初恋を忘れる 御影玲王が、倒れた。
潔世一がその事実を知ったのは玲王が病院送りになってから数日後の話であり、どうやら彼はかなり回復したようだった。青い監獄のメンツと久々に顔を合わせたいという気持ちもあったので、簡単に連絡のついた蜂楽と國神を誘って見舞いに行くことにした。病院に併設されている花屋で見舞いの花を見繕ってもらい──潔には手渡された花束の花の品種が分からなかった──、蜂楽は山盛りの果物、國神は小さめのショッパーに入ったお菓子を持って彼のいる病室へと足を運んだ。久々に顔を合わせるので話はよく弾む。後で飲みに行こうぜなんて話しながらエレベーターまで向かっていると、大きなメロンを抱えた斬鉄と、細身の花束を片手に持った千切と会った。彼らも玲王の見舞いに来たらしく、ちょうど病院のロビーでばったり会ったのでここまで一緒に来たと言うことだった。
思いがけず大所帯になり、邪魔にならないように固まりながら廊下を歩いていく。玲王が入院するようなところなので、多少大柄なスポーツ選手が並んでも窮屈そうにならなかったのが助かった。
病院特有のスライドドアを開けると、一人用の病室を贅沢に使っている玲王がいた。窓際に設置されたベッドに半身を寝かせて、本を読んでいる。ブックカバーに隠されて題名は分からなかった。よくもまあ、絵になるものだ。伏せられた目は怪我した影響か少し憂いを帯びているような気がして、彼の美しさをより引き立たせていた。近くでこんな美人を見ていたら凪が面食いになるのも頷ける。潔は試合があって来られない玲王の恋人を思った。
ふと、潔は違和感を覚えた。それは砂粒の如く些細なことのようでもあり、世界が滅亡するくらいに大事でもあるような。彼を構成する何か大切なものが欠けている、そんな嫌な質感を感じていた。
玲王は入ってきた潔達に気がつくと、本に素早く栞を挟んで嬉しそうな顔をしてくれた。
「来てくれたんだな! せっかく寝るしかやることないんだから色々やろうと思ってたのに、医者から止められてて暇なんだよな」
来てくれて嬉しい、と語る姿はあまりにもいつも通りで、潔は安堵の溜息をついた。入ってこいよ、という彼の言葉に従って病室の奥の方へと向かう。
近くに寄ってきて気がついた。栞だ。玲王は読書のときはいつも凪から貰った栞を使っていた。玲王をイメージしたのか、菫の花が切り抜かれている金属製の小さな栞だ。貰ったときはそれはそれは大層喜んで、手帳に挟んでいつも持ち歩いていた。
だが、今読んでいる本に挟まれている栞はそれではなかった。紫色の紐がついたシンプルかつ上品なデザインで彼らしいが、同時に凪からのプレゼントを使わないのは彼らしくなかった。
問いただそうと、潔は口を開いた。なんでもないことを聞くだけなのに、緊張で口はからからに乾いていた。どうかこの嫌な予感を否定してほしかった。
「玲王お前……凪から貰った栞はどうしたんだよ」
「は? 凪って誰だよ」
嫌な予感は、残酷なまでに的中した。
一番最初に冷静になったのは千切だった。すぐにナースコールを使い事情を説明し、精密検査をすることになった。当然面会は謝絶。一応手土産だけ置いた一行は、不安の残るまま帰路につくことになった。
飲みに行こうぜとは誰も言い出せなかった。
***
どうやら玲王は、少しばかり記憶を失ったらしかった。具体的に言うと人ひとり分を。綺麗サッパリと。
サッカーを続けることにはもう反対しないから、どうか記憶がちゃんと戻るまでは休止してくれと懇願してきたのは玲王の両親だった。千切や國神に潔、果てには蜂楽まで口を揃えて完治するまでサッカーはやめておけと言うので、玲王としては強く反対する理由もないまましばらくお休みしますとマネージャーに伝えた。ここまで皆が口裏を合わせてサッカーから遠ざけようとすると、サッカー関連の人間を忘れたのだろうなということは容易に想像がついた。
これからしばらくは、サッカーと関係ない日々を過ごす。
はっきり言ってとても退屈。
***
とはいえ、サッカーを完全に断った生活をするのは難しい。「青い監獄」による空前のサッカーブームは連日テレビを賑わせているし、SNSのおすすめ欄には必ずサッカーのことが載っているし、ニュースアプリを開けばトップニュースのランキングには何かしらが入っているし、You Tubeを開けたら急上昇に必ず一本は動画が入っている。
もしかしたら記憶の糸口があるかもしれないと、気が向いたときに確認することもあった。潔はラフプレーをしてきた選手にレスバトルを仕掛けて相手を泣かせているようだ。あいつらしいなと笑みがこぼれた。
You Tubeというものは、最後に関連するトピックの動画をいくつか表示する。あれもこれもと見ているうちに時間はあっという間に過ぎていく……という戦略だ。
そこに、ひとつ気になる動画があった。「凪誠士郎スーパープレー集④」。凪誠士郎というサッカー選手についている熱心なファンが作成したまとめ動画のようで、一週間前に作られたものにも関わらず既に再生数は100万回弱もあった。
④ってなんだよ、たっぷり15分あってそれが4本もあんのか? そんなにもスーパープレーを連発できるなら苦労はない。半信半疑で玲王はその動画を再生した。
────────それは動であり、静であり、剛であり柔であった。しなやかな身体は本当にばねを内蔵しているかのように縦横無尽に跳ね、一度ボールを手中に収めようものならその神がかったトラップ技術で誰にも触れさせずにゴールへとボールを蹴る。同じシュートコースは一つとしてなかったが、それは彼がまだ自分が最高のパフォーマンスを発揮できるシュートの打ち方を知らないということではなく、その場で即座に発想するアイデアの無尽蔵さを思わせた。
この才能が欲しい! 玲王にはこの才能が最高に活かせるのは自分の元だという、傲慢にも似た確信があった。