3.ルームシェアとは言いがたい 共に暮らそう、そう思ったきっかけはお互いの時間がなかなか擦り合わないためだった。だからたとえば、夜共に眠るだとか、言葉を交わせなくても日々の生活の中に相手の存在を感じられるような、そんな時間があればあの頃よりずっと近づいていられる。そうおもって始めた暮らしだったはずだ。
「心配—— は、無用なんだろうけど、さ」
寂しいなんて、柄じゃないだろう。そう自分を誤魔化すように弱気な気持ちをコーヒーで流し込む。最後に顔を合わせたのはいつだったろうか。ここ最近の〝スマイル・カンパニー〟は景気がいいのか、ドフラミンゴは常に忙しそうにしていた。年末が近い、というのもあるだろう。かくいうおれも、こういった時期は犯罪率が高くなるせいでいつもよりずっと忙しくしなければならなかった。現場に出ていた頃に比べればきっとマシなんだろうが、それでも管理者としてすべきことは多く、体を動かすことさえできずデスクに縛り付けられるのはなかなかに堪える。信頼してくれるガープさんやゼファーせんせいの顔を潰さないためにも、最低限は真面目に仕事をこなしておく必要もあるが、それでも座り仕事はやっぱり性に合わない。ドフラミンゴはその点恐ろしいほど真面目で、几帳面だ。昔からそうだったのだろう。聞いた話、あの男は国を乗っ取り、海軍に隠れ悪どい商売をわんさとやり放題していたようだが、ドレスローザはそれでも〝表向き〟平和で、国政のうまく成り立った国だった。その上で、元・四皇であるカイドウを相手取り、様々な闇市場に武器や戦争の火種、情報、果ては悪魔の実を次々と仕入れ、それを非常にうまく売り捌き、活用していたのだ。それはそんじょそこらの悪党が見様見真似でできる芸当ではない。面倒な取引や営業もあるだろうそれを、ドンキホーテ・ファミリーの幹部がどこまで関与していたがわからないがドフラミンゴほぼ一人の知恵と手腕が生んだものだと言うのだから、元々相当頭のいい男なのだ。そしていっそ〝異常〟と称するに相応しいほどの根気と、集中力まで持ち合わせている。目的のために一切の妥協を許さず、自分を殺してまで成し遂げようとする執着。ひとえに〝家族を守り、害となる世界を破壊する〟というそのためだけに行われた悪行と、副産的に発生した偉業の数々。かつてよりはるかに蛮行の減ったこの世界で再びドフラミンゴが〝ファミリー〟と巡り会えたのは、彼の生い立ち——詳しく聞いたことはないが、孤独であったという過去——を思えば幸運だっただろう。実際、今のドフラミンゴは〝ファミリー〟に依存、までとはいかなくとも心の支えとして繊細な彼の安寧を委ねているような気がした。そのためにこうして仕事に忙殺されていることは少しばかり心配にはなるが。ファミリーのため、日々身を粉にし働くドフラミンゴだが、それが彼にとっては重要であることもまた、あの男を近くで見てきた自分にはよくわかっていた。ドフラミンゴにとって〝ファミリー〟とは〝存在意義〟だ。トレーボルをはじめ愛した家族のために尽くすことがドフラミンゴにとっての使命である。愛に理由も理屈も必要ないとは上司の言葉であり、実際〝ファミリー〟の面々はドフラミンゴの天才的手腕に恩恵を受けているという以前に、ドフラミンゴという男を認め、彼を家族として愛しているように思う。そこに利害や損得、謀りや思惑はなく、よくもまああの荒くれどもがこの時代に適応したものだと感心するほどに、彼らは家族としての愛のみを与え合っていた。それが、ドフラミンゴがかつて手にしたくとも世間が、時代が、許さなかったものだったのだろうことは一目瞭然であり、臆病で心配性で、寂しがりやで繊細なあの男が、人生一回を犠牲にして手に入れた安寧のためにできうる全てをしようとする事を、おれはいよいよ止められなかった。このワーカーホリックを、ドフラミンゴを可愛がっているディアマンテや、相棒・ヴェルゴに、兄貴のように面倒を見ているというセニョールが(ある程度までは)看過しているのも、そういうドフラミンゴの性質をわかっているからだろう。
そんなわけで、ドフラミンゴは今日も今日とて出社したようだ。月さえ眠るほどに遅く帰宅し、太陽がまだ微睡んでいる間に出社する。となれば必然、会える時間は限られてくるものだ。同じ経営者であり社長業に勤しむ大富豪で且つ、かつての〝同業〟七武海であるクロコダイルなんかはテレビや雑誌によく取り上げられているが、ドフラミンゴは何かポリシーでもあるのか彼自身がメディアに出る事はなかった。が、とはいえ人を相手にする事も多く、接待や挨拶やそういった類の仕事も多く、さらには潔癖な性格のせいでどんなに仕事が多忙極まっていようが家のシャワーを浴びにくるドフラミンゴと。一方のおれはといえば仕事が立て込めば帰宅してベッドで眠るごどころかシャワーを浴びることさえままならない事もある。同じ家にいたとして、眠る相手の顔を眺めるだけの日々が続く。思えば、この男がどんなふうに自分を呼ぶか。そんなことから消えてしまいそうな日常を予感するだ事を、自分が〝怖い〟と思うだなんて。寝つきの悪い恋人を起こしてしまいそうで、少しずつ痩せていく顎のラインのを撫でてみることさえできず手を下ろす日々。昔はおれの方がきっと、ずっと低かっただろう体温も、今じゃ随分低体温なドフラミンゴのその熱さえも。おれはどこまで正確に思い出せるだろう。別に今生の別を突きつけられたわけじゃない。ヴェルゴたちが側にいるから、ドフラミンゴが身をやつすほどのオーバーワークになることはないし、その時は前もって教えてほしいと声もかけている(彼らはおれを案外快く受け入れてくれている。まあ最も、それはおれという存在を許してくれたというよりも〝ドフラミンゴの快眠ツールが一つ増えた〟その程度なのだろうが)から、おれが死ぬ気で休みをもぎ取るつもりでいる。高校生の恋愛じゃないんだから、こんな日だってあって当然だとわかっているのに。朝、目覚めてベッドにいるのが自分だけだと気付いてゴネてしまいたくなる。ぐだぐだと広いそこで管を巻き、渋々起床したのも何度目だろうか。少しだけでも気分をマトモにしてやるために顔を洗うルーティンの中。おれが〝それ〟に気付いたのは、濡れてぼやけた視界の中——一度は立ったはずの鏡の前で、顔を上げた時だった。
——おはよう。来週末、休みになった
小さな付箋紙に並ぶ、お手本みたいに綺麗な字。その字から、アイツの声まで聞こえてくるような気がする、なんて流石に単純すぎるだろうか。それでもおれには、濡れた顔がシャツの襟ぐりをびしょ濡れにするまで眺めていられる光景だった。鏡に、付箋越しに、だらけきったおれの顔がニヤニヤと嬉しそうに弛んでいる。こんな顔で笑えたもんなのかと驚きさえあった。冷えた水滴を雑に拭い、紙を濡らさぬようしっかりと手を拭き付箋を剥がす。メモ一枚でご機嫌になるおれを、スモーカーは単純なヤツだと言うだろうし、メモ一枚捨てられないおれをボルサリーノさんは腑抜けてると笑うだろう。細いペンは、神経質なアイツらしい特徴の一つで、大した筆圧がなくともそれは紙にしっかりと刻まれる。ふと、いつも明るく清潔な洗面所の光を受けて影ができたのを見逃さなかったのは、刑事の性だろうか。
「あーらら。随分可愛いじゃないの」
透かして初めて見える文字列。きっと一枚上の付箋に書かれたであろうメッセージは、ドフラミンゴの意思の外でおれにその姿を届けていた。ともすれば消えてしまいそうなほど。偶然がなければ気付きもしなかったもの。ドフラミンゴが書いた言葉はどう言うわけか届けられずにいたはずのもの。だが見えて仕舞えば、それをなかったことにはできなかった。頬の筋肉が痺れるほど、口角がにんまりつり上がっていく。
〝会いたい〟
スキップで出社したおれの有給申請は、気味悪がったセンゴクさんにより確かに受理されたのだった。