……動悸。息切れ。目眩。発熱。
意識の混濁。
「 うわ……ウソでしょ……やっとオフ、なのに…… 」
言葉と同時に、ばったりと玄関先に倒れ込む。春の番組改変シーズンで忙殺され続けて、やっと確保したまとまった休み。
会えなかった期間の分も、ゆっくり大切なひとのそばにいたい。
そう思っていたのに。
この体調では、それどころではなくて。
最悪、感染の可能性があることを考えると、心細くても呼ぶわけにはいかなかった。
どうにか、キッチンまで這いずって行って。
冷蔵庫からコーラとミネラルウォータを取り出すと、壁伝いに寝室に向かった。
やっとのことで上着を脱ぎ、ペットボトルをサイドテーブルに置いたところで、今度こそ力尽きた。
……あつい。いきがくるしい。
なんでこんなことになったんだろ。
せっかくの休みなのに。
せっかく、あの子に会えると思ってたのに。
……くやしい。
浅い呼吸に混じって、こほこほと咳が出る。
喉の痛みも強くなってきて。
ああ、風邪ひいたんだな。
と、ぼんやり思った。
けれどそんな思考も、熱に溶けてしまって。
「 会いたいよぅ……せん、くう、ちゃん…… 」
浮かされるように、ちいさくつぶやく。
そしてそのまま、意識を失った。
……冷たい。きもちいい。
誰かの手が、額に触れている。
とてもおおきくて、少し荒れていて、でもやさしい手。
コトコトと、何かが煮立つ音が遠くで聞こえる。
額に触れた手がすっと離れた後、首を持ち上げられて。
ひんやりとしたものが、首筋に触れた。それが、じんわりと首の熱を吸い取っていく。
再び手が離れたところで、遠ざかろうとする気配に手を伸ばした。
力の入らない指先で、おそらく手の主の着衣と思われるものを引っ張る。
「 あ"あ、起きたのか」
囁くような、やわらかい、耳に心地のいい声音で、それが誰であるか悟った。
「 ……せんくう、ちゃん……?なん、で、ここに……?」
「 電話にもメールにも反応ねぇし、GPSの反応はマンションだしで、なんかあったんじゃねぇかと思って来たらテメーがベッドでヘタってた」
おら、起きたんなら飯食え。
そう言ってゲンを助け起こすと、千空は台所からあたたかな湯気の立つ土鍋と取り皿、水を持って来てくれる。
そうして、それをサイドテーブルに置くと、まずは水を差し出した。
グラスの水を飲み干すと、ようやく人心地つけた気がした。
「 んじゃ、次は飯な。……ほら、口開けろ」
「 んえぇぇ⁉︎ じ、じじじ自分で食べられる!食べられるから!」
動揺のあまり奇声を発するゲンを手で制して。
「 さっきまでテメーで起き上がれもしなかったヤツが何言ってやがる。……オラ、口開けろ」
厳しい目で言われて、ゲンはしぶしぶと口を開けた。
「 おう、いい子だ」
そう言ってかるくわらいかけると、千空は、おじやをレンゲにすくって、ふうふう、と冷ましてからゲンの口元に運ぶ。
……これ、嬉しいけどゴイスーはずかしい……あと千空ちゃんの顔が近い。顔が良すぎてこんなのしんじゃう。
そう胸の内でひとりごちながら、おじやを食べた。
はずかしさのあまり、味はよくわからなかったけれど、あたたかくて、とてもやさしい味がした。
食事を終えて、置き薬を飲むと、千空は再びゲンをベッドに横たえた。
そうして肩まで布団をかけると、ぽんぽん、とちいさい子にするように布団の上から胸を叩いた。
「 薬も飲んだことだし、今日はもうこのまま寝ちまえ」
その言葉に、帰ってしまうのかと急に心細くなって、千空を見上げる。
「 ……千空ちゃんは?」
「 あ"ぁ?……テメーの看病して飯食って寝る。そこのソファ借りんぞ」
あと、俺が寝たあとなんかあったら携帯鳴らせ。
こともなげにそう言われて、目頭が熱くなった。……やはり熱で気弱になっていたのかもしれない。
「 あのね、千空ちゃん」
「 あ"ぁ?」
「 今日は、ありがとね」
本当は、いつもありがとうと言いたいけれど。
千空はきょとんとして、そのあと一拍置いて、おおきな手であたまを撫でてくれた。
「 ばーか、んなこと気にしてる暇があったら、さっさと寝て風邪治せ。
こちとら優秀な助手様が寝込んでてドイヒーなんだわ」
口真似を交えて、軽い口調で告げられる内容が、やさしくて。うれしくて。
「 じゃあ、熱が下がったらじゃんじゃん手伝うね」
空元気でそう言った。
「 おう」
頷いて、千空はもう一度、やさしくあたまを撫でてくれた。
今度は、ふわふわとやわらかな温度に溶けるように、穏やかな眠りに落ちた。……起きたらまた、彼の顔が見られる。そう思うと、風邪も悪くないような気がした。