たらふく【オル相】 オールマイトが何を言っているのか俺にはよくわからないことが、よくある。
それはこの人何言ってんだ?という現実とかけ離れた理想を語る時や目隠しして無数の針の穴に糸を通すよりも難しいことをさらりと告げた時がほとんどだったが、今日のようなパターンもあるな、と他人事のように思う。
オールマイトの口から淀みなく飛び出るのが専門用語なのか一般的な言葉なのかの区別もつかない。俺が生きて行く上で必要がないから知らないものだった。多分これからも必要ない。
だから今日も目の前でオールマイトと店員が、気が合ったみたいに俺の知らないカタカナ言葉を交わす様を俺は蚊帳の外で見守っている。参加したいとも思わない。耳を右から左へ通り過ぎるだけの念仏のように羅列されるそれは、付き合いで出席を余儀なくされた講演会の壇上の挨拶と同種のものだった。
寝てないだけ褒めてもらいたい。
それでも俺が謎の語彙を操るオールマイトを置いて立ち去れないのは、ここがテーラーで現在進行形で採寸されているのが俺だからだ。
スーツを仕立てるから君もおいでとデートの名目で半ば無理やり連れて来られ、何故かメジャーが俺の採寸を始めた時点で回れ右をするべきだった。しかしオールマイトが逃してくれるはずもない。
ならばいっそ無心になりされるがままになった方が解放は早い。そう目論んで着せ替え人形になったつもりで焦点をぼかして遠くの窓のすりガラスの模様を眺めてどのくらいの時間が経ったろうか。
「相澤くん、どっち好き?」
「あなたが俺に似合うと思う方で」
「んー、じゃあどっちも」
チーン。現実では見たこともないアニメの中のレトロなレジスターが更なる課金額の上乗せに頭の中でけたたましく鳴り響く。選ぶのが面倒だと思考を放棄するとオールマイトの財布の紐がなくなるのか、と次は節約を誓う。
オールマイトの財布がどうなろうと俺の知ったことではないが、大金を注ぎ込まれるのは尻のあたりがむずむずとして落ち着かない。聞きたくもないから聞かないが、今から仕立てられるスーツだって俺の給料で買うには何ヶ月分必要なのだろうか。
意地でも聞かないが。
よろしくお願いするよ、とオールマイトが俺を伴って店を出た時にはもう日が沈み始めていた。
「……疲れた?食事はやめて帰ろうか?」
マネキン役をやり遂げた俺がげっそりとしているのを心配そうにオールマイトは覗き込む。
「腹は減りました」
「そっか。じゃあいっぱい食べよう」
安心したように微笑んで前を向き浮かれ気分で歩くオールマイトの隣で俺は黙って腹を摩る。
風はすっかりと冬で、薄手の上着で来たことを後悔する。何も言わずに上から首に巻かれたマフラーに、無言でオールマイトを仰ぎ見た。
「風邪を引いたら困るからね」
自分の首に巻いていたものを躊躇いなく差し出して、そのセリフは俺がそっくりそのまま返したいのだが。
しかし俺は捕縛布の使い手ではあるが、悲しいことにどう足掻いたところで歩いているオールマイトの首にこんな芯のないふにゃふにゃの布は巻き返すことができない。
結局、ありがとうございますと呟いて、オールマイトの毛織物に顔の下半分を埋めて合法的に匂いを嗅ぐ。
食事を終えてオールマイトのマンションに帰ると、解いたマフラーと脱いだ上着を一緒くたに手に持つ俺にキッチンに入ったオールマイトが声を掛けた。
「そこに新しく出しといたから使って、えもんかけ」
差した指の先には、冬だから奥から引っ張り出して来たであろう黒い洒落た意匠のハンガーラックとぶら下がるハンガーが二本。
「……うちのばあさんみたいな言葉使いますね」
「えっ?」
テーラーの中では何ひとつ理解できなかった言葉とのギャップに軽く笑う。
「まあ、私オジサンだしね」
発言の意味を悟ったオールマイトは肩を竦めてそう言うと、飲むだろう?と冷蔵庫から俺のためのビールと冷えたグラスを持って来た。
「俺をたらふく食わせて酔わせてどうするつもりです?」
「どうしようか」
委ねられた賽を遊ばせ、答えあぐねて俺はハンガーラックに手を伸ばす。木製のハンガーが触れ合ってかたんかたんと軽やかな音を立てた。
真後ろから抱き込まれ、グラスより先に唇に触れた指を喰む。キスの真似事をする指をあしらって、斜め上の本物を求めた。