PuddingPuddingPudding【オル相】「んぁ?」
冷蔵庫を開けた相澤が疑問の声を上げたのを皿を洗いながら背後で聞いたオールマイトはその訝った気配にハッと忘れていた事実を思い出した。
「あっごめん相澤く」
「あんた、俺のプリン食いました?」
謝罪に覆い被さった相澤の不機嫌を隠さない表情にピシッと背筋が伸びる。しょうがない、反射的に正すくらいに彼のこの気配には昔職員室で躾けられたものだ。
「う、うんごめんさっきちょっと調べ物をしていたら甘いものが食べたくなって……ごめん、次にコンビニ行ったら買ってこようと思って、た、んだけど」
相澤があのプリンを買ってきたのは昨日の夜だ。相澤はそれを直ぐに食べなかったし、オールマイトは甘味を欲した体に負けて手を伸ばしてしまった。新しいものを買ってきておこうと思ったのに今晩に限ってコンビニ行くより相澤の帰宅が早かった。全ては言い訳だけれど、片方だけ残った目を細めて凄まれると彼があのプリンをとても楽しみにしていたことがひしひしと伝わってきて申し訳なさが跳ね上がる。
「ごめん、今買ってくるから」
「……もういいです」
「相澤くん」
相澤はふいっとオールマイトから視線を逸らすとそのまま相澤の寝室兼書斎に消えてしまった。ぱたんとドアが閉まる音にオールマイトは泡のついた手を流して出しっぱなしの水を止める。ペーパータオルで手を拭いてダイニングテーブルに置いていた財布を持って玄関に向かおうとしたところで見えているはずもあるまいに遠くから声が飛んで来る。
「いらないって言いましたよ!」
「だって君怒ってるじゃないか!」
「そりゃ楽しみにしてましたからね!」
言い合いながらオールマイトは廊下を戻り書斎の扉を半分程開けて声を荒げる相澤に大股で詰め寄った。
「私が食べたのは事実だからね、申し訳ないし、責任は取るよ!」
「もういいって言ったろ」
「君の機嫌を損ねた私の気が済まない」
「買って来ても食いませんよ」
「天邪鬼だな」
「なんとでも。持ち帰りの仕事するんで入って来ないで下さい」
そう言い捨てて相澤はばたんとドアを閉めてしまった。
(……そりゃ、食べちゃったのは私が悪いんだけど)
オールマイトはとぼとぼとリビングまで引き返し、コンビニへ行くべきかどうかを迷う。ああまで言ったのだから、買って来ても相澤は多分プリンを食べてはくれないだろう。
賞味期限のそこまで短いものでないなら、置いておけばいつかは食べてくれるかもしれない。でも冷蔵庫を開けるたびに相澤もオールマイトもモヤついた気持ちになるのは間違いないはずだ。
「……参ったな」
相澤を怒らせたことは多々あれど、大体が己の主義主張に関連することだったから折れるところは互いに折れて擦り合わせを図ってここまで来たのに、こんなことは初めてだ。
(恋人のプリン、勝手に、食べて、怒られた)
安直な解決方法を求めてオールマイトはスマートフォンの検索画面に短文を打ち込んで、世の中の恋人に勝手にプリンを食べられた人々の絶対に許さないという怨嗟の声を目の当たりにする。
ますます相澤にどう謝ればいいのか頭を抱えることになった。
コンコン、と控えめなノックが聞こえる。
その音で相澤は集中を解いて机の端に置かれたデジタル時計をチラリと見た。部屋に篭ってからおそらく三時間は経過している。
(……流石に大人気なかったな)
そこまで食べたかったかと言われると、やはり食べたかった。食べたいからわざわざ水を買いに寄ったコンビニの棚で手を伸ばしたと言うのもある。しかしながらあんなに怒る必要はなかったとも今は思っている。
オールマイトが人のものを黙って食べるのは珍しい。疲れたから甘いものを欲する人体メカニズムは理解しているし、その欲求には従うべきだとも思う。そもそもは買って来た昨夜食べるタイミングを逸してしまった自分も良くない。
寮生活を辞めて久しいから食べ物に名前を書くような習慣も消えてしまったし、それでなくとも未だにあちこちから貰い物をするオールマイトのおかげで冷蔵庫に食物はいつでもみちみちに入っているのだが。
相澤は椅子から立ち上がり、ばつの悪い気持ちを首筋を撫でて誤魔化しながらドアを開けた。
「……はい」
「根詰めすぎるのも良くないよ。休憩しないかい」
元気がないオールマイトはそれでも薄く口元に笑みを浮かべて相澤を誘う。
こくりと頷くとオールマイトは相澤を先導するように歩き出した。
途端に甘い匂いが鼻をつく。
「……」
ひょっとしてオールマイトがプリンを買いに出たのだろうかと思えば相澤の罪悪感がちくりと刺される。
だがリビングのテーブルには何も置かれていない。匂いの出どころに相澤が不思議そうにヒントを求めてキッチンを見遣ったところでオールマイトがその視線に気付き、ダイニングテーブルの椅子をエスコートのためにそっと引いた。
「座ってて」
言われるままに腰を下ろす。するとオールマイトはキッチンに進んで冷蔵庫を開けた。中から銀色のバットを出したのが見える。手元が見えなくなって、かちゃかちゃと支度する音がしばらくしていたかと思うと浅い器を落とさないように両手でしっかりと持って集中した面持ちで運んで来た。
「はい、どうぞ」
ことんと相澤の前に置かれた皿に乗る濃い卵色の塊と、その肌を流れるとろりとした茶色の液体が妖艶に照っている。
「……これ」
「あっスプーン忘れた。待っててね」
器の横に銀色の匙が添えられた。
「あの、これは」
相澤の横に立ったオールマイトを見上げる。聞かなくても推測はできる。これは確認行為だ。
「ん? 買って来ても食べないって言ったから作っちゃった」
あは、と溢れた笑いは空元気だ。相澤の喉の奥にぐっと空気が詰まる。吐き出せない言葉を躊躇ううちに先に謝罪を口にしたのはオールマイトだった。
「勝手に食べてごめんね」
「いえ。俺も言い過ぎました。ごめんなさい」
相澤が立ち上がって頭を下げたことにオールマイトは目を丸くしてすぐに着座を促す。
「いいから座って!」
「……子供みたいな当たり方をして、すみません」
項垂れる相澤を見下ろし、オールマイトは愛しさを滲ませた眼差しで相澤の頭に手を乗せた。気落ちする様子を励ますようにぽんぽんと髪に触れてから撫でる。余韻を残すように中指の腹が最後に離れる動きを追うように相澤は顔を上げる。
「こんな言い方は違うかもしれないけれど、ちょっと楽しかった」
密やかに微笑むオールマイトの言い草に眉を寄せる。
「は?」
「いや、私達ってこういうことであんまり喧嘩したことなかったじゃない? 君は自己を律するのに慣れてるから不満があっても感情的になることあんまりないしさ」
「……あんた的にはそんなに深刻な事態じゃなかったですか」
「ん? だって黙って食べたのは私が悪いからね。君に許しを乞うだけだもの」
「俺も、食べないでくださいとか言えば良かったんで……その冷蔵庫、あんた一人のもんじゃないですし」
「そう。君と私の家だからね」
元からオールマイトが住んでいた家に相澤が転がり込んだ形ではあるけれど、住民票も移したし、運転免許証の裏書にも書き込まれた引越しの証。
「それ、どうかな? 調べてみたら家にある材料でも作れそうだったから試してみたんだ」
オールマイトの料理の腕は疑う余地がない。素朴なものであればあるほど美味いから、これも食べる前から美味いのが約束されている。
オールマイトは相澤の向かいの椅子に腰を下ろして頬杖をついて相澤が食べる様子をじっと見つめていた。
見られなが食べるのは緊張するが、市販のものより黄色が強いプリンに思い切って匙を沈めた。思っていたより反発がある。これは固いプリンだ。
「……美味いです」
「本当? 良かった」
素直に感想を言うとオールマイトの顔が輝く。全身で喜びを表現する本当に表情豊かな恋人に無意識に釣られ相澤は口元を緩めた。
甘すぎず濃厚な卵の味のするオールマイトお手製のプリンをぺろりと平らげる。
「これ、好きです」
「……おかわりもあるけど食べるかい?」
「明日の分もありますか」
「今食べたらなくなるけど、また作れるよ? 冷えるまでとなると三時間くらい必要だけど」
「……じゃあ我慢して明日にします」
相澤はご馳走様でしたと手を合わせ、食器をキッチンに下げた。
「私が洗うから置いておいて」
言われた通りにすれば後ろから追って来たオールマイトの腕の中にするりと閉じ込められた。気まずさを胸に顔を寄せて擦り落とす。
「明日、仕事何時からですか」
「明日は夕方から取材があるから二時くらいに出かけるよ。それまでは特に何も」
「なら大丈夫ですね」
さらりと相澤がいう大丈夫の意味を確かめるべくオールマイトが下を向く。同じく上を向いた相澤が当たり前の顔で言う。
「シャワー浴びて来ます」
目を見て言われるそれをスルーできるほど枯れてはいない。
「どうせならちゃんとお風呂に入ろう? 一緒にさ」
ベッドじゃなくても楽しめるだろ、と額にキスを落としながら腕を伸ばし壁に埋め込まれた湯張のスイッチを押せば、遠くから給湯器の動く音がした。
「風呂で何する気なんですか」
「そりゃ決まってるだろ? 裸で二人きりだよ?」
「ソープごっこでもしますか?」
「未体験の私には刺激が強すぎない?」
「スケベイスがねえな」
「ねえ相澤くん詳しくない?」
「マット……」
「ねえ相澤くん?!」
本気で焦るオールマイトを揶揄って相澤はその体に全力でしがみついた。腕の回る厚みに耳を寄せて命の鼓動を聞く。
「くだらない喧嘩の後のセックスは燃えるって知ってます?」
「……いいや。知らないから、教えてくれる?」
「じゃあ、風呂沸くまで、此処で」
相澤の蠱惑的な眼差しにオールマイトは吸い寄せられるように、自作のプリンの残り香を追って相澤の口の中を舌で探った。