情熱【オル相】 盛大な拍手と共に送り出される元ナンバーワンは、壇上で向けられるスポットライトの熱さに汗ひとつ掻かず、爽やかな笑顔で手を振りながら光の中から降りた。
「お疲れ様です」
「君が見ててくれたから張り切っちゃった」
「ご冗談を」
そのまま人々の視線を集めながら、柔らかな絨毯の上を壁に沿って歩き会場を出ようとするオールマイトの斜め後ろに付き従う。
今日は断り切れなかったかつてのスポンサー様の講演で、スペシャルゲストとして短いスピーチを求められての参加だ。オールマイトとどうにかこの機会にコネを、と目をぎらつかせるご婦人方からこの人を守りながら部屋を出るまであと少し。
幸いにも要人は他にもいて、俺はオールマイトの私的SPの扱いでそのチームに参加する形になった。右耳に掛けたイヤホンからは、逐一状況が報告される。
扉は開いて、がらりと空気の変わるロビーに俺達は二人で脱出することに成功した。ドアの外には見張り役のヒーローがいて、会釈をしてその前を通り過ぎる。
オールマイトはネクタイを僅かに緩め、いやあ、あそこ暑かったねえ、と呑気に言った。
空調は効いていても人の熱気は凄まじい。遠くで微かに音楽の流れるロビーで火照った肌を本来の温度であろうひんやりとした空気が撫でていく。
「さて。これから──」
少なくとも時刻は夜だ。俺はオールマイトの細身に良く似合う黒いスーツの右ポケットに言葉を遮るように左手を突っ込んだ。
「ん?」
俺が何かを入れたのだ、と気づいたオールマイトは同じポケットに手を入れて中の感触に瞬きしてこちらを見た。
「安い誘いがお好きでしょう。今夜は俺のお膳立てに乗ってください」
多分オールマイトは寮に帰るつもりがない。
俺の知らないところでこのホテルの最上階に近いお高い部屋を勝手に予約して、オールマイトが設えた値段も聞きたくないスーツを着た俺をお持ち帰りする算段だったはずだ。別にそれでも構わない。どこに行こうが行き着く先はひとつなのだから。
ただ毎回同じ流れに持ち込まれるのはなんとなく嫌だったし、それよりも今夜俺の胸に刻まれた感情が衝動的にそうさせた。
オールマイトがポケットから出した右手には、折り畳まれたメモがひとつ。長い指先が紙の折り目に差し込まれ、開いたメモの真ん中に書かれた四桁の数字が何かわからないほどこの人は馬鹿じゃない。
「オーケー。待ってる」
俺の意図をどこまで汲んだかわからないが、オールマイトはそれだけ言うとちょうど行き着いたエレベーターの前で上のボタンを押した。直ぐに開いた扉の中には誰もいない。さっきの退場時みたいにひらりと、乗り込まない俺に手を振ってオールマイトは重力に逆らってホテルの中ほどまで連れて行かれる。
ポケットには、メモとカードキーを入れたから。
俺はそのままSPの詰所に向かいインカムを返す。オールマイトはここに泊まるのかなどと余計なことを聞いてこないので助かった。パーティーはその後つつがなく続いてそろそろ終わる頃らしい。
問題がなさそうなら深入りせずに頭を下げて詰所を出る。宿泊者用のエレベーターを待って乗り込み、階数のボタンを押した。
何も悪いことはしていないのに、いけないことをしているような感覚に襲われてエレベーターの窓を眺める。夜景の前に不貞腐れた顔をした三十路の男が映っていた。
長いこと触れ合っていなかった。
お互いに今夜のパーティーの講演とSP役の話が出た時から、口にしないだけで「そう」なる流れだとわかっていた。期待もしていた。
オールマイトを驚かせたかったとか鼻を明かしたかったとか、そういう気持ちではなくて。何も言われない分不安に駆られたとかでもなくて。
昼過ぎに、行こうか相澤くん、と身形を整えたオールマイトを見た瞬間にただどうしようもなくこの人が欲しいと思った。
きっとそれは向こうも同じで、ネクタイが曲がってるよと俺の首元に手を差し入れながら近付いたその目が語っていた。
今夜君を抱くよ、と。
恥ずかしいが嬉しい。恋人に求められるのは。
だからこそ、俺だっていつもは受け身ばかりだけれど、こんなにもあなたを欲しているのだと些細な形でも見せたかったのかもしれない。いつも圧倒されてばかりの俺が一矢報いるなんて意味のないことを。
だからSP受付のついでに一泊でひと部屋を予約した。オールマイトが慣れた仕草で俺をスイートに誘う前にその部屋に連れ込んでみたかった。
何もかもをあの人に払わせている負い目がなかったとは言えない。こんな立派なホテルの飛び込みの宿泊料なんて、俺には払えなく額じゃないが軽く躊躇う額ではある。
それでも今夜は、俺が、したかった。
「おかえり」
指定した部屋ではオールマイトがベッドに座ってジャケットすら脱がずテレビを眺めていた。
「狭くてすみません」
普通のツインルームだ。オールマイトが普段使うようなものとは明らかに違う。
「ううん。嬉しいな。君から誘ってもらえるなんて」
自分が用意したであろう部屋の話はおくびにも出さず、オールマイトは長い足を左右に開きルームサービスでも頼むかい?と俺を労おうとする。
「いえ」
俺はそれを断って冷蔵庫に備え付けのミネラルウォーターを開けて喉を潤した。濡れた唇を手の甲で拭くと、オールマイトの元へまっしぐらに歩み寄って床に膝を突く。
「相澤くん?」
「ちょっと黙っててください」
そのままオールマイトの股間にいきなり顔を埋めた俺にオールマイトはさほど驚かなかった。もっとわたわたするかと思ったのに、俺が歯を覆った唇で布越しに膨らみを食むのを冷静に見下ろしている。多分。俺からは見えない。でも太腿に外から回した手からも筋肉は緊張などしていないのが伝わるから、こんな俺の衝動すら想定内なのだと思うとなんだか悔しい。
こんなにも欲しいと、あなたが俺のものなのだと俺の体の裡を駆け回る感情すら全部お見通しなのが。
頭にオールマイトの手のひらが乗る。どうしようもない俺を優しい手が撫でる。
オールマイトが俺を好きだから、で納得させてきた全てのスタンスを崩したくない。嫌いじゃない程度には好きですなんて強がりで固めてきたのは、信者にだけはなりたくなかったからだ。
盲信しない。崇めない。全力で好意をぶつけるのは俺が忌避して嫌悪する奴らとどこか同じことであるような気がして。
でもそんなことを言ってられなかった。
惚れ直しましたとか。かっこいいですねとか。言葉にすればそんな陳腐なものだろう。言わなくたってオールマイトは今夜俺を抱く。
言わなくたって済むものを、同じ流れに乗るだけのことを、覆させるだけの独占欲を伝えたかった。
ちょっと刺激しただけで布地を押し上げる凶器。
汗ひとつ掻いていないように見えたけれど、顔を押し付ければわかる蒸れと濃くなった体臭。
相澤くん私お風呂まだだから、って引き離そうとする素振りも見せず、オールマイトは俺の衝動のなすがままにさせている。
「……いいね」
ぐん、と唇の間で弾力が増した。低く小さな呟きと共にオールマイトの指は俺の髪を撫でて耳を擽った。
「君から情熱的に求められるのは、とても、いいね」
発情した雄の声は、俺の全てを肯定した。