お題「仲直り」 最近、赤井の様子がおかしい。
ふとしたときに、降谷は赤井の鋭い視線を感じるようになった。
ここ最近、組織の残党に動きがあり、緊張を強いられる仕事が続いていた。そのため、赤井も気が立っているのではないかとはじめは思った。だが、赤井がこうした視線を向けている先に、どうやら必ずといっていいほど自分がいるようなのだ。
他国の捜査機関の人間。自分の部下たち。公安の上層部。警察庁内で降谷が会話を交わす人間は多いが、降谷が誰と話していても、赤井の視線はまっすぐこちらへと向けられている。降谷以外の人間同士が会話をしているときは、赤井の視線は普段通りで、これといった変化はない。つまり、赤井のこの変化は自分が関係している、ということになる。
会話のなかで自分が口にした言葉を降谷は度々反芻したが、赤井とは関係のない話題ばかりだ。仕事の話ですらない。
他国の捜査機関の人間とは、和食の話で盛り上がり、今度、有名な料亭へ案内することが決まった。自分の部下たちとは、週末、久しぶりに居酒屋に飲みに行くことになった。公安の上層部からは、見合いの話を持ちかけられている。結婚に興味はないが、よほどのことがない限り、断るのは難しそうだ。
組織が壊滅したとはいえ、残党はまだ世界中に散らばっている。そんな状況で、仕事以外のことに時間を割いている場合ではない。赤井からそんな風に思われているのではないかと考えたこともあった。だが、赤井は赤井で、FBIの仲間たちと度々飲みに行っていることを考えると、その可能性は低そうだ。
なぜ、最近になって、赤井は変わってしまったのか。
きっかけも思い至らず、考えれば考えるほど、わからなくなってゆく。そして日が経てば経つほど、赤井の視線は険しくなる一方だった。
赤井とは因縁もあったが、これからは互いに友人として、より良い関係を築けるものだと思っていた。だからこそ、今のこの状況は、降谷にとって耐えきれるものではなかった。
「僕と……仲直りしてくれませんか?」
「仲直り?」
「……ええ。あなた、ずっと僕に怒っているでしょう?」
休憩室に赤井と二人きりになったタイミングで、降谷は覚悟を決めて赤井に告げた。怒っている、という表現は少し違う気がしたが、それ以外にふさわしい言葉が見つからなかった。赤井は頷くことも首を左右に振ることもせず、黙って何かを考える素振りをみせた。
「……」
「あなたがなぜ怒っているのか……僕にはまったく見当がつきません。僕に直すべきところがあるのなら教えてください」
降谷は頭を下げた。あの赤井が、感情を露わにして自分を見ていたのだ。自分はとんでもない失態をおかしているのかもしれない。そう思うと、頭を下げずにはいられなかった。
だが、予想に反して、赤井の声音は優しかった。
「君に直すべきところなんてひとつもないよ」
降谷が頭を上げると、赤井は視線をやわらげてこちらを見ていた。
「それならどうして……あ、もしかして僕には話せない理由でも?」
「……」
再び、赤井は考える素振りをみせはじめた。静寂に耐えきれず、降谷は口を開く。
「……あなたが話したくないのであれば、言わなくて大丈夫です。でも、僕はあなたと友人でいたいんです。どうかこれまでのことは水に流してくれませんか?」
一瞬、赤井の目が吊り上がったように見えてドキッとしたが、赤井は自分の提案を受け入れてくれた。
「わかったよ、降谷君」
「ありがとうございます。罪滅ぼしではないですが、僕にできることがあれば何でも言ってください」
「それなら、君に頼みがある」
赤井が笑みを浮かべて言った。久しく赤井が微笑むのを見ていなかったので、安堵の気持ちが湧いてくる。
「頼み?」
「今度の土曜日、一緒に飲みに行ってくれないか?」
「今度の土曜日? 確かその日は予定が……」
「……そうか」
今度の土曜日は、風見をはじめとした部下たちと居酒屋に飲みに行く予定になっていた。自分が参加することは滅多にないので、彼らが嬉しそうにしていたのを思い出す。だが、自分にできることがあれば何でも言ってください、と言った手前、断ることはできない。
それに、赤井の顔から笑みが消えていくのを見ていると、ここは承諾する以外の答えはない気がした。
「……あ、僕の勘違いでした。その日は休みで、特に予定はありません」
「……そうか。では楽しみにしているよ」
赤井の顔に笑みが戻り、降谷は安堵の息をついた。
「降谷さん、最近、休日もお忙しそうですね」
「ああ、まあな……」
風見の言葉に、降谷は口を濁す。
あの日から一ヶ月。赤井からは頻繁に誘いの連絡が来るようになった。
しかも、誘いが来るのは、たまたまなのか、すでに何らかの予定が入っている日時だ。
決まっていた予定は、次々に赤井によって塗り替えられていった。
赤井との約束を優先しているので、降谷は決まっていた予定を仕事を理由にして断っていた。そのため、風見の目には、自分が休日も仕事で忙しくしているように映っているのだろう。
この一ヶ月。赤井以外の人間と、プライベートの時間でかかわることが一切なかった。今の自分は、仕事と赤井を往復しているようなものだろう。おそらくは赤井も、似たようなものなのかもしれない。最近、FBIの仲間たちとも飲みに行っていないようで、「シュウ、最近付き合い悪いのよね」とジョディたちが漏らしていたのだ。
「最近、ずっと僕と一緒にいますけど、あなたはそれでいいんですか?」
週末。降谷の自宅で食事をしているとき、降谷は思い切って赤井に問いかけてみた。赤井は考える素振りをひとつもみせずに即答した。
「ああ」
「この前まで、僕はあなたに嫌われているのかと思っていました」
「俺が君を嫌うなんてあり得ないよ」
その言葉に安堵するが、同時に、赤井から鋭い視線を向けられていた日々を降谷は思い出す。今はもちろん、そんな視線を向けられることはない。
「じゃあ、どうして……って、これは聞かない約束でしたね」
せっかく仲直りできているのに、あのときの話を蒸し返すのはよくない。降谷が言葉を引っ込めると、赤井がひどく驚いたような声で言った。
「まさか、君……まだ気づいていないのか?」
「え?」
降谷は驚いた。まだ気づいていない、とはいったい何のことだろう。
「俺が君の予定を、ことごとく潰している理由をだよ」
「……ただの偶然かと思っていたんですが、もしかしてわざと?」
「ああ」
「どうして、あなたがそんなことを……」
衝撃的な事実を告げられて、降谷は混乱した。
真剣な目をしている赤井と目が合う。赤井は冗談ではなく本気で言っているのだろう。
そして、赤井からのカミングアウトは、これだけでは終わらなかった。
「君は勘違いをしている」
「え?」
「俺は君に対して怒ってはいない。……怒っているのではなく、嫉妬していたんだよ」
「嫉妬?」
「君を他の人間にとられるのが嫌でね」
赤井の言葉に、降谷は全身がゾクゾクし、熱くなるのを感じた。
嫉妬。果たしてそれは、友人に対して抱く類の感情なのだろうか。相手が親友ならばそんなこともあるのかもしれないが、降谷にとっては馴染みのない感情だ。
他の人間にとられるのが嫌ということは、つまり、赤井は自分を独り占めにしたいと思っているということになる。
赤井の鋭い視線は、自分にではなく、自分と話している人間に対して向けられていたものだったのだ。だが、そこまで苛烈な感情を、赤井が抱く理由がよくわからない。
「……あなたはいったい、何を考えているんですか?」
声が震える。おそるおそる問いかけると、赤井は優しさのなかに強かな意志を覗かせて言った。
「“仲直り”を理由に、君と“仲良く”なりたかったんだよ。もちろん友人としてではなく、それ以上の特別な関係としてね」