今日は蛍とパイモン、監督した公演が終わって暇をしていたフリーナを誘って、最近発見された遺跡の中にある秘境は宝箱が豊富で敵も然程強くなかった為少し油断していたらしい。
「蛍!危ない!」
秘境の最奥の部屋で宝箱の中身を物色していた時、不意にフリーナに突き飛ばされ、床に転がる。
「フリーナ!一体なにす…」
急な襲撃で受け身すら取れなかった体を僅かに起こしてフリーナに視線を向ければ青色の光線が彼女に当たり、姿が搔き消え、着ていた服が床へと落ちていった。
「そんな…!?」
「フリーナ…?」
驚愕するパイモンの声と呆然とする蛍の声が伽藍堂の空間に響く。
「なあ、蛍……フリーナはどうなっちゃったんだ?」
パイモンが不安げに蛍を見上げた。フリーナの服に近づく蛍に付いて来ようとするパイモンを手で制する。
「パイモンはここで待ってて。もしさっきの光が飛んできそうだったら教えて欲しいから。」
頷くパイモンを確認して慎重に近付く。
(フリーナは何処に…?)
消えてしまったんだろうか、それとも溶けて…?蛍の脳裏に原始胎海の事件が浮かぶが頭を振って思考の外に追いやる。
(落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。)
目を瞑り、心を落ち着かせてから視線を戻す。よく見れば服の中心が不自然に盛り上がっていて、もぞもぞと動いているのが分かり咄嗟に剣を構えた。
何かいる。息を潜めて、相手が出てくるのを待つ。
もぞもぞと動く塊はやがて服の裾から無防備に這い出して来た。
白に水色の混じったカールした長い毛並みに見覚えのあるオッドアイの子猫。
蛍は眉間を押さえてその名を呼んだ。
「もしかして、フリーナ?」
「……にゃあ。」
気まずそうに返事をした子猫を見た蛍はとんでもない事になったと天を仰いだ。
その後、三人は少し秘境内を探索した後、フォンテーヌ廷へと戻ってきた。
「結局、あの部屋では何も見つからなかったな。」
「そうだね。また明日探してみよう。」
パイモンと二人、雑談をしながら街の中を歩く。フリーナの自宅に近づくに連れて蛍に抱かれていたフリーナが何処かそわそわとして落ち着かない様子になっていく。
「どうしたの?」
蛍がフリーナに問いかけるのとほぼ同時フリーナが暴れ出す。
「フリーナ、暴れないで!」
じたばたと藻掻いたフリーナは子猫とは思えない力で蛍の腕を振り払い一目散に逃げ出した。
「フリーナが逃げた!」
パイモンが大声を上げる。
フリーナが逃げた先には子供が集まっていた。
「あー!猫ちゃんだ!」
「え?あ、ホントだ!」
「捕まえろ―!」
楽しげな声を上げながら子供達はフリーナを追いかけ始める。
「おい!まずいぞ!」
蛍とパイモンも大慌てで駆け出す。前には子どもの集団、後ろには蛍とパイモンが迫ってきた恐怖からかフリーナは近くの植え込みの中へと飛び込んだ。
「おーい、フリーナ。出てこいよ―」
「フリーナ、大丈夫だから出ておいで。」
蛍が植え込みの隙間から手を伸ばせば伸ばすほどに奥へ奥へと後ずさるフリーナ。
「仕方ない。少し出てくるのを待とうか。」
立ち上がり衣服に付いた汚れを叩きながら蛍はパイモンに言った。
「そうだな。この状態だと出てきてもあいつらにまた追いかけ回されそうだもんな。」
先程までフリーナを追いかけていた子供達は植え込みを覗き込んでは手を突っ込んでいた。
「あれじゃフリーナも出てこられないだろうしな。」
二人は疲れた顔で頷きあう。
「何かあったのか?」
不意に声をかけられ、二人は飛び上がった。
「すまない。驚かせるつもりはなかったのだが。」
聞き覚えのある声に振り向けばこの国の最高審判官であるヌヴィレットが立っていた。
「いや、こっちこそ驚いて悪かったな。ヌヴィレットは休憩中か?」
「ああ。気分転換の散策も兼ねて市民からあった通報を元に街の巡回をしている。」
「通報?なんのだ?」
「かの有名な旅人と白いお供が他人の家の植え込みに這いつくばって手を突っ込んでいる。何かあったのではないかと。」
二人は気まずそうに顔を見合わせた。
「どうやら間違いはないようだな。」
植え込みに群がる子供と二人を交互に見比べながらヌヴィレットは頷いた。
「ま、待ってくれ!これには深い訳があるんだ!!」
慌ててパイモンが説明を始めた。
「なるほど、理解した。これ以上、人目につくのもあまり良くないだろう。」
ヌヴィレットが横目で周囲を見回せばちらほらと野次馬が集まり始めていた。
「パイモン、蛍。彼女のことは私に任せてくれないか?」
「おう!頼んだぞ!」
ヌヴィレットは植え込みに静かに近づき杖を突いた。ヌヴィレットを中心として幾何学模様が現れ、蛍とパイモン、植え込みを半透明の薄青の幕が覆った。
「フリーナ殿。音を遮る結界を張った。この中ならば私とこの二人の声以外は聞こえないはずだ。安心して出てくると良い。」
ヌヴィレットが優しい声でそう言うとカサカサと植え込みを掻き分けて小さな猫が顔を覗かせる。
「息災だな、フリーナ殿。」
「にゃー…にゃにゃ?」
「そうだ。この状態であれば多少は落ち着いて話もできるだろう。」
「にゃあ…にゃあ」
「蛍、パイモン、迷惑をかけてすまなかったと言っている。」
当たり前の様に会話をする二人に蛍とパイモンは口をあんぐりと開けた。
「わかるのかよ!?」
パイモンの言葉に蛍も頷く。
「神の目を通してフリーナ殿の考えていることを読み取っている。」
「にゃ!?にゃー!にゃにゃ!(な!?君そんなことしてたのか!淑女の表層心理を読むなんて紳士の風上にも置けないぞ!)」
「ふむ。確かに紳士としては些か配慮に欠ける行いであることは認めるが緊急事態であった為、謝罪の必要はないと考えている。」
「にゃ!にゃー!(まったく!君ってやつは!)」
「それより、君は行く宛があるのか?」
露骨に話を逸らしたな…と蚊帳の外になっていた蛍とパイモンは思った。
「にゃー!にゃー!(決まってるだろう!家に帰るんだ!)」
「鍛冶屋の音や子供の声に驚いて逃げ出した君があの家で心穏やかに暮らせるとは思えない。…そういえば、猫は人間の三倍の聴力があると聞いたことがある。」
「そんなに耳がいいの?」
蛍が驚いた様に聞いた。
「フォンテーヌ科学院の研究データが正しければ特に高音域の聞き分けに優れているらしい。」
「なるほどな!だからフリーナは逃げ出したのか!」
パイモンが納得したように手を打った。
エスタブレの工房は機械が全ての仕事を担っている。機械の稼働音も鍛造中の鉄を打つ音も人間より余程耳のいいらしい猫ならば、より大きくはっきり聞こえていても不思議ではない。子供の声も人間の聴覚でも甲高く聞こえるならば高音域が得意な猫ならばより鮮明に聞こえていたことだろう。
「うわぁ、なんだかそれってちょっと嫌だな…」
聴力が三倍になったのを想像して身震いしたパイモンの言葉に蛍も同意を示すように頷いて見せる。
「フリーナ殿、一時的にでもパレ・メルモニアに戻ってこないか?」
ヌヴィレットの提案は至極真っ当なものだった。
「にゃう!にゃにゃー!(嫌だ!僕は一人でも大丈夫だ!)」
ブンブンと何度も首を左右に振るフリーナ