しあわせになろうね。 黒の核晶の爆発の後、迷い込んだ魔界で、ヴェルザーによる不屈の野望を垣間見たとき、おれは地上に帰ることをやめた。魔界が太陽の光を求める限り、争いは消えない。ポップのいるところを守るためには、その野望を魔界から出してはいけないと、思った。
大好きだった、ポップ。蹴り落としてしまって、とても怒っていたから、もうおれの事きらいになってるかもしれない。それは悲しいけど、すごくかなしいんだけど。
でもね、きっと、ポップはいいやつだから、みんなとしあわせになって笑ってる。それを守れたんだと思うと、嬉しくて誇らしくて。それだけあればもう、おれはひとりでも歩いていけると思ったんだ。
ぜんぶおぼえている。憶えている。憶えているから、生きていける。ねぇポップ。おれはひとりでもだいじょうぶ。
「そう、思ってたんだけどなぁ」
目に鮮やかな緑色の旅装。風にたなびく黄色のバンダナ。ひっぱたかれた頬がすこし痛い。ひっぱたかれるのなんて、何年ぶりだろう。これでも、魔界の君臨者、なんて呼ばれているんだけど。ほら、おれに向かってぎゃんぎゃんお説教してるから、周りの魔族たちドン引きしてるよ。そんなの関係なく、出会い頭に全力のビンタを食らわせてくるんだから、変わってないよね、ポップは。
「おいこら、人の話聞いてんのか」
「うん……」
思考を飛ばしていることがわかったのか、ポップが怒った声を出す。ああ、怒ってる、謝らなきゃって思うのに、嬉しくってたまらなくて、目の前が滲んでいく。見られちゃいけないような気がして、俯いた。
ああ、やっぱりさみしかった。おまえに嫌われたと思うと心臓が握りつぶされたみたいにつらかったし、ポップといっしょにいたかった。泣きたいくらいさみしくて、すぐに帰って、ごめんねって言っておまえと一緒にいたかった。
「……ぅ、ふぅっ、うっ」
でも、だって、ひとりで行くって、自分で決めたから。それで泣くなんて変だよ。わかってるのに、涙ばっかり出てきて、どうしたらいいかわからない。
「おい、ダイ、どうした?」
「ぅえっ……うっ……」
「ダイ……? えっ、おまっ、泣くなよ!」
「うぇぇぇ……!」
「えっ、そんな痛くねえだろ!?」
ポップがすごく困ってる。はやく泣き止まないといけないのに、涙が止まらない。困るよ。ポップが困るのは嫌だよ。もう嫌われたくないのに。目を擦ってもごまかせないほど流れ落ちていく。
「ああ! もう!」
「ぽっ、ぷ、ごめぇん……!」
ポップは、大きくため息をついて、ごしごしと袖で目元をぬぐわれる。
「もういいよ! いいから! 泣くなよ!」
「だってぇえ……ぽっぷおこってるじゃん……!」
「怒ってるけど! もういいから!」
「ぽっぷがたたいたぁ!」
「あーもう、ごめんって! くそ! なんでおれが謝ってんだよ!」
「うわぁぁあん!!」
「泣くなって! もう!!」
「きらいになんないで、ぽっぷ」
「嫌いじゃねーよ! 嫌いじゃねーから怒ってんだよ、ばか!」
ぶにゅっと頬を潰されて、つねられた。嫌いになってないの? 心底訳が分からない、という顔をしていたからか、ポップがむっとしている。
「わかんねえの?」
「なんで……?」
「好きなやつがおれを蹴り落としてひとりで死んだと思った時の気持ちわかるか?」
「それはわりとわかる」
ポップがはじけたのも、火の中に残ってしまったことも、全部憶えているから。即答したおれに、きょとんとした顔をしたポップは、ちょっと目をそらした。
「…………そうね。でもわかってんならやるんじゃねーよ」
ぺちんとおでこを叩かれた。
「ちがうよ、おまえが死んじゃうのが怖いってわかってるから、やったんだよ。ふたりでしぬより、ひとりでもいきていてほしかった」
「……」
「わらっててほしかったんだもん……」
はーっとため息をついてる。ちょっと見上げたら、ポップは呆れたように笑ってた。ポップはしゃがんで、おれの頬を撫でた。
「自分勝手め」
「……きらい?」
「きらいじゃねぇよ。おれを守ってくれたんだよな。ありがとうな。でもさ、ダイ」
「うん」
「おまえのこと好きだから、おまえがいないと笑って生きていけねーのよ、おれは」
「……」
「おまえは?」
「……おれ、も、そう」
「うん」
「ぽっぷ、ごめんね」
「もういいよ」
引き寄せられて、抱きしめられる。
「ひとりにして、ごめんなさい」
「もういいって。なあ、おまえが元気でよかったよ」
「うんっ……ぽっぷもげんきでよかったぁ……!」
「いっしょに死ぬんじゃなくてさ、いっしょに生きようぜ」
「うんっ……!」
蹴り落としたこと、後悔はしていない。だっておれはおまえに生きていてほしかったから。でも、でもね、おまえが笑えないなら、おれも生きて帰らなきゃいけなかったんだね。
ぎゅっと抱きしめられて、わんわん泣いてた。
***
ふたりで魔界の道を歩いていく。ポップに手を引かれて、地上への道を行く。先を行くポップの背中に声をかけた。
「というかさ、さいしょにいっしょに死ねるならって言ったの、ぽっぷじゃん」
「チッ、覚えてんのかよ」
「あれで、おれお前を蹴り落とそうって決めたんだもん」
「あんだよ、伝わらねえもんだな」
ポップが立ち止まってこっちを振りかえった。
「なあ、バラバラに生きたり死んだりするくらいなら、いっしょに死のうや」
「うん」
「最期までいっしょに居てぇなあ」
ニッと笑っておれの顔をのぞき込んでる。ずるい。
「……ぽっぷのばか」
「あぁん?」
「ばーーか!」
これがうれしいって思ってるおれもバカかな。憶えていれば生きていける。でも、きっと笑っては生きてはいけないね。おまえが居ないとさみしいみたいに、おまえもさみしかったなら、それはきっとしあわせじゃないよね。なんだよ、ってぶつぶつ言ってるポップに抱き着いた。
「ねえポップ」
「うん?」
「しあわせになろうね」
「おう」
ポップの笑顔がうれしい。おれはお前にしあわせになってほしいから、おれがお前をしあわせにしたいから、だから、おれは、今度はお前と死ぬよ。
もう、死もふたりを分けられないから。
しあわせになろうね、ポップ。