幻の酒【オル相龍神パロ】 ただいまあ、という声に返事がない。
いつもなら家のどこにいようとも走って駆けつけておかえりなさいと言う消太の姿が見えなくて、八木は玄関でお迎えを待ってしばらく立ち尽くしてしまった。
湯が沸くくらいの時間を待ってみても出迎えは姿形もなければ、足音も聞こえない。
(おかしいな。結界が破られた気配はなかったけど……寝てるのかな?)
無駄に広い屋敷の部屋をひとつずつ、おーい消太、消太やーいと声をかけて探して歩けば、台所にその姿はあった。
「あ、いた。ただいま消太」
子供の頃に旱の雨乞いに生贄として湖に投げ込まれた消太を拾い育てて数年になる。拾った頃は肋も浮き出る痩せこけた体だったが、すっかりと成長してみるみる背も伸び鍛錬の賜物で引き締まった肉もつき精悍な青年へと変貌を遂げた消太は現在絶賛龍神様の花嫁修行中である。
何か美味しいものでも作って八木の帰りを待っていたのかと思ったが、竈に火はなく寒々としていて、八木の呼びかけにゆらりと見慣れない動きで消太は振り返った。
その手に握られていたのは、酒瓶だ。
「あっ?!」
「おかえり、なさい」
消太は瓶を握ったままふらふらと倒れ込むように八木の腕の中へ身を預ける。反射的に抱き締めるものの、その体は骨が抜かれたようにぐにゃぐにゃとしていた。
(うわすごく酒臭い)
ぎゅっと着物の端を握り締め、赤らんで見上げる顔は文句を言いたげにぎゅっと寄った眉に不機嫌そうな目、そして突き出した唇が消太の不満を一心に集めている。
あまりに幼い顔立ちをするのでこの前手を出したのが時期尚早過ぎたかと不安にすらなった。
「取り敢えずそれ放しなさい、ね」
「まだのめます」
そう言いながら既に消太の頭はゆらゆらと前後に揺れていて、ともすれば後ろに倒れてしまいそうな体を、背中の真ん中に当てた大きく指を広げた手のひらで防いだ。
消太の手から酒瓶を剥がそうとして握り込み指先に触れた瓶に浮き出た刻印に八木ははっと手元を見る。
「ってこれ!君が飲んじゃ駄目なやつだろ!」
どこから聞きつけたのか、結婚祝いだとかつて共に過ごした古い友人が送って来た強い神力の込められた酒だ。飲まないようにと注意もしたし、棚の奥深くにしまっておいたのにどうしてこれを消太は飲んでいたのか。
「俺もう酒、のめます」
消太は大人になった。確かになった。修善寺の見立てでそう太鼓判を押されてからひと月が経つ。その間に何度か交わった。共に暮らすうちに情を移して欲した瞬間から、待ち侘びた時を過ごした。
しかし、まだほぼ人の身である消太にはこの神力混じりの酒は効き過ぎる。一滴舐めただけでも相当酔っ払うはずだ。
(ほとんど減ってないようだけど)
瓶を振って残量を推測する。ずっしりと重たく、飲んだとしてもひとくちかそこらだと判断するも、飲んでしまったのなら酒精が消化されるまでは流石の八木にも手の施しようがなかった。
「お酒飲んでもいいけどこれは駄目って言ったでしょ!もう……」
消太は八木に怒られてもずっと同じ格好でじっと上を見ている。呆れて溜息を吐く仕草に、目が泣きそうに眇められて八木はぎょっとした。
「ど、どうしたの」
「……どうして今日、何も言わずにいなくなったんですか」
「え」
昨夜張り切って交わったせいで消太は朝、いつもの時間に起きられなかった。早起きの八木が先に寝床から出るのはいつものことだけれど、爽やかな朝の空気を切り裂くように、急ぎ参れと八木の師匠筋の二つ山を越えた神社に住む酉野から遣いが来てしまったのだ。酉野は気が短い。すぐに来いと言われたら何がなんでもすぐに出向かなければならない。周りを見渡しても長寿の域に達した八木だけれど、更に長命な修善寺と酉野には全く頭が上がらなかった。
おかげで書き置きする暇もなく冷や汗を流しながら屋敷を飛び出し、着いてみたら世間話の大行列。次から次へと話題が尽きず最後の方は花嫁に対しての質問責めだったのでもう時間なのでと適当に誤魔化して這う這うの体で逃げ出してきたのに、帰り着いたらその花嫁が泥酔しているのである。
しかも、何やら自分への恨み節を胸に秘めて。
(この顔は)
ひとり置き去りにされたさみしさの表れか。
起きて、昨夜散々に愛されてあちこちに痕を残し軋む体で誰の気配もない屋敷中を八木の名を呼びながら探し歩いたであろう消太の姿を想像して、八木は込み上げる衝動のままにひしと消太を抱き締めた。
「ごめんよ!!」
あまりに強い力で抱き締めたので、大きくなったのに消太の体は八木の腕の力で宙に浮いた。ぷらりと足がぶら下がる。
「先生に呼ばれて慌てて出たから書き置きを忘れてしまったんだ!今度から気をつけるからね」
「……捨てられたのかと思いました」
その声にか細い声にぶわりと目から涙が溢れたのは八木の方だった。
「ごめんごめんごめん!」
消太の頬に頬を擦り付けて必死に謝る。
「本当にすまない!」
さみしさから消太がやけ酒に走ったのだとしたら強く咎められない気持ちになってしまった。ひとなめでここまで酔ったことに可愛さすら芽生えてくる。
「……してみたかったこと、しても良いですか」
「うんうん、なんでもいいよ」
控えめに申し出られた願いの中身も聞かず八木は何度も肯首した。
脇に手を差し入れ床に足が付くように下ろされ、八木の力強い抱擁から解放された消太は普段より大胆に手を伸ばす。
「ん?」
「角、触りたいです」
顔より上に伸ばされた手を掴んで八木は一旦その手を下げさせる。
「うーん、触るのはいいけど……結構敏感な箇所だから、お布団に行ってからにしよっか」
「触ったら痛いですか」
「いや?ぞくぞくしてそわそわして落ち着かない感じになる。お尻の辺りがむずむずしてなんとなく座りが悪くなるというか」
「……俺が八木様に触られてる時と一緒です」
それは不快ってことかい?!と八木がどう聞き返そうか迷う間に消太はぽふりと八木の胸に顔を押し当てて呟く。
「むずむずするのに、触られてると段々に気持ち良くなってきてわけがわからなくなっちゃうやつ、です、よね?」
ぱっと顔を上げた消太の目は期待に満ち溢れてきらきらと輝いている。
「俺も八木様のこと気持ち良くできるよう、頑張ります」
それは嬉しいけれどそうじゃなくて、触られたら多分悶々としてどうにも我慢できなくなって、でもまだ消太の体に負担だから二晩連続で交わるなと修善寺にはきつく釘を刺されていて、そして酔っ払った消太はいつもより素直でふわふわとしていて、可愛い。
(頑張れ私の忍耐)
寝所に消太を抱き上げて運んだ八木は胡座を掻いた太腿の上に消太を乗せて、おっかなびっくり伸びた立派な角に手のひらと指を滑らせてうっとりと遍く撫で摩る消太の手つきに漏れ出そうになる声を抑えながら、ひたすらに消太の体内から酒精が抜け出るのを待ち、無自覚煽りの愛撫に耐える時間を過ごした。
やがて八木に凭れて眠りこけた消太が翌朝何ひとつ覚えていなかったので、厳重に封印をして飲んではいけない酒は再び食糧庫の奥深くに戻されることとなった。
「これは、君がもう少し私に抱かれ慣れたらね」
八木はやっと肩の荷が降りたと言いたげに戸棚を閉める。
「……修善寺様は二晩連続はいけないと仰いましたが、その次の朝もいけないとは仰っておりません」
「明るいうちに交わったら、君の弱いところ全部私に見えちゃうよ?」
「俺は夜の闇の中のあなたも美しいと思いますが、陽の光を受けた鱗の輝きの美しさは朝ならではだなと思います」
天然なのか、確信犯か。
今朝は酔っていないのに真っ直ぐに伝える消太を掻っ攫い、八木は一目散に寝所へ舞い戻った。