Dear… 牛島家にはいつからかサンタが夏にやって来る。
ある日の夕方、牛島若利がバレークラブから帰ってくると、玄関に両手で抱える程度のダンボール箱が置かれていた。差出人の名はなく、『若利へ』という右上がりのメモが貼られている。
玄関まで出迎えに来てくれた母を見上げると、母は若利に小さく頷く。
「季節外れですが、サンタさんが来ました。若利にだそうです。手を洗ったら開けてみなさい」
何の疑問を感じないのか、若利はただ素直にこくりと頷く。そぉっとそのダンボール箱を持ち上げると、大きさの割には軽く感じられた。
中身がなにかさえも分からないので、若利はそれを慎重に持ち運び、洗面台の足元にそっと置く。それからいつものように固形石鹸を丁寧に泡立て、爪の中まで丁寧に洗った。いつでも乾いた清潔な物がかけられているタオル掛けのタオルで丁寧に指先までしっかりと水分を拭き取ってから、もう一度若利はダンボールを抱えて居間に向かう。
畳の部屋の中央に大きなどっしりとした机がある。その横にダンボール箱を置き、若利ははて、と思った。どうやって封を切ろうか? ピッチリとガムテープで留められたそれを短く切り揃えられた爪しか無い若利は開けられ無さそうだった。
「気を付けて使いなさい」
母が若利に手渡してくれたのは華奢なカッターナイフであった。
牛島家では、刃物を目の届く場所にあまり置かない。それはもしかしたら若利が更に幼かった頃の習慣がそのまま残っているのかもしれなかった。
「ありがとうございます」
少しだけ刃を繰り出し、慎重に内部を傷付けないようにしながら封を開ける。
若利は初め、ダンボールさえ開けてしまえば中のものが見えると思っていたが、どうやら違うようであった。なんの変哲もなかった外側のダンボール箱よりも一回り小さなダンボール箱がもう1つ。それには、スポーツシューズの有名メーカーのロゴが入っている。
確かに最近、若利はメキメキと身長が伸びつつあった。小学校低学年から履いていたサイズではもう入らなくなり、つい4ヶ月前に買ったシューズがキツくなっていて、買い換えるべきかどうか悩んでいたところであったのだ。
若利が母を見上げると、母は僅かに目を細め、良かったですね、と平坦な声音を零した。
「履いてみないのですか?」
不思議そうにただ箱を見つめる若利を母はそう促した。ハッと我に返ったらしい若利が、また静かに開封作業に取り掛かる。
中から出てきたバレーボールシューズは真っ黒な下地に紫の線が数本入っただけのもの。小学校4年生になったばかりの子供が使うにしては実にシックな色合いのものだった。
そっと敷かれたチラシの上にシューズを置き、足を入れてみる。少し大きめに思えたが、紐をしっかりと引き締めれば快適に履けそうであった。
若利が母を見上げると、母はもう一度「良かったですね」と小さく呟く。それに今度こそ若利はこっくりと深く頷いていた。
「お母さん。サンタさんにお礼が言いたいのですが?」
「必要ありません。サンタさんですから」
「……そうですか」
普段はあまり喜怒哀楽が顔に出ない若利も、この時ばかりは少しだけ、しょんぼりと眉尻を垂らしていた。琥珀色の瞳が、バレーシューズをじっと見つめ、しかし、若利は大人しくそれを脱ぎ始める。
「それよりも、おじい様とおばあ様がお待ちですよ。夕食にしましょう」
「はい」
いつも通りよりも少しだけ低い若利のその時の声音に、母は気付いていたのか、居ないのか? 丁寧に、箱に入っていたそのままに靴を入れ直す若利の様子を母は見ては居なかった。
若利がシューズを自室に片付け、食卓に着くと、既に待っていた祖父母と母が厳かに言う。
「お誕生日おめでとう、若利」
増々勉学に励みなさい、と祖父母から万年筆と辞書が送られ、母からは1000円分の図書カードが贈られる。
8月13日。
つい数年前までは5人で囲んでいた食卓は、数年前から4人に減っていた。だが、その時はまだ、牛島若利はその時の胸の奥のピースが一つ足りないような感情が何なのか気付けていなかった。
サンタさんの正体が、きっと、その時はもう既に牛島姓を名乗らなくなった自分の父であろうと若利が気付いたのは、それからずっと後。
約6年後、白鳥沢学園高等部に入学してからの事であった。
Happy Birthday Dear WAKATOSHI