しわくちゃの垂れ耳ウサギを探して【オル相】「嫌いになれたらよかった」
「……それは、私を、ってこと?」
「はい」
最近引っ越したばかりの寮の、まだ荷解きが終わらずに教師がばたばたと走り回っているそんな廊下の片隅で相澤が口にした言葉を、オールマイトは現実として受け止めきれずに胡乱に返事をし、そうしてまた返ってきた答えに打ちのめされた。
どうぞと丁寧に封を切って差し出されたお茶のペットボトルを受け取って持ったまましばらく呼吸が止まるくらいに。
相澤は自分の言葉がオールマイトに刺さった深さに気づかぬまま、同じくお茶のペットボトルの蓋を勢い良く開けて呷った。
思わず背を預けた壁が冷たい。
「ええと。私は君と結構仲良くなれたと思って喜んでいたんだけど、それは」
「なれたら、って言ったでしょう」
早合点をするなと眉を寄せてぎゅっと睨み付ける相澤の本気の威嚇におろおろと吐き出しかけた言葉を飲み込む。
「……何かあったの」
相澤が急にそんなことを言い出すなんて、知らないうちに素直になる個性事故にでも遭ったのではないかと疑ってしまう。でもそんなことを思ったなどと知られたらますます怒られそうで、色々な可能性を思案した結果一番無難な質問に落ち着いた。
「何も。あなたが命を懸けて戦っていたところをテレビのこちら側で見ることしか出来なかったってことに対して、どうにも気持ちを納得させられない男の僻みみたいなもんです」
「……」
僻みと自嘲する割に相澤は口元を歪めもしなければ笑い飛ばす風もない。晴れ渡る引越し日和の空とは対照的にどこまでも沈んでいきそうな重みを含んで、会見の時にしていたのと同じ長髪をまとめたラフな団子頭と捕縛布のない無防備な首に目が行く。相澤が私服も黒を好むことをオールマイトは今日初めて知った。初めて私服を見たのに黒を好んでいると判断したのは、その首回りがひどく空いたVネックのサマーニットの襟に少しの毛玉を見つけたからだ。日焼けを知らない白い肌と黒の対比は否が応でも目を惹く。
「応援してくれた?」
努めて明るく、肯定的な答えが返ってくるように仕向けた問いを投げる。膝を撓め背をずり落とし、わざと目線の高さを合わせて隣から彼の顔を盗み見た。
相澤はオールマイトの問いにイエスでは答えない。
「……そんな、安全圏から他人が投げる声に意味はありますか」
「あるさ。君だって、知ってるだろ」
もう動けない。そんなときに声援が背中を押すこと。守るべき誰かを背負うからこそ踏み出せる後一歩。
「嫌いになれたらって言ったってことは、少なくとも相澤くんは私を嫌いではないってことだね。うん。それなら良い」
オールマイトは撓めた膝を下の高さに戻す。途端に相澤の表情は見えにくくなったが、それでも頬も耳も今日は露わだ。
「……そうですね。どう表現して良いかわからない部分もありますが、俺はあなたが好きですよ」
相澤は酒でも飲んだのだろうか。オールマイトは向けられた好意に感謝の意を添えながら、相澤に酒の気配を探る。
ミッドナイトはまだ部屋に荷物が入りきらないとか言いながらエントランスで積み上がった段ボールの前で難しい顔をしていたし、テーブルの上には休憩時につまめるようにと菓子が紙皿に山盛りになって、今二人が持っているペットボトルが無造作にたくさん置かれていただけで、そこにビールやワインの影はなかったはずだ。
「嬉しいな。私、君とずっと仲良くなりたいと思ってたからさ」
「そうですか」
「マイクくんとやってるみたいなやりとり、羨ましくて」
「……あなたも俺とあと十五年一緒にいればなるんじゃないですか」
「十五年、かあ」
それはきっと叶わぬ願いだ。
「私おじいちゃんになっちゃうよ」
「なればいいじゃないですか。オールマイトおじいちゃん」
「私がおじいちゃんならその時には相澤くんもおじさんだね」
「俺は今でもおっさんですよ」
「何言ってるの三十歳。私から見れば君だってまだかわいいものさ。ふふ。四十五歳の相澤くんかあ。きっととっても渋くて素敵なおじさまになってるんだろうな。いいなあ。私も見たかったなあ」
手の届かない時空の先を夢見て溢した呟きに相澤は口に当てたペットボトルの端を噛んだ。
「……なんで過去形なんです。見たらいいじゃないですか。それとも十五年後、あんたはここに居ないんですか?」
相澤の言うここ、が雄英を指したのか、この世界を指したのか失言に気付いたオールマイトには判別ができない。
遠からず死ぬと予言された。戦いを経て生き永らえて、自分の命の使い所はあそこではなかったのだと振り返る。天秤の傾きを変えるつもりでも、その時はそう遠くないうちに来るだろう。
生きると決めたはずなのに諦め癖は直ぐには消えてくれない。
「おじいちゃんになった私の隣に、君はいてくれる?」
「俺をあてにしないで介護サービスを利用してください」
「うーん。プロポーズに聞こえなかったか」
「聞こえましたよ」
「そう?」
その割には照れも驚きも拒絶も受容もない口調で、今の自分の発言も相澤の返事も、まるでいつもの会話の延長上にあるようで。
「四十五の俺に期待しておいてください」
にっと笑って相澤はオールマイトを見上げる。
「オーケーってこと?」
その返事に驚かされたのはオールマイトの方だ。何度も瞬きする様子に相澤の笑みは続く。この顔に笑い皺が増えるのを想像した。
隣にいる自分は、きっともっと。
「そんな約束でオールマイトおじいちゃんが見れるなら安いもんです」
「冗談だと思ってる?」
「……あなたが嘘をつかないことは知ってます」
おーいイレイザー、とマイクが遠くから手を振る。重いものを運ぶのを手伝って欲しいとの申し出に相澤は飲みかけのペットボトルを床に置いてそちらへ歩いて行ってしまった。
(……ええと)
今自分は何を言って、相澤は何と答えたのか。
あまりにも現実味のない十五年後の話だ。
その夜、引っ越し祝いと称して共用スペースでどんちゃん騒ぎが始まってしばらくしてから、ミッドナイトが袋に入れた銀色の鎖が連なったようなものをオールマイトに差し出した。
「ハイこれ、お探しのものです」
「助かったよミッドナイトくん! 君ならひょっとして持っているかと思って聞いてみて正解だった」
「試作の時に使ったりするかなと思って買ったはいいけど一回も使わなかったんでやっと日の目を見てくれて嬉しい道具ですけど、誰に使うんですか?」
目を輝かせて尋ねてくるミッドナイトに相槌を打ち、オールマイトはミッドナイトの隣でクッションに向けて話しかけている相澤の左手を取った。
「相澤くんちょっと手を貸してね」
「どうしたんですかオールマイトさん。こっちにもオールマイトさんがいますけど個性事故ですか」
「うん、本物の私はこっちだよ。ちょっと指のサイズを測らせてね」
「こっちのオールマイトさんの前髪は何センチですか。麩菓子とどっちが長いですか」
「相変わらず酔うと面白いなあ君」
成り立っているようで成り立たない会話を続けながらオールマイトは、吊られた右手が使えないままもたもたと銀色の輪が連なったそれを適当にサイズを目で確認しながら相澤の指に嵌めている。
「マイティ何してんすか。またミッドナイトさんのオモチャに?」
「人聞の悪いこと言わないでよマイク。リングゲージ借りたいって言うから貸してあげてるだけよ!」
「リングゲージ?」
「指輪のサイズを測る輪っかよ」
「指輪? なんでイレイザーの指? メリケンサックでも作るんです? こいつ確かに馬鹿力だからギャーーーッ」
相澤はマイクの持つ缶ビールにどぼどぼと日本酒を注ぎ込んだ。
「黙れクソインコ」
「ひでえ! 俺のビール! でもじゃあなんでそんなもん使う必要が?」
相澤に尋ねても無駄だと判断したマイクは真剣に相澤と向き合うオールマイトに問い掛ける。
「うん。相澤くんが四十五歳になったら私と結婚してくれるって言うから気が変わる前に婚約指輪を作ろうと思って」
「……ぱーどぅん?」
英語教師の発音が壊れた。
「どゆこと? え? なにがどうなってそうなった?」
「十五年一緒にいたら、私のこともクソインコって呼んでくれるって」
脇目も振らず相澤の指のサイズを測っていたオールマイトはようやく目的のサイズを見つけたたようで、満足そうにサイズナンバーをスマホで写真を撮っている。
「クソインコは褒め言葉じゃねえっすよ……?」
「オールマイトさんはウサギですかね。垂れ耳ウサギ」
「消太! 正気に戻れ?!」
「あらいいじゃないマイク、婚約者っていう関係もなかなかそそるわよ。何かあれば破棄できてしまう儚い繋がり……ああッ! こんなの酒が美味いに決まってるわちょっと! 新しいお酒持ってきて13号!」
「は、はい!」
ついでに自分の左手の薬指もしっかりと測って「やっぱり細くなっちゃったなあ」などと呟いているオールマイトはこの場の狂騒が激化していることに気付いていない。
「明日ちょっと街に出てくるよ」
そう言って幸せそうに笑うオールマイトの隣で相澤は何も知らない顔でクッションに酒を勧めている。
「おーるまいとさん、耳が無くなってますね」
「相澤くん、私はこっちだよ」
「馴れ初め教えてもらっていいかしら、あっ待ってまず妄想させて! 当てたいわ!」
「先輩ご結婚されるんですか?」
「まずは婚約から始めるよ」
「わあ! おめでとうございます!」
マイクはふらりとオールマイトと相澤の周りに詰めかける酔っ払いどもの輪から一歩引く。
「……chaos」
日本酒の混ぜられた缶ビールを息を止めて飲み干せば、準備は整う。
飛び込むには理性は必要ない。
例え明日の朝何も覚えていない相澤が取消を訴えても、この場にいる全員が証人だ。
翌朝、相澤とマイクは共用キッチンでウインナーと目玉焼きの朝食を食べている。向かいの席に座って記憶のない相澤はぼんやりしたままマイクに昨夜の顛末を説明されていたが、取消と騒ぎ立てることも事実を淡々と聞き入れおとなしいものだった。
この二人付き合ってなかったよな? とますます首を傾げるマイクが改めて何故かと尋ねる。
「じいさんになったオールマイト、見たいだろ」
じいさんになったオールマイト。
筋骨隆々のあの姿がひょろりとした今、そして十五年、なるほどとマイクは納得した。じいさんになるために必要な年月か。
インスタントの味噌汁を啜って至極真面目な顔で相澤がそう言うので、婚約とか十五年とか付き合ってないよなとか頭に浮かんだ全ての疑問を取っ払ってマイクは欲に忠実にしっかりと頷いた。
「見てえ」
「じゃあ後は何も言うな」
「お前老け専だったの?」
「そうじゃねえけど……いやもう面倒くせえからそれでいい」
「三十路にて 初めて知るなり 友の性癖 金髪碧眼 年上紳士」
「よく知らねえが各方面に謝れお前」
「あれ、今ご飯なの二人とも」
話をすれば玄関から紙袋を持って帰ってきたのはオールマイトだ。指輪が入っているような小さな小洒落たそれではなく、駅前の洋菓子屋の名前の入ったもの。
「お土産買ってきたけど食べるかい」
左手で掲げたそれとオールマイトの視線は相澤に向けられている。
「食べます」
「じゃあこっちに出しておくね」
「マイティ、俺やりますから置いといてください」
片手ではストッパーのついた箱は開け難いのが見える。
「ごめんね、お願いしてもいい? なら私はコーヒーでも」
「何もしなくていいからあんたは座っててください」
相澤は飯とおかずをかき込んで自分の椅子の隣をオールマイトに示す。
「……そう?」
自分で使った食器をシンクに下げ、いそいそと示された椅子に腰を下ろすオールマイトは、キッチンに備え付けのインスタントコーヒーをスプーンも使わず瓶から直でマグカップに目分量にも程がある加減で湯を注いだ相澤を眩しそうに眺めている。
(……付き合ってなかったよな、少なくとも昨日までは)
隠していたとしても滲み出る何か、相澤がオールマイトを憎からず思っていたとしても逆はなかった。それとも、自分が気付けないほど巧妙に視線は向いていたのだろうか。元ナンバーワンヒーローは他人にどう見られていて視線をどう誘導するかなどはお手のものか。
「どうぞ。熱いので気を付けて。ほらよ」
「いやマイティと俺の扱い違い過ぎない?!」
「そうだよ相澤くん、私にもマイクくんみたいにやって欲しい」
「……ほらよ、です」
受け取ったマグカップの黒々とした液体を息を吹きかけて冷ましていたマイクは照れたような相澤のその物言いに飲んでいないコーヒーを吹いて飛ばした。
「マイクくん今の相澤くんどう思う?」
「ノーコメントで」
「可愛いよね? 可愛かったよね?」
「オールマイトさん早々と老眼ですか?」
「ん、君が可愛く見えるなら老眼も悪いことじゃないさ」
マイクは無言で席を立ち、後ろのソファ席のテーブルに置かれたオールマイトの土産の箱を持って戻ってくる。コーヒーを飲んでるだけなのに甘ったるい空気が包み込む二人の前で箱を開けると、一番に目に飛び込んできたミッドナイトが好きそうな真っ赤なベリーのドーナツを掴んだ。飲み掛けのマグも一緒に。
「じゃあ俺、部屋戻るんでごゆっくり。ご馳走様です」
(いや絶対昨日まで付き合ってなかったはずなんだ)
それでも、親友がしわくちゃのオールマイトという掲げた未来のために何かを捧げるのなら、その手伝いくらいはしたいもんだと歩きながら封を切りマイクは赤とピンクの混じり合ったドーナツに齧り付いた。
「あー、甘い」