登頂に旗を 高校二年の夏休みが終わってしばらくしたある日曜だった。
三井サンにどうしても読みたい月刊バスケのバックナンバーがあると言われて、「持ってくるの面倒だし、ウチで読みます?」と誘った。
練習は午前中で終わって、その足でウチに向かった。日曜の昼間は母親や妹が家にいないことが多い。飯もいつも適当に済ませているが、せっかく三井サンが来てくれているのだからそうはいかない。
「昼飯どっかで食っていきません?」
そう提案したのはいいが、財布には大した金額が入っていなかった。激安ラーメンくらいなら何とかなるけど、その程度じゃ部活後の腹は全く満たされない。
オレの財布事情を察してくれたのか、三井サンが「スーパーで何か買って済ませよーぜ」と提案してくれた。
スーパーに着いて、すぐに総菜コーナーに向かった。食いたいものを適当にかごに入れたら揚げ物ばっかりになっていた。美味いものはだいたい茶色いから仕方ない。
家に帰ると、いつもならいないのはずの妹のアンナがなぜかいた。
「リョーちゃんおかえり! あれ、お客さん?」
「え⁉ お前出かけるんじゃなかったのか?」
「友達の家に遊びに行くつもりだったんだけど、その友達が風邪ひいちゃったんだよ」
そんなやり取りをしていると、三井サンが横から入ってきて、こんにちはとアンナにあいさつした。
「アンナ、飯は?」
「リョーちゃん帰ってきてから一緒に食べようと思って。ご飯はいっぱい炊いておいたからお客さんの分もあるけど、おかずはどうしよう?」
「おかずは買ってきてあるから大丈夫だぜ」
初対面にもかかわらず遠慮なくアンナに話しかける三井サンに軽く驚いたけれど、オレが初めて会ったときもこんな感じだったと思い直した。アンナも人見知りをしないのですぐに三井サンに心を許して、「やったー」と無邪気に喜ぶ。
「これふたりで食べるつもりだったんでしょ? 私も食べたら減っちゃうよ?」
「でもアンナがいなかったらオレたちは米が食えなかったからな」
もうアンナ呼びする三井サンの距離のつめ方には驚いた。アンナは気にするどころかすっかり懐いて嬉しそうに笑う。
「ていうか、リョーちゃん。野菜がないじゃん!」
「別にいいだろ」
「ダメだよ。全国大会出場校のキャプテンなんだから!」
つい最近テレビでどこかの全寮制の高校の寮母さんを取り上げたドキュメンタリーがあって、それを家族で観ていた。その高校はインターハイ常連校で、強さの秘訣は食事にあるといった流れで寮母さんが調理している様子が映されていた。寮母さんの「食べたものがすべて彼らの体を作り上げるから、栄養には一段と気遣います」という言葉に母ちゃんとアンナはすっかり感銘を受けて、それ以来、母ちゃんはバランスのいい食事の本を買ってくるし、コーラやお菓子を食っているとアンナが取り上げてくるようになってしまった。
母ちゃんがいない分、私が目を光らせなきゃと勇んでいるのかもしれないけれど、三井サンのいる手前、ちょっと恥ずかしいからやめてほしい。オレのことを考えてくれているのはありがたいんだけど。
「野菜もだけど、言われた通り三人で分けるにはちょっと足りないかもなあ。もっかいスーパー行くか?」
「いや、待って。その前にちょっと冷蔵庫漁るっす」
冷蔵庫を開けると卵やウインナー、ブロッコリーとミニトマトがあった。冷凍庫の方も見てみると弁当用の小さいハンバーグとカップに入ったパスタもある。
「おっ、いろいろあんじゃねーか。これにオレたちが買ってきたトンカツとカラアゲか。うん。なんとかなんじゃねえの。なあ、でかめ皿を三枚出せるか? それからケチャップも欲しいな」
三井サンに言われて、カレーを食べるときとかに使う家で一番大きい皿を三枚出すと、三井サンは炊飯器から釜ごと取り出して、釜の中にケチャップをかけた。
「ケチャップを混ぜて、それを茶碗に入れて、皿の上にひっくり返す。その横におかずとか野菜も盛り付けて――」
「あ! これってお子様ランチ?」
興奮気味にアンナが訊くと、三井サンはにっこり笑った。
「惜しいな。大人のお子様ランチだ。子どもが食うには量が多いだろ?」
これで完成かと思いきや、三井サンはおもむろに鞄からノートを取り出して一ページ破り取った。つまようじとセロハンテープを使って旗らしいものを作り上げる。不格好だけどそれっぽい。
「すごーい! 旗だ、旗だ! ねえ、せっかくだから旗に絵描きたい!」
「おう。いいじゃねえか。アンナに任せたぜ」
三井サンに任されて、アンナは意気揚々と旗に何か書き始めた。自分の旗には花の絵を。オレの旗には星のマークが七つ書かれてある。三井サンの旗にはバスケットボールが描かれていた。
「完成!」
「いいセンスしてるじゃねーか」
「へへへ。じゃあこの旗を――」
旗をケチャップライスの山のてっぺんに刺して、アンナはパチパチと手を叩いて喜んだ。
「豪華だねえ、リョーちゃん」
「おう。それにすげえ美味そう」
オレの隣の席に三井サンが座って、三人でテーブルを囲んで食べ始めた。アンナはうれしそうに何度も美味しいねと言って食べている。
お子様ランチを食べるのは初めてだった。
「三井サンって子どもの時にお子様ランチ食べてた人?」
「おう。つっても、小せえの話だぜ?」
「アンナとオレは食ったことなかったんすよね、実は」
子どものころ住んでいたところにはファミレスとかお子様ランチが食べられる店が近くになかった。こっちに越してきたころにはオレもアンナも食べる歳でもなかったし。
「まさか今になって食べることになるなんて」
「よかったねー、リョーちゃん」
「お前もな」
アンナの頭をぐりぐりと撫でると、髪が乱れると怒られた。
夏休みにソーちゃんとアンナと三人で昼飯の素麺を食べながら見ていたアニメに出てきたキャラクターが、お子様ランチを美味しそうに食べていた。アメリカの国旗の旗が飾られたチキンライス、ハンバーグとかエビフライとか好きなものがいっぱい皿に乗せてあって、この世で一番美味しいものに見えた。
素麺にも飽きていたせいか、三人ともお子様ランチに夢中になっていて、いつか食べようと話していたことを思い出す。
テーブルの端にあるソーちゃんの写真をちらりと見た。写真の中のソーちゃんがちょっとうらやましそうにしているように見えた。
「宮城ん家、家族写真をテーブルに飾るんだな」
「え? あ、うん」
「仲いい家族なんだな」
「うん。そうなの」
オレより先にアンナが嬉しそうに返事した。
* * *
久々のオフで、昨晩から三井サンが泊りに来ている。久々だったから、遠慮なくあの人の体をむさぼり、気付いたら三井サンは意識を飛ばしていた。
それでも三井サンは朝はいつも通りの時間に起きて、ジョギングも済ませてきたらしい。オレはこのところの疲れが来ていたらしく、もうすぐ昼になるのにまだベッドから出たくない。
「おい。いつまで寝てんだ?」
呆れた顔をしてベッドに近づいてきた。仕方なくゆっくり起き上がってベッドから出ようとすると、三井サンが近くにあった服を投げてきた。
「まだそんなカッコしてたのかよ」
明らかに目線を逸らしている。もう何度もセックスしているのに、まだこんな反応するのかよと最初は思ったが違う。きっと昨日のことを思い出してこんな態度を取るのだろう。
「飯、食わねえのか?」
「え、作ってくれたんすか?」
「お前が全然起きねえからな」
「え、食べる食べる」
慌てて服を着てリビングに向かうとダイニングテーブルに懐かしい料理が置かれていた。
「大人のお子様ランチだ」
「お前好きだろ?」
急いで椅子について、スマホを構えて写真を撮る。SNSでアンナに画像を送ると、怒った顔のウサギのキャラクターのスタンプと一緒に『リョーちゃんずるい』と返ってきた。
「ははっ。アンナがすげえ食べたがってる」
「今度来たら作ってやるって言っといて」
チキンライスに刺さった旗を抜く。昔よりも上手に作られた旗には三井サンの手によって書かれた七つの星が瞬いている。