食べ頃自由自在【オル相】「お邪魔します」
そう言って靴を脱いだ回数はもう片手どころか両手でも足りない。初めて尋ねた日はまだ恋人どころか恋愛のれの字の意識もなかった。
多分、なかったと思う。
相澤を玄関で出迎えるオールマイトの笑顔が変わったとは思わないが、どことなく眼差しに柔らかさが混じったような気はする。否、柔らかさと言い換えたが正確には視線に隠さない愛情を乗せて来るから慣れるまで時間が掛かった。今でも素直に微笑み返せるまでに至らないし、相澤の表情がぎこちなくてもオールマイトは気にしない。
「雪、どう?」
「チラついてましたが道路が濡れるくらいです。これ以上気温は下がらないって言ってましたし、雨雲は夜中には抜けるそうです」
移動がてら確認した天気予報の受け売りをすると、前を歩くオールマイトはそっかあ、と少し残念そうに遠くの窓を見た。
「雪、お好きですか」
目の前の恋人は相澤には理解できないロマンチックさを愛しているので、ただの気象に夢見るものがあるのかもしれない。
「好きってわけじゃないけど、ちょっとわくわくはするかな。君は?」
「はあ。事故が増えるので出動要請がありそうだなと」
「うーん、現実的だ」
部屋に入ってからダイニングテーブルに辿り着く前に鼻を引くつかせ今晩の献立を当てるのが相澤の密かな楽しみであるのに、今夜はびっくりするほどヒントがなかった。どことなく部屋の湿度が高いから、オールマイトがついさっき帰宅して用意をしていないわけでもないだろうに、とその長身の向こう側を覗き見るのにひょいと首を横にはみ出させる。
「鍋、ですか?」
テーブルの上には卓上コンロと土鍋が置いてあった。
「うん。今日は寒いって聞いてたし、君は明日休みだし、頂き物の日本酒があったから湯豆腐にしたんだ」
「……はあ」
飯の前からオールマイトが酒の話をして来るのは珍しい。上着を脱いでコートハンガーに掛ける。手を洗っておいでと促され台所で丁寧に手を洗っている間に、自分は飲まないのに冷やした綺麗な青色をした四合瓶とそれに似合うガラスのお猪口をひとつ持ったオールマイトが相澤の後ろを通り過ぎて行く。
準備はすでに整っていて、あとは鍋に豆腐を入れて煮るのと食べる人が揃うのを待つだけになっていた。最後の仕上げとして椅子に腰掛けた相澤の前で、コンロに火が点る。ふわっと熱気が伝わって一気に部屋の温度が上がった気がした。
食べて飲む。それは週末の夜に相応しく、恋人の家で過ごす時間としても申し分ない。元々の素材が高級であろう料理は恋人の手にかかり大層美味く、酌を断り自分のペースで飲む酒も確かに美味い。有難い貰い物だと頭を下げた。スポンサーさんに美味しかったって言っとくね、とご満悦のオールマイトに向かって恋人に飲ませたと言わないでくださいよと先に釘を刺す。
えー、と白々しく可愛こぶっていたが、多分その手を使う気だったのに相澤に読まれていた動揺を隠し切れていないのがバレバレだった。
くつくつと煮立つ鍋の中の湯を眺める。
切り込みを入れて鍋の底に敷かれた昆布も、きっと聞いたら耳を疑うような値段の北海道産の最高級品に違いない。
「……もっと飲めばいいですか」
「ん?飲みたいだけ飲んでいいよ。足りないなら他のも」
「そうじゃなくて。今夜は、俺を酔わせたいんですか?」
そんな問いを投げかける相澤が酔い始めていることは向かい側で眺めているオールマイトにはよくわかる。
「酔わせたい」
「……酔った俺の方が好みですか?」
「私は酔ってない君も酔ってる君も好きだよ」
目を細めてオールマイトの言を疑う所作が大仰になって来た。今夜の酒の回りは思った以上に早い。ペースも酒量もそこまでではないのに、疲労が溜まっていたのだろうか。
「俺は覚えてませんけど酔った俺はあんたに好かれるようなことしてるんですか」
「そうだなあ。酔った君は私を認識できないことも多いけど、大体は素直に言うこと聞いてくれるし、普段の君よりはちょっとだけ私に多めに愛を囁いてくれるから、そういう面では嬉しいね」
聞きたくなかった一面を暴露されて相澤が思い切り眉を寄せた。愛を囁くというのはあまり大っぴらに頻度高く行うものではないという意識があるのか、酔った自分が簡単にすきすき言いまくってると聞かされるのは羞恥に耐えないのかもしれない。
「……でもそれは酔った俺じゃないと言えないことなので、今後も役割はそっちに任せます」
「ええ。任せちゃうの?私は普段の君からも聞きたいよ」
「俺はあんたみたく一文ごとに口説き文句言えるような国生まれじゃないんで」
「私も日本人なんだけどなあ」
オールマイトの目の前で相澤はくぴくぴと酒を口に運ぶ。底面が何種類もある青色のまだら模様で、ふちに行くにつれて透明度の高くなる綺麗なお猪口だ。相澤の手に似合いそうだと思って買ったのだが、やはり良く似合う。
「酔いましたよ」
「うん」
「風呂入って来てません。できませんからね」
酔わせたいと告げた瞬間の相澤の目が揺らいだのはそれが原因か、とオールマイトは少し前の記憶を振り返る。
「いいよ。眠くなったら一緒に寝よう」
「……」
「したかった?」
「……そりゃ、恋人の家に泊まり前提で呼ばれたら、普通はするんだなって思うでしょう」
「一般論の話はしてないよ。君は、したかった?」
相澤はぎゅっと顔を顰めてしまった。
「なんて答えるのが正解なんですか。こういう時」
「どう答えても間違いではないさ」
「……」
俯いて黙り込んでしまった相澤の顔を首を傾げて覗き込む。
「相澤くん?」
頬を赤らめ怒り心頭のように僅かに突き出した唇を震わせた相澤の様子にオールマイトは言葉遊びが過ぎたとぴゃっと慌て、次いでその口から溢れた言葉に動きを止めた。
「……したかった、です」
「え」
「でも酔ったら中の準備できなくなるし風呂入って来てないから少しでやめとこうと思ったけど、あんたが俺が酔ってた方がいいって、言うから」
「ごめん。誤解を招く言い方をした。君が疲れているから酔って気持ち良く休んでもらった方が体にいいと思って」
「あんたは俺としたくないんですか」
「したいよ!!」
即答したオールマイトに相澤は鼻で笑ってお猪口の底面が見えるほど酒を一気に呷った。
「そーですか。じゃ、今夜はお互い生殺しってことで」
「本当に酔った君は素直だな」
「信じてますよオールマイトさん。酔っ払った俺のケツ勝手に洗って勝手に使ったりしないって」
「するわけないだろ全くもう。はいもう終わり。お酒終わり。君は寝なさい」
「ああ。美味い酒が」
相澤の手からお猪口を取り上げオールマイトは椅子の上でぐにゃりと体幹を失った体を抱き上げた。そのまま寝室へ運びベッドの上に下ろすと、何が面白いのかけたけたと笑っている。
「どこ行くんですか」
「片付けてから来るから。寝てなさい」
「嫌です。ここにいてください」
「ちょっ」
腕と足に絡め取られ、オールマイトは観念して相澤の抱き枕になった。寝た頃を見計らって離れよう。作戦をそう切り替えて心を無にする。
「いい匂いします」
「それは良かった」
「あー……ヤりてえ」
「明日の朝ね」
「今突っ込まれたら俺絶対天国に行けると思います」
「明日の朝連れてってあげるから」
「本気で言ってます?」
「君こそ起きたら今夜のことまた綺麗さっぱり忘れてるんだろ?そんで朝からサカった私のことけだものとか言うんだろ?」
「忘れてたって、問題ありません」
あまりにも相澤が言い切るので、気になって横を向けば有無を言わさず唇を重ねられた。不意打ちにされるがままに口内を酔っ払いの舌が蹂躙し、息を乱され自由になる。
「俺はいつだってあんたとヤりたいんで。明日の朝はけだもの同士、仲良くしましょ……」
急激に語尾はほぐれて相澤はあっという間に眠りに落ちた。電池が切れたおもちゃのようだった。
酔った相澤じゃないと言えない、素直な本音。
部屋を片付ける気がみるみる萎える。
すかー、と既に夢の国の住人になったぽかぽかの相澤に抱き締められたまま、オールマイトは生殺しの意味を体で理解する六時間に唇を強く引き結ぶことしかできなかった。