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    アネモネ DU*TCE*L 善獪 欠損 三日振りにおはようと声を掛けた兄弟子の右腕はもぬけの殻になっていた。どうしたの、それ。擦り傷や切り傷なんかよりもずっと平熱の問いかけになってしまったけど、彼にはそれくらいがちょうどいいと思われた。大仰な反応を返せば、かえって彼が恥をかくということを俺は心得ていたのだ。
     どうしたの。ごく自然に、まるで探し物をしている子供の様子を見て心配し、言葉を掛けた親のように。どうしたの。ごく普通に、まるで大きな池のある公園の散歩道を並んで歩いていたら、ふと鴨がすいと泳ぐ姿を見かけ、思わず立ち止まったときのような声色で。どうしたの。その五文字に体温は灯らない。ただ、何があったかを訊ねたいだけ。何があったかなんて、一目瞭然だったのに。それでも訊かなきゃいけないような気がした。今訊いておかないと、これから先一生訊けないような気がしたのだ。
     獪岳の右腕は、肘から下が失われていた。
     ああ、ちょっとな。獪岳は何でもない様子でそう返した。なんとなく、がらんどうという言葉がよく似合う返事だった。だって、獪岳の肘から下には何もない。刀を握れなくなってしまった獪岳は、どうしたの、なんてなんでもないような俺の質問に対して、ああ、ちょっとな。などと生ぬるい返事を寄越した。いや、曖昧すぎて返事にもなっていない。言葉のようなものの、ただの切れ端。ああ、ちょっとな。なんて、そんなガラクタみたいな言葉で、獪岳は俺の心配を片付けようとした。どうしたの、それ。ねぇ、どうしたのってば。言葉を荒げて、怒りを剥き出しにして、両手で獪岳の肩を揺さぶって、責め立てたかった。きっとそれは簡単なことなのだろうと思った。だけどそんな簡単なことできっと今の獪岳はいとも容易く傷つくのだろうと思った。傷つけてもいいから、獪岳をこんなにした鬼を殺してやりたいと思った。
     突然、横隔膜の後ろ側から冷たい空気がひゅっと雪崩れ込んできて、失っていた冷静さを取り戻すことが出来た。危なかった。横隔膜の不思議な感覚がなければ、また昔のように殴り合いの喧嘩へと発展しているところだった。本当に危なかった。今そんなことになっても仕方ない。だって、もう対等に喧嘩なんて出来なくなってしまった。きっと俺は、獪岳との喧嘩に本気で応じることなど二度とないよ。獪岳は腕を失ってしまった。俺が鬼を斬っているときも、俺がビービー泣きながら鬼の攻撃を避けているときも、俺が奇跡的に鬼を追い詰めているときも、獪岳は刀を握ることが出来ない。俺は対等に戦えない相手を一方的に虐めるようなことはしたくなかった。だからもう二度と獪岳と喧嘩は出来ないと思った。だけど、本人に向かってそう言ったらきっと、獪岳は怒るんだ。俺は知ってる。獪岳へ何かを訊ねるときは、どうしたの、それ。がちょうどいいということを、俺は知ってる。なんだかもう、それだけで充分な気がした。
     短くて太い指。大きい掌。水かきのそばにたくさん並んだ血豆をひとつひとつ、愛おしげに眺めては軟膏を塗る。触れられた手元を見るのはこそばゆいのか、獪岳は俺が手当をしている間じゅうずっと窓の外に目を遣っていた。
     獪岳の左手はいつもぼろ切れのようになっていて、無理をしないよう何度も蟲柱から注意を受けていた。っていうか、いよいよ俺が怒られはじめている。彼、言っても聞かないんです。あなたから言ってもらえますか、だってさ。心配掛けるなよな。ただでさえ余計な心配掛けてんだから、これ以上みんなの心労増やすなよ。
     だけど今の俺に、直接そう言えるほどの勇気はなかった。何度も治りかけては潰れた血豆が、痛々しくて見てられない。どうせ軟膏を塗ったり包帯を巻いたりしてもすぐにまた悪化して、黄色い汁まみれになって、包帯が蒸れて、いやな匂いになるんだ。ただでさえ右腕も膿まないよう定期的に包帯を変えなきゃいけないのに、左手まで壊そうとしているようにしか見えない。一見すればただの狂人だ。右腕が治るまで安静にしてろって言われてたくせに、何してるんだって思う。でも、獪岳の焦る気持ちだって理解出来てしまう自分がいて、もうよくわからないけど、やりたいようにやらせてあげなさいってじいちゃんも言ってたから。俺は自分の信じた人が言ってたことを信じることにした。だから俺は今日も蝶屋敷からくすねてきた軟膏を塗る。残された左腕。最後の手。刀を握ることが出来る、唯一の掌。
     まるで花の蕾のように、そこは口を噤んでいく。内へ内へと丸まっていくように、端から肉がせり上がっていって、最後に骨を覆う。断面は決してきれいなものではなかった。普通は、例えば刀のような鋭利なもので斬られたのであれば、神経さえ繋がれば再び動くようになることもあるのだという。でも獪岳の場合は違う。肘から下が食い千切られ、咀嚼し飲み込まれたあとにようやく他の隊士が斬った。鬼の体内に取り込まれてしまったあとの腕は、鬼の消滅と共に消えていったらしい。隠が作った木製の義手も提案されていたが、獪岳は重くなると言って断っていた。音柱ですら腕を失い隠居したというのに、わきまえるという言葉を知らんようだ、あいつはどうやらまだ刀を握るらしい、失ったのは利き腕だというのに、任務に復帰するころには階級も地に落ちてるだろうよ、頼むから俺とは組まないでもらいたいね、こっちは命も腕もまだまだ惜しいもんで。みんな好き勝手に自由なことを口にする。獪岳は毎日、中庭で木刀を振りながらもうしろ指をさされ続けていた。聴こえていないはずはなかったけど、こういうとき聴かないふりをするなんてさ、意外と世渡りじょうずなんですねぇ、昔と違って。俺は脳裏に浮かんだかつての兄弟子の姿と今を比較し、すこしだけ感心していた。
     隠としてなら復帰できる任務があるみたいなんだが、どうする。いつもよくしてくれる隠の人から打診されたので、なんで俺に訊くの、って言ったら、だってあいつ話しかけてもすぐ睨むんだもん、だってさ。でもやっぱり俺からは話せないのでどうにかこうにか頼み込み、来週いっぱいまで厠掃除を代わるという約束を代償に、後藤さんから話してもらった。しかし、答えは意外なものだった。
    「てっきり断ると思ってた。ばかにするな、俺はまだ戦えるって怒りださないか心配してた」
    「俺がどういう扱い受けてるかくらい、自分でわかってる。正攻法でわからせるったって機会がねぇからな。まずは戦場へ飛び込んで結果を出してやる。一か八かだ」
     どうやら、隠として戦地に赴き隊士として戦う心づもりらしい。なるほど、聡明で堅実な兄弟子様の考えることはまことにご立派なことですね。現場を指揮する柱に迷惑が掛からなければいいのだけど。というか、隠なのにどうやって刀を持っていくつもりなのだろうか。
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    kikhimeqmoq

    DONE2020/01/21 慶長禪五(伏五)。ご先祖の御前試合の話なので、ほんのり匂わせ伏五です。禪院が年上で28歳、五条が年下で15歳。しぬ方の話です。こんな風に笑うことがあるのだと初めて知った。

    五条の知る禪院は薄い唇をムッツリと閉じ、切れ長の目を剣呑に光らせていた。笑顔といえば薄笑いか嘲笑いがせいぜいで、口を開けて笑うところなど、15歳のこの日まで一度も見たことは無かった。

    今はどうだ。五条が新しい術式をもって打ちつけるたび、新しい玩具を手にした子供のように目も口も丸くして喜んでいる。

    会えば喧嘩ばかりしていた。お互い御三家嫡男として幼い頃から関わりがある。しかも自分は禪院よりも十も年下で、物心がついて気がつけば既にそこにいる者として存在していた。いつ会っても目障りな存在として。

    幼少であろうが年が離れていようが年上なはずの禪院は若い五条を煽り、手合わせだといって打ちのめした。五条が成長し、いつか禪院を超えるのだと鍛錬しても、こいつはこいつで式神や術を増やした。

    お互い長じて嫡男となり、家と家との都合で顔を合わせれば、容赦のない突っ込みばかり。口数こそ多くはないが、五条の隙を見つけてはロクでもない意見を披露した。五条が怒りで顔を赤くすれば、禪院は涼しい顔で薄く笑う。かなり腹が立った。が、その流し目は美しいと思っていること 4260