クロロレワンドロワンライ第55回「きょとん」 ベルグリーズ領侵攻に失敗した場合どんな事態に陥るのか、については円卓会議で散々話し合った。再びミルディン大橋を奪われたらアミッド大河沿いの領主たちは家を取り潰されるだろう。一度は許されても二度は許されない。何度でも許すとなっては帝国という国の基礎が揺らぐ。
撤退する際に追撃され再びミルディン大橋を占拠されそうになったら、アミッド大河沿いの領主たちを守るため最初に提案したように大橋を完全に破壊し国境を封鎖する。クロードはこの戦いに勝っても負けても何かは得られるようにことを運んだ。しかしこんな風に勝敗自体を放棄する羽目になるとは考えていなかった。
東側の国境が封鎖できているという前提で作戦を立てた自分はどうやらフォドラに染まりすぎたらしい。滲み出る悔しさを誤魔化すためクロードは奥歯を噛み締めた。クロード、いや、カリードは物心ついた頃から未来の王として育てられたわけではない。母は後に正妃となったがそれは他の妃たちが争いで共倒れした結果だ。それなのに母が有力な豪族出身であるシャハドは行方不明となった弟の影と戦っている。
クロードたちは必死で東進した。気持ちは逸るが足も含めた身体はそう言うわけにいかない。着いた先で戦って勝つには休んで食べて眠る必要がある。それを重々承知しているシェズがクロードとローレンツに食事を振る舞ってくれた。
「ベルグリーズ伯が強い上に冷静だからこうして優雅に雉が食べられるってわけ」
同盟軍を放置すれば自分たちの代わりに勝手にパルミラ軍を撃退してくれるのだからベルグリーズ伯にはクロードたちを追撃する理由がない。敗走はしていないのでミルディン大橋に向けて歩兵を集合させる時間もある。完全に同盟領に入ったら移動が早い飛竜や騎馬の部隊をどんどん先行させることになるだろう。皿の中身を見るにどうやらシェズは歩兵を集合させるための待機時間中、レオニーと共に狩りへ行ったらしい。
「おや、これは……クロード、シェズさんに感謝したまえ」
クロードには自分の面の皮が厚い、という自覚がある。だが、共に食卓につく二人の姿を見て何故か心がじくじくと痛みを覚えた。短いながらもささやかな日常を共に過ごした彼らはクロードの好物をきちんと覚えている。死んでも消せない絆が残る血縁者はクロードの好物を覚える気がなかった。
「ヒルダの家が三人きょうだいなら私たちあのままベルグリーズ伯に勝ってたと思うのよ」
シェズはよく突拍子もないことを言う。何を言っているのか良くわからなかったのでクロードは口を噤んで説明を待つしかない。
「……一応、理由を聞かせて貰おうか」
雉肉を優雅な手つきで切り分けながらローレンツがシェズに問うた。もう慣れたのか、突飛な発想に対する動揺が手つきに現れていない。
「だってホルストさんがもう一人いれば片方は首飾りにいて貰えたでしょ?」
───兄弟とはそんな都合が良いものではない、ローレンツが呆れたように、そう言い返したのがクロードには意外だった。きょうだい仲が良好そうにみえるがグロスタール家にも何やら後ろ暗い話があるのだろうか。
「確かに時間稼ぎはしてもらえたかもしれない。だがヒルダさんが二人、という可能性だってあるだろう」
どちらが二人いても片方はきっと大変な筈だ。反射的にシェズとローレンツに引っ張られ、自分がそのように考えたことにクロードは驚きを隠せない。シェズの発想の時点でかなり危うかったがローレンツの意図せぬ追撃の効き目は抜群だった。きっと彼は単に言い返したかっただけでクロードを笑わせようとしていない。だからこそクロードは笑いを堪えることができなかった。
「あっはっは!なんだよ!本当にお前ら面白すぎるだろ!」
クロードはやはりフォドラの、というかレスターの人々が好きだ。彼らをありとあらゆるものから守ってやりたい。ひとしきり笑い涙を拭った後でクロードは真顔になった。
「何にしても今回のこの顛末、本当に申し訳なかった」
紫の瞳の二人はきょとんとした顔でクロードを見つめている。
「なんで?知らせが届くのがあと五時間遅かったら私たち勝ってたわよ?」
「レスターの者ならパルミラ軍への対応が最優先ということは誰でも知っている。それにパルミラの者の行動まで君が背負い込むことはない」
「ふふ、パルミラがレスター諸侯同盟に入りたいって言いだしたら別だけどね!」
シェズの言葉を聞きローレンツも流石にそれは突飛すぎだ、と言って笑い始めた。パルミラがレスター諸侯同盟と盟約を結べば大きな成果を出した、と王宮で主張できる。パルミラの王宮はフォドラの使節の主張に耳など貸さない。だが今、クロードが考え付いたことを成功させられたら彼らも聞く耳を持つだろう。
クロードも内心に芽生えた物が露わにならないように笑顔を無理やり作った。