猗窩煉ワンドロ第40回「タトゥー」「おでこ」「喜」 獅子の鬣を思わせる髪を掻き上げる男の所作を見る。安ホテルの中でも、目の前の男だけはいつも悠然とその美しさを纏っていた。
「顔には」
「はい?」
「君、顔には落書きしないのか」
「そこまでイロモノじゃない」
「似合うぞ、きっと」
「生きずらいだろ、流石に」
この美丈夫は本当に突拍子もないことばかりだ。
開口一番に初対面の自分に対しての嫌悪を吐いたと思えば、その日の晩には意気投合し、体の相性も確かめた。
一戦交えたばかりの今も、乾ききった喉すらそのまま、肌に浮かんだ汗も、汚れたままの体も気に留めないといった様子で片肘をつき、息が整うのを待つ俺を見下ろしながら無遠慮に顔中を撫でまわしている。
前髪の生え際を擽るように撫でられ、うっすらと汗ばんだ肌を知られることに何とも言えない羞恥を覚えた。
男の人差し指が額の中心を通って、そのまま鼻の先まで一筆書きで輪郭線を描くように辿っていく。
くすぐるような繊細な触り方とは裏腹に、武人のような手だ、と思った。師範代であった育ての親のそれと、この男の手は似ている。几帳面に短く切られた爪、手のひらの皮が厚く、自分の肌よりもずっと温かかい。―これを口に出してしまうと、もう二度と勃たなくなりそうなので胸に秘している。
「俺の顔をおもちゃにするな」
「俺の身体をおもちゃにしているのに」
「していない」
「そうかな」
「おもちゃは大事にするたちなんでな」
「じゃあ、おもちゃにしているじゃないか」
眉の上、少しだけ出っ張った頭蓋を撫でながら言葉遊びのような戯れを繰り返す。
夜が深まる頃合い、日本語の意味を捏ねまわして、上げ足取りの対話をするのが、こいつの好みのようだった。色気のないピロートークだと思う反面、どういう訳か、こうしてこの声を聞いて、好き勝手答えることは心地がいい。
額から眉へおろされた指先が、半円を描いて薄い皮膚、まぶたの上を素通りしていく。睫毛に触れる直前、咄嗟に目を閉じてしまう。半分だけの視界で見上げる男は、変わらぬ美しさを保ったままだった。
「たのしそうだな」
「たのしいわけでもないが」
労いのつもりで撫でているのかと思いを巡らせる。
再び眉上に戻る指先が、繰り返し瞼を通って半円を描いて肌理を撫でていく。指先が目の上を通るときに、まばたきが堪えられず、一瞬の暗闇の隙に目の前の男の姿が宵闇に浮かぶ。
「うれしいんだ」
「ふうん」
色を差していない肌に、今はない線を描いているのだと理解して、狂っていた歯車がカタリと動き出す音がした。