猗窩煉ワンドロ「注射」「ネクタイ」「至高の領域」 潮風の香る町。
日光から逃げるように閉ざされたカーテンの向こう側、錆び付いた転落防止柵が覗き見える。隙間から射す明かりに顔をしかめた青年が、苛立ちをぶつけるようにカーテンを引く。「壊れるぞ」と嗜めるような声に返事はしない。
「縛ったほうがいいんじゃないか?」
「そうか?誰もそんな事していないぞ」
「病院でゴムバンドみたいなのされるだろう」
「医者にかかったことがないな」
「そうか、君はゴリラだったな」
室内灯を付けても、外の明るさに負けてしまって薄暗い。
テーブルに並べられる細々とした小物のひとつひとつが、どれも彼らの所得を吸い取って、貪っているというのに、宝のように扱おうという気配はない。
空気よりも重たい紫煙が二人の顔の近くに漂って、軽口の度に呼吸の軌跡を知らせるようにして右へ左へと揺れ、散って、空気の中へ溶けていく。
「ネクタイ」
「は?」
「ネクタイで縛れるんじゃないか」
「なるほど!」
「ほら、さっさとしろ」
「君は賢いな」
「こんな賢い男を掴まえて、ゴリラだなんだとほざいていたな」
「優秀なゴリラだ」
「はいはい」
咥えた煙草を灰皿代わりの食器へ押し付け、視線の先にある草臥れたスーツへ這って向かう。ポケットから皺の付いたネクタイを取り出すと、満足そうに笑い合った。
・・・
「どうだ?」
「どうもこうも…」
「……おい」
「ははっ、杏寿郎!手が利くうちにお前にもやってやる」
「そうしてくれ、縛れるか?」
「無理かもな、自分で出来るか」
「君はいつも自分勝手だ!」
「そういうな、これは随分と気分がいいぞ」
「飛ぶ前にさっさと打ってくれ」
「お前もこの至高の領域に連れてってやろう」
「至高の領域ね」
体の中に、異質なものを足し合う。
血管を通って、冷たさが駆け巡るのは思い込みからくるイメージだろう。何度か瞬きを繰り返し、細かな血管まで意識を巡らせて効果を待つ。細やかなイメージが霞みがかって、みるみる頭の回転が鈍っていくのが分かる。
レールを擦って、勢いよく閉ざされるカーテンのイメージ。隙間から射しこむ日光が、さっきまで責め立ていたというのに、包み込むように温かい。
部屋に漂う埃がきらきらと煌めいて、世界が祝福に満ちて見える。
「あはは、なるほどな」
「これは地獄だ」
「天国だろう」