神様の忘れた契約の話・2 目を覚ました時、自分がなぜここにいるのか思い出せなかった。
太陽は高いところまで登っていて、どうやら今は昼であるらしい。感覚としては数時間眠ったはずだから、昨日の夜に意識を落として今ここで目覚めたのだろう。
身体は草の上に横たわっていた。鼻孔を甘い香りがくすぐる。近くに花でも咲いているのだろう。その香りを運んできた風は生ぬるく、眠気を誘ってくる。ふわぁと欠伸をして、ダメだと自分を叱咤する。このままでは誘惑に身を委ねて目を閉じてしまいかねない。そうしたら、次はいつ目覚められるのか自信がなかった。
身体を起こして辺りを見渡す。どこまでものどかな平原が広がっていた。遠くにポツポツと大きな岩が見える。岩といえば璃月だから、ここは璃月のどこかだろうかと適当な考えが頭によぎった。
「公子殿」
落ち着いた耳障りのいい声が聞こえてきた。声の方に視線を向けると、黒い髪の美丈夫が立っていた。手を後ろで組み、少し腰を屈めてこちらを見下ろしていた。
「鍾離先生」
かの人の名前を呼べば、彼は小さく頷いた。
「意識ははっきりしているようだな」
何かを一人で納得した様子に、むっと顔をしかめる。この男はそういうところがある。人と考え方がずれている所為か、こちらをおいてよく分からないことを言い出すのだ。彼の中では完結しているので、乞わなければその思考の道筋を知ることは叶わない。
「ねぇ、これどういう状態?」
「すまないが明かせない」
鍾離は告げた。悪いと言うわりには悪びれる様子はなかった。いつも通り涼しい顔のまま視線を明後日の方向に向けると、指でそちらを指し示した。
「あちらへ行くといい。おまえが求めるのはそういう道だ」
「勝手に決めないでくれるかな」
口ではそう言ったものの、この場は鍾離の言葉に従うのが最善であると直感した。何度も己の命を救ってきた戦士としての直感だ。信ずるに値する。
ひとまず立ち上がった。手足を軽く動かしてみる。五体は満足だ。何があっても対応できるだろう。いつも使っている弓を取り出そうとして、失敗した。首を傾げながら水元素を操り短剣を作り出そうとしたが、これもうまく行かなかった。そもそも、水元素とは何だったろう。どうしてそれを操れると思ったのだろう。
「先生、何か変だ」
「そうだろうな」
何がと問うこともなく、あっさりと鍾離は違和感を受け入れた。それを感じる当人でさえ、何に対する違和感なのか理解しきれていないのに。
「だからこれを渡しておこうと」
そう言って鍾離が取り出したのは一本のナイフだった。受け取ってみると妙に手に馴染む。ずっと前にもこれを手にしたことがあるような気がする。
「ありがとう。これで大丈夫そうだ」
何もかもが上手くいくような気がした。たった一本のナイフが■■■の代わりになるはずもないのに。
「ああ。おまえなら大丈夫だろう」
「うん。だからもう行くね」
鍾離は頷いた。うっすらと笑みを浮かべて。
「ひとつだけ忠告だ。公子殿。決して名を奪われぬように」