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    MeltsXIV

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    Dragon's Song
    番外編

    神官長の夜ふかし 夜のエテルナ。

     蒼白い月光が、静寂に包まれた神殿の回廊を照らしていた。風は凪ぎ、遠く波の音だけがかすかに響く。夜の帳に沈むこの世界で、ただ一人、月を見上げる者がいた。人の身に意識を移したエンシェントドラゴンの金・セレナ

    ――人としての名をイスズ・エルガ。

     創世より続く流れの中で、神官長としての務めを担うこととなった。

    (いやー、それにしても……まさかアタシが神官長になるとはねぇ)

     かつて、竜の思いを踏みにじった国が滅び、彼女はその礎の上で傷つきながら生き延びた。そして身体を癒やすため地底湖に身を沈め、意識は自ら生み出した人の身の器に収めた。

    (……ヒマだわ)

     四年前、レガリアの目覚めを阻止しようとしたが、不完全な身体により敗北を喫した。セルシオに水晶を託し、力尽きて目を覚ますと、そこはストーリアの王城。意識を取り戻した時、そばには王宮の人間がいた。そしてあの子もいた。王族に仕える者たちが手を尽くし、彼女の傷を癒し、神官として迎え入れたのだった。

     神殿での生活にも慣れ、立場も得た。しかし、それが彼女にとって「満ち足りたもの」かといえば、決してそうではない。

    「正直、デスクワークばっかで退屈すぎる……!」

     エンシェントドラゴンである彼女にとって、机に座り続ける日々はまさに苦行だった。

     だからこそ、イスズは今、エテルナの神殿から「こっそり」抜け出していた。

     目指すは試練の洞窟、その最奥。

    (ここには"何か"があるって聞いたけど……まあ、普通の人間じゃ無理な芸当よね)

     潮風が遠ざかるにつれ、湿った空気が冷たく変わる。イスズは足を止め、指先に微かな魔力を込めた。

    「っと、転移の座標は……よし」

     軽く息をつき、魔法陣を描くように手を振るう。次の瞬間、空間が波打ち、一瞬で景色が切り替わった。

    そこは、静寂に支配された洞窟の最奥。時間の流れすら置き去りにしたような、重い気配が満ちている。

    (……いや、まさか)

     空間がわずかに揺らぐ。その瞬間、イスズは察した。風が巻き、確かにそれはいた。

     銀の瞳が、深遠を覗くようにこちらを見下ろしている。銀の鱗。白いたてがみ。

    ――エンシェントドラゴンの銀・セレス。

    (……えっ?)

     頭が追いつかない。思わず腰を抜かす。

     目の前の存在が何者か――そんなこと、考えるまでもなかった。知りすぎている。

     「は?」弟だ。

     どうしてここにいるのか。そんなことを考えるよりも早く、言葉が勝手に飛び出した。

    「……セレス!? 」

     銀の竜は、ゆるりと瞼を開き、重々しく告げる。

    『その気配……姉上か』

     相変わらず低く荘厳な声。

    「えっ……? ちょ、マジで!? なんで!? なんでアンタがこんなとこに!? てか千年ぶり!?!?」

     突然の再会に完全に動揺するイスズと、それを静かに見下ろすセレス。

    『……まさか、こんな形で再び相まみえようとはな』

    「……こっちのセリフよ!!!」

     洞窟の奥、静寂が満ちる。腰を抜かしたイスズとは対照的に、セレスは微動だにせず彼女を見下ろしていた。

    「いや~、いや~、ほんと……びっくりした。てっきりもう、あんたとは一生会えないかと思ってたのに」

    『……姉上こそ、なぜこの地に?』

     セレスの銀の瞳が、静かにイスズを捉える。

    『まさか、ただの興味本位でここに足を踏み入れたわけではあるまい』

    「……いや、興味本位です。」

     イスズは肩をすくめる。

    「神官長になったのはいいけど、正直退屈でね。だから"ここには何かある"って話を聞いて、ちょっと覗きに来ただけ」

    『軽率だな』

    「うっさいわね。そっちこそ、千年も何してたのよ?」

    『……我は、この地に留まり、試練を与える者として在った』

    「……試練?」

     イスズの眉がぴくりと動く。

    「……ってことは、あんた、ずっとここで何百年も人間の試練を見守ってたわけ?」

    『然り』

    「……え、何そのストイックさ」

     イスズは呆れたようにため息をつく。

    「でも、アンタが人と関わるなんて、昔のアンタからは想像もつかないわね」

    『……我もまた、変わったのだ』

    「だが、姉上。そなたもまた、変わったのではないか?」

    「……あ?」

    『姉上が、神官の衣を纏う姿など、誰が想像したであろうか』

    「……あんたさ、会って早々ツッコミどころしかないんだけど?」

     セレスは静かに目を閉じる。

    『千年前、レガリアの狂乱を目の当たりにした。その時、我は悟った。人の在り方を見届けねばならぬ、と』

    「……アンタが?」

     イスズは驚いたようにセレスを見つめる。

    「昔のアンタは、"人の営みに積極的に干渉すべきではない"って感じだったのにねぇ」

    『……時は流れ、世界は変わる。ならば、我らもまた変わるべきなのだろう』

    「ふぅん……」

     イスズは腕を組み、考えるように視線を逸らす。

    「で、アンタの本体は?」

    『……すでにこの世の理に還りつつある』

     その言葉に、イスズの表情が一瞬険しくなった。

    「……そっか。そういうことね」

    『ここに在る我は、過去に刻まれた残響にすぎぬ。魂の理は巡り、いずれ新たな流れへと還るだろう』

    「……そっか」

     イスズはゆっくりと目を閉じ、そして微笑む。

    「……ま、あんたがここで頑張ってるなら、私もちゃんとやるよ」

    イスズは立ち上がり、軽く肩を回す。

    「また会おうよ、セレス」

    『……ああ、姉上』

     再び銀の光が揺らぎ、セレスの姿は薄れていく。

    イスズは軽く手を振りながら、その場を後にした。

    こうして、千年ぶりの再会は静かに幕を閉じたのだった――。

    (……あれから十年か)

     セルシオは、今どこでどうしているのだろうか。あの時、水晶を託してしまったが、あれが本当に正しかったのか――未だに答えは出せない。

     人の身を借り、こうして神官長として生きることを選んだ。

     弟は、かつての己とは異なる道を選び、試練の番人として在り続けることを選んだ。

     そして――いずれ、"彼女"が試練に挑むだろう。

     彼もまた、どこかでこの流れを見守っているのだろうか。

    (ノア・ライトエース。……お前なら、どうするのかねぇ)

     聖騎士の試練を乗り越えた者は数多くいる。だが、その中に"本物"がどれだけいたのか。

     "本物"の意味すら、セレスが知っているのかどうかは分からない。

    それでも。

    (――あの子なら、あるいは)ゆるりと目を閉じ、イスズは静かに歩を進めた。

     試練の洞窟は、間もなく彼女を迎え入れるだろう。
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