We talked a little bit about that.【オル相】 それは、パーティーの帰り道の話だった。
スポンサーからの招待を断りきれなかったオールマイトが挨拶だけをして帰る。だからオールマイトから外泊届けは提出されなかったし、校長からは「護衛を宜しくね相澤くん!」と時間外労働の要請も受けたので相澤は黙って時間外出張の申請をした。
「なんで俺なんですか」
「ごめんね。夜警もなくて久しぶりに休めたのに」
オールマイトは一人でいいと護衛の申し出を当然断ったと言う。引退したとはいえオールマイト、しかし彼の姿は既に世間に晒されてしまった。ならば、その隙にと悪事や復讐や大それたことを考える輩に警戒してし過ぎることはない。
オールマイトも相澤もパーティーで出された飲食物にはほとんど手をつけていなかった。何か食べて帰ろうかと提案されたが、疲労の方が溜まっている相澤は、いやゼリーで済ますんでと喉から出かけた答えをすんでのところで飲み込むことに成功した。
外泊届けが出ていない以上、相澤もオールマイトもこれから寮に帰る。その前に少しでも恋人らしいことをしたいと隣でそわそわしている姿を見上げて、じゃあ何処かで飯にしますかと答えた。
適当な居酒屋に入るかと相澤が道路を眺めていたら、オールマイトは素早くスマホを耳に当て早速店の空きを確認している。じゃあ今から行きますと嬉しそうに口にする横顔を見上げる自分の心に少しだけ影が巣食っていて、相澤はそれを見ないようにするために視線を落とした。
「あの和食のお店空いてるって。いいよね?」
「食えればなんでもいいです」
電話はすぐに切れる。
ここから歩いて五分くらいのところにあるオールマイトが前に相澤を連れて行った和食屋は格式の高そうな店構えをしていて、一人だと絶対に入らないし教職員の忘年会会場だと言われても一瞬は怯みそうなその店の、長く垂れた暖簾を慣れた様子で手で避けて潜っていくオールマイトの後ろに続く。
案内されるのは勿論一番奥の離れだ。
「お腹空いてるよね。お任せにしてもいいかな?」
腹に入れば大体なんでも同じ主義の相澤と、待ち時間も含め食べること自体を楽しみたいオールマイトでは食事に対する考え方も違う。
さっき繁華街で相澤が「牛丼でいいですか」と言ったなら、オールマイトはうんそうしようと当然同意しただろうし、美味くて早くてリーズナブルな白飯と玉ねぎと牛肉をさっと食べて寮に帰った方が休息時間は圧倒的に取れたはずで、つまりは相澤もゼリーより牛丼よりオールマイトと二人きりの時間を少しでも長引かせようという気持ちでいた。
夕食時はとうに過ぎている。
運ばれて来たお膳を食べながら今日のパーティーの話をする。
護衛とは言いながら四六時中相澤が張り付いていたわけではない。会場の壁側に立ち、登壇して淀みない挨拶をするオールマイトを眺めていた。スポットライトを浴びた男は金色の髪をキラキラと光らせ、逞しさを失った代わりに得た円熟の色気のようなものを纏わせてスピーチで会場を笑わせ沸かせ、綺麗にまとめ上げた。
本来ならそれでお役御免、すぐに会場を後にするはずがそうは行かない。壇からパーティー会場に降り立った途端オールマイトを囲むたくさんの人々の図は相澤も何度も見て来た。怪しい動きをする者がいないかじっとその様子を見ている。
声をかけてくる一人一人に丁寧に応対する紳士にうっとりと頬を染めるご婦人の姿は一人や二人ではない。皆が皆この瞬間にオールマイトと特別な関係を持ちたいと願っているようにすら見えて、相澤は己の心に滲み出た負の感情に奥歯を噛んだ。
(本当なら)
オールマイトの隣にいるべきなのは自分ではなくて、もっと。
幾度と無く考えた言葉。それでも相澤はオールマイトの隣にいることをやめられない。望まれたから、望んだから互いが二人であることを選んだはずなのに、どうしても相澤は俯瞰で見たその状況に違和感を強く感じてしまう。
目の前で美味しそうに飯を食べ相澤との会話にはにかんで笑う恋人を眺めながら、相澤はそういう不誠実な気持ちを常に心の裡に抱えている。
「ご馳走様でした」
気がつけば会計まで終了して店を出ていた。
「……ありがとうございます」
自分の分のお金を払おうとするとオールマイトは絶対にそれをさせない。デートの金は全額当然自分持ちだと思っている節があるし、毎回高い店に連れてこられて奢られるのは心理的負担になると相澤がいくら申し入れても改善される気配がない。高額納税者には全く財布にダメージのない食事代なのだろうが、相澤の苦悩を知ってからはオールマイトは時々「私コーヒーが飲みたいな」などと甘える形で相澤におかえしをさせる。額にして比較にもならないくせにオールマイトは奢られたことにはしゃいでろくに冷めないコーヒーを飲んで唇に火傷をするから、最終的に舐めて治すまでが奢り奢られのワンセットだ。
人通りのない夜道を雄英の校門に向かって並んで歩く。
「今日のパーティーも凄い人でしたね」
「そうだね」
「特に女の人が多かったです。あんたに群がる」
「はは。そうかい? よく見てるね」
「それが仕事だったでしょう、俺の」
「そういえばそうだ」
可愛い或いは綺麗な顔、柔らかな体、包み込むような愛。そういう、相澤には持てないものでオールマイトに向かってくる彼女たち。
「本当はあんたの隣にいるのは、あんな女の人がいいんでしょうね」
「……相澤くん?」
オールマイトが足を止める。相澤は二歩分先に進んで不誠実なそれを口に出した。
「俺はあんたに相応しくないから」
振り向いて視線を遣った男の顔が色を失っている。
「どうして?」
「……どうしてって、そりゃ」
「私に相応しい人ってなあに」
オールマイトの問いに相澤はぼんやりとしたイメージをつらつらと述べた。オールマイトの隣にいる自分とは正反対の理想を。
「美人で綺麗で可愛くて、あんたのことを最優先に考えられて行動できる、あんたのために生きて子供を産んでくれるような女の人、ですかね」
「……」
「俺はこんな見てくれであんたのことをいの一番に考えて動けるわけでもない。あんたの主義主張に反論するし理に敵わないと思ったら応援どころか邪魔もします。結婚もできなきゃ子供も産めない。正直、なんであんたが俺を好きだと言うのか未だにわかりません」
オールマイトは嘘を吐かない。
だから、彼の方から出る相澤への愛の言葉が本物なのだと信じている。それは魂の理解では無く、客観的な事実の積み重ねなだけだ。
理解も納得もできないまま、オールマイトの愛だけが相澤の手のひらの中にある。
「……少し話をしたいんだけど」
オールマイトが言う。
潜めた声に、今の発言が彼を怒らせた気がして相澤は今更ながら発言を後悔した。
でも思っていたことだ。いつかの吐き出すタイミングがたまたま今だっただけ。パーティーの彼女達が相澤の足元をぐらつかせて、弱気にさせた。
(勝手に弱くなっただけのくせに)
人に聞かせていい話ではない。
二人は黙って雄英の門を通り抜け、まず一般人との接触の可能性を断った。まだ就寝時間ではなかったが、生徒の外出は既にできない。他に外に出ている教師達が寮に帰る道すがらの危険性もある。声のトーンによっては寮の部屋の防音性には自信がない。オールマイトは敢えて校舎の方へと足を向けた。
相澤は無言でそれに着いていく。
一歩ごとに吐き出した言葉の酷さが襲って来る。
突然恋人にそんなことを言われたオールマイトの心中を思って、今からでも先に謝っておこうと相澤が口を開いたところで、相澤の前を歩くオールマイトがぽつりと呟いた。
「君はさ。私が初めてここに来た時から、私をヒーローオールマイトとしてでは無く教師として扱ったじゃない」
「……あなたはそのためにここに来たんでしょう」
「そうだよ。パソコンのいろはも知らない、書類の作り方もわからない、教師として何にもできないだめだめな後輩の私に君は厳しくでも根気強く指導してくれた」
指摘されたことを直す。与えた課題に自分なりに食らいついて形にする。回数を重ねるごとにブラッシュアップされて、成長を知る。相澤にとってオールマイトは同僚でありながら教え子のようなものだった。打てば響く後輩への鞭は尻拭いも含めて楽しい。先輩としての醍醐味に満ちている。
「君が私を見てくれている。他の人とは違う視点で。私はそれが嬉しくて、君を失うのが苦しいと思う自分に気がついて、君に恋をしていると自覚した。私と付き合っても不幸にさせるだけなのに、君に愛してもらえるなんて自信もなかったのに、優しくされて浮かれた私の告白に君はオーケーしてくれた」
「……はい」
「私、君に、私のことをなんでも一番に考えてくれって言ったことあるかい」
「ありません」
オールマイトが相澤に即物的な欲を出すことはほとんどない。それはだいたいが控えめなおねだりだったり、ほんの小さな、些細なことだ。手を繋ぎたい。一緒に帰りたい。一緒にご飯を食べたい。相澤がメディア露出を嫌うからデートはほとんどオールマイトのマンションで、今日の二人きりでの外食だって珍しい方だ。
「私、君の前で、子供が欲しいって言ったことあるかい」
「……ありません」
相澤の作り上げたステレオタイプのオールマイトの理想の恋人像を、オールマイトの言葉がひとつずつ消していく。
「私、君が女の人だったら良かったなんて、一度でも、言ったことあったかな」
「……いえ」
ざり、と靴の裏が地面の砂を擦る。オールマイトが足を止めた。
「君は、私を見てくれていると思ってた。オールマイトの外側だけじゃない私を。でも、君は、私に、オールマイトの外側に似合う女を探して一緒になれと言うのかい。私を私として扱ってくれた他でもない君がそれを?」
「オールマイト、さん」
振り向いたオールマイトの表情が街灯の影になって見えない。でもその青の双眸が悲しみの色を湛えてこちらを向いていることだけはわかる。
オールマイトを傷付けた。
あんなに愛してくれた人の言葉を信じずに、常識に彩られた幸せが彼の幸せだと思い込んだから。
「同じことを君に言おうか。私が君の隣にいることで君の未来を阻害しているよ。君が出会うべき彼女との道を私が閉ざしている。君だって家庭を作って幸せになる権利が、未来が、当然あるだろう。私にそれを望んでおいて自分だけは違うなどと言わないでくれよ」
「オールマイトさん」
焦燥に駆られる相澤の呼びかけをオールマイトはただ首を横に振って止める。
「私は、君の未来のために身を引いた方がいいかい?」
「嫌です」
二歩分の距離を詰めて相澤はオールマイトに抱きついた。
「ごめんなさい。酷いことを言いました」
「私は君を好きでいていいのかな」
「はい。お願いします。どうか」
「君は? 私を捨てる?」
「いいえ。いいえ。あなたが好きです。誰にも譲りたくありません」
その返事を聞いて、ようやくオールマイトは細く息を吐き相澤の体に緩く腕を回した。
「……ご婦人方に囲まれるのはいつものことだから気にしてなかったけれど、君がそんなふうに考えてしまうくらい嫌な思いをするのならもうああいう場には行かないよ」
相澤は首を曲げて上を見上げる。例え触れ合っていても痛い程に反らなければ見えないそれが二人の距離だ。
オールマイトは弱々しく微笑んで相澤の頬を親指の腹で撫でた。
「俺のためにあなたの行動に支障を来して欲しくありません」
「どうしても無理なもの以外は極力控えよう。私も引退した身だ。世間の皆様にもそれはわかってもらえるよう努力しなければ」
「……子供みたいなことをしました」
「嬉しいよ。君は本当に我儘を言わないからね。私も恋人の無理難題に振り回される男ってやつをしてみたいんだ」
往来で抱き合うなど相澤の倫理観からは大きく外れている。それでも今は自分の弱さがオールマイトにもたらした痛みを償いたい。
「私は君がいいんだよ。それ以外の君が言う、オールマイトに相応しいあれやこれやなんかこれっぽっちも求めてない。君は私の唯一のひとなのだから、どうかそれを忘れないで」
そう言ってオールマイトは相澤の額にそっとくちづけを落とす。
離れていく顔は既に前を見ていて、帰ろうかと促された。
相澤は敷地内には無数の監視カメラがあることを今更思い出した。はっと振り返った闇の中、街灯の柱、木立に紛れて稼働しているそれらに今の行動もセリフも全て録画されているに違いない。
「しくった」
「しく?」
「……いえ。人がいないからと言って聞こえないわけでも見られてないわけでもないんだな思って」
「ああ」
相澤の言い方で監視カメラのことを指しているとオールマイトが気付く。
「ふふ。いいじゃない。相澤くんの愛の言葉が雄英の監視カメラの膨大なデータの片隅に残っててくれるんだぜ」
「……あなたと俺が抱き合っているセンセーショナルな動画も?」
「そう。未来の誰かのためのサービスはここまでにして、部屋に戻ろうか」
オールマイトの腕が相澤の反転を促し手のひらが背を押す。
「……ねえ相澤くん」
監視カメラも拾えない密やかな声でオールマイトが相澤に耳打ちをする。相澤はぐっと息を飲み、反射的に拒否しかけた己を押し留める。今日の反省と愛おしさの勝る今は、二人の間に課したはずの枷も外してしまおう。
職員寮はまだ遠い。