち居振る舞いは年相応だが、口を開くと舌っ足らずに言葉を紡ぐ様子は、もしかしたもう少し幼いかもしれない。兄と同じ名をした音もなく現われた子どもを、心細い月夜の外に追い出す気にはなれず、その晩は私の布団に招いて共寝をした。抱き締めた体は、私の腕の中でもすっぽりと納まるほどに小さく、私よりも少しだけ呼吸が早かった。小さな身体いっぱいに息を吸い込むとゆっくりと胸が膨らみ、直ぐに静かに息が吐かれて萎んでいく。この子が一体何なのか考える気力も失う程に憔悴していた筈が、規則正しく繰り返される呼吸と、自分よりも高い体温にまるで自分の方が抱かれているような心地を覚えて眠りに就いた。

    *

     葬儀の晩に突然現れた子どもは、目覚めると温もりだけを残して消えていた。
     夢現に見た幻なのだろうとやり過ごすことに決めた矢先、屋敷の中で一人になると何処からともなく私の前に現われるようになった。
     食事を済ませて、部屋に戻ると書架から持ち出した本を読んでいたり、掃除を済ませて道具を物置きに仕舞うと庭先で鳥を追い掛けていたり、部屋で一人泣き伏せってしまった時は目が覚めると私の周りに沢山の花が散らばっていたこともあった。ふっと息を吐くと、陽が差し込むように、暖かな存在として目の前に現れるのだった。

    「せんじゅろう、父上はまだ戻らないのかな。」
    「父に会いたいですか。」
    「会いたい!稽古の約束をしているんだ。」
    「…稽古は、好きですか?剣士になるというのは、大変なことでしょう。」
    「せんじゅろうは稽古が辛いのか?」

     不意に現れては、人懐こく駆け寄ってきて千寿郎、千寿郎と私の名前を呼ぶ。溌剌とした性格で、歩くよりも走ったほうが早いと言って聞かず、未成熟で覚束ない足取りで足踏みをするような駆け足を見せ付けてくる。無垢で無邪気そのものの姿を見ると、昼も、夜も、まるで灯火に照らされたような心地になって、一人ぽっちであると感じるいとまをくれやしなかった。

    「俺と一緒に父上に鍛えてもらうといい。大変なことなんて何一つないぞ!」
    「僕は、……そうですね。一緒に習いましょうか。」
    「それがいい!何も心配はいらない、父上はとっても優しいんだ。」
    「そうですか、それは安心だ。」

     初めて見る、無垢な姿の兄が目の前に在る。兄の名を名乗るこの子どもは、きっと死別を受け止められない私が創り出した幻なのだろう。立派にその責を果たし逝去した兄を、尊ぶことも出来ない未熟な心根であるばかりに、こうして尊厳を踏み付けにしてしまっているのではないかと、自責の念が膨らむなか、人の気も知らないで私が創り出した兄が無邪気に膝の上に乗る。私よりもずっと軽く、野良猫を抱いたときよりもずっと温かい、確かに質量を持って私の膝の上に座っていた。

    *

     小さな兄と過ごす、何度目かの夜だった。その日は風が強く、何処からか吹き込んできた隙間風が灯りの火を揺らし、小さな灯火をゆらゆらと揺らしていた。まだ陽が残っているうちは、風に揺れる木々や逃げるように飛ぶ野鳥を見上げて楽し気に目を瞬かせていたが、陽が落ちきり暗くなってからも続く風鳴りに不安を隠せずぴったりと身体を寄せてくる。言葉にこそ出さないものの、自然の驚異を前に強張った体を肌触りの良い肌掛けで包む。そのまま一緒に布団に潜り体温を分け合って、小さな体の呼吸に合わせて柔らかなくせっ毛を撫でる。これは、私が泣き止まない夜に兄がしてくれた慰め方だった。自分の呼吸と、兄の手が同じ動きをすると、自然と心が落ち着いて茫洋とした微睡みに身を任せられた。

    「母上のお腹の中には、赤ん坊がいるんだ。」

     小さな頭を撫でて眠りに就くのを待っていると、突如、小さな兄はそう言った。この子が煉獄杏寿郎だというのなら、その母親の腹の中にいるのは、弟である私のことを指している。

    「…兄弟が増えるんですね。」
    「そうだ。だから、母上は夜に大篝火の前に行かなくてはならないし、父上もなんだか落ち着かない。」
    「弟…、家族が増えることは、嫌ですか。」
    「…わからない。」

     私には、生まれた時から優しく、そして強い、尊敬する兄がいた。私は生まれた時から弟であったが、兄はそうではないのだ。私が生まれたから、その時初めて兄になったのだ。そんな当たり前のことを、思い知らされた。
     丸い頭を撫でながら、指先からどんどん血の気が引けていくのが分る。兄が、弟の誕生を望んでいなかったら、母と父の寵愛を一身に受けていたのに、兄弟が増えることでそれが叶わなくなる。弟の存在を疎ましいと思っても可笑しくないかもしれない。たとえこれが、私の想像が創り出した偽物の兄だと理解していても、そんな事を言われたらと思うだけで、今この場所から逃げ出したくなる。

    「…せんじゅろう。」
    「さみしいんだ、母上はお医者に行っていて、父上もお忙しい。」
    「俺だけが家に居る。…弟がいたら、さみしくなくなるかなぁ?」
     どうおもう?と消え入りそうな声で尋ねる小さな兄上が、今にも泣き出しそうで、この小さな体の中に巣食う嵐に、あふれ出そうになる不安を堪えているようだった。きっと、今の自分も同じような顔をしているのだと分かって、私の表情が兄にも伝染したらいいなと願い、不格好な笑顔を向けた。
     私の願いは届かずに、腕の中にすっぽりと納まるほどの小さな兄の肩が震えている。生前、一度も見る事のなかった兄の涙を見てしまってはいけないと思って、その体を強く、強く抱き締めた。じんわりと袖に湿った温かさが広がり、それから冷えていく感触が、これが現実であると錯覚させる。

    *

     嵐の夜に胸に抱いた小さな温もりは、ある日を境にぱったりと居なくなった。
     兄の部下である隊士様へ、炎刀の鍔を形見分けした日のことだ。父と隊士様の少しの諍いと、私が剣士の道を諦める決心をした、その晩のことだった。
     いつも通り湯浴みを済ませ、部屋に戻る。月明りが長い廊下を照らしていて、いつもは兄の身を案じる事しか出来なかったが、この宵闇で身命を賭す全ての隊士の無事を願った。
     穏やかな夜風が吹き抜けていき、自室の前に立った時、襖を開く前から気が付いた。燃えるように苛烈でありながら、何処までもあたたかい、兄の気配がある。きっと、今夜が最後になるのだろうと、なぜか、自然と理解が出来た。

     文机の前に、兄の姿がある。よく見知った、兄の姿だ。引き裂かれ、書としての体をなしていない歴代炎柱の書を慈しむように、労るように撫でている。最後に見た時はもう、冷たく眠っていた兄が、そこに立っている。炎の意匠が施された羽織りが風もない筈なのにはためいて、まるで本当に燃えているようだった。
     書へ伏せられていた顔がゆっくりと持ち上げられる、長い髪が揺らめく。室内灯でもぼやける事のない、炎を携えた瞳が真っ直ぐに私を捉え、静かに息を吸う。兄の、最後の言葉になると思うと、息をするのも瞬きをするのも忘れて、声を待つ。

    「千寿郎。」
    「はい、兄上。」
    「お前が剣を振るわなくてもいい時代が、すぐそこへ来ている。」
    「はい。」
    「俺は、炎柱の継承が途絶える事を、その兆しだと信じている。」
    「僕も、そう信じます。」

    「それでは、先にいく。」
    「行ってらっしゃいませ、兄上。」

     そう言って、兄は炎へ還った。
     いつか僕も、僕の子も、その先もずっと還り逝く煉獄の炎へ。
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